熊風・・・・・・・・・・・・・・・・・・田森 龍



 足の手術で、私は入院していた。病院は、街の中にある改装したての新しい病院だった。
 入院は十日間程で、当初余り歩けなかったので、ベッドの上での生活はこのうえなく退屈なものだった。
 同室者は、二名である。自力で歩けない老人だった。老人たちは、リハビリに精を出していた。午後食事が終わるとリハビリ科から人が来る。時にはベッド上での運動、時には、リハビリ科での運動と場所を変えおこなっていた。
 その週の中頃「木戸さんは土曜日、退院ですよ」と、一人の老人に、看護師が声を掛けた。
 「そうですか・・・、退院ですか。長かったぁ。八ヶ月ですよワハハハハ」と病室が明るくなった。 
 「よかったですね。一時はどうなるかと思いましたけど、這って進めるようになったんですから」と看護師が木戸さんと話をしている。
 その夜は来た。
 「明日、退院でよかったですねぇ」と私は、木戸さんに始めて会話を仕掛けた。
 「いやぁ、長かったぁ。八ヶ月だもの。何ね、最初家で腰ぶつけて、動けなくなったのさ。そして傷口手術して、治るまで四ヶ月でしょ。普通なら一週間くらいリハビリして、後退院ですよと言われるところ、四ヶ月もリハビリしてくれて、這って動く事出来るようにしてくれたもの。助かったぁ」
 「何処から来ました」と私が言うと木戸さんは「苫前に帰る。息子が会社休んで送ってくれるんだ。苫前まで四時間以上掛かるんでさぁ。事故起こして戻って来るなってみんな言うんだわ。でもねぇ、今まで順調に来て、最後に雪にやられないかと思ってね。天候だけは、どうしょうもないからねぇ」と木戸さんは、一人で黙々と話始めた。私は、ただ黙って聞いていただけだった。そんななか、木戸さんは地元に昔あった興味深い事を話してくれた。
 「私は八十三歳になるんだが、地元でさ昔恐ろしいことがあったんだ。これは私の御爺ちゃんから聞いた話さぁ。北海道の人って言うのは、昔本州から来た人間ばかりなんだ。私も三代目で、元を辿れば秋田なんですよ。よくまぁ、この寒い地に来て三代も続いたものだなぁって思ってる。私ももう、この地に骨埋めようって考えているんだ。
 苫前って言うところは、雪多いんだけど私のところは海岸沿いのところなんで、そんな雪多くないんだけど、吹き溜まりが凄いのさぁ。風吹いて吹き溜まり出来ると二メートルも三メートルもなるんで、家もなんも埋まってしまうんだ。そりゃぁたいへんさぁ。
 そんな北海道に、本州から人来たのさぁ。昔は番屋も沢山あってねぇ。ニシンなんかが、沢山採れたから、そりゃぁ賑やかな村だった。一攫千金を狙って、ヤンシュウも随分本州から来たもんだ。
 網元が増え番屋が多く出来たさぁ。そんな時重宝されたのが、本州から渡って来た大工と木を切り出す樵だ。
 木採りにやっぱり山さはいるべさ。そうすると、居るんだ。主が・・・。熊だ・・・。大きな熊の穴とかあるとみんな注意して、行くんのさぁ。
 熊も何故か冬眠しない熊もいるみたいでね。冬になると今度民家を襲うわけさぁ。家族全員殺られるんだぁ。そりゃぁ惨かったらしい。
 そんな中、爺さんから聞いた話さぁ。昔、山さ入った人が熊さ襲われたということが解って、村人が集まって、遺体だけは取り返さなければ駄目だ。ということになって、村人が山さ探しに行ったんだと。そして、熊穴に居たんだ。それを勇んで連れて帰ってきたのさぁ。そしてその夜、葬式だ。村人みんな集まってるんだと。そこへ、その熊来たんだ。俺の餌取りやがってって言うんじゃないの。
 そして葬式めちゃくちゃになったんだと、みんな熊に襲われて怪我した人間や死んだ人間もいたんだと。そりゃぁう、惨い惨状だったとさ。三メートルもあろうかと言う大きさだったらしい。
 連れて行かれた人は居なかったけど、村人もこのままにしておけねぇって事になって、またぎ衆にお願いして、山に入っていったんだぁ。
 そして、数週間後、獲ったぞうってまたぎ衆が戻ってきたんだ。本当にデカイ熊だったらしい。   
 そして何日もしないうち、物凄い風が吹き荒れたんだとさ。村の人みんなそれを熊風だ、熊風だといってねぇ。それからだと、ちょっと強い風が吹くと今日の風、熊風くらいあるかなどといい始めたの。
 今だったら、丁度その頃台風が来た時期なんだろうけど。昔の人はみんな熊風、熊風と言ってたのさ。
 だけども、昔の人は凄かったねぇ。偉かったねぇ。私ももう、北海道人だからこの地に骨埋めるさ。
 さっ、もう横になるかね。じゃぁね」と、木戸さんは、ベッドに横になり、静かに溜息をついた。
 「面白い話をありがとう御座います」と言って私もベッドに横になり、遠い昔の出来事に、思いを馳せた。
 (2010)



豆引き・・・・・・・・・・・・・・・・・・田森 龍


 日雇いのアルバイトを初め半年になる。合間を見てライター志望の私は、書く練習をしていた。まだ、何かを自力で書く力は無い。ただ、新聞のコラム欄を写したり、好きな作家の小説を書き写したりしていた。
 高校の時友人だった奴らは皆大学生になっていた。私は大学に行かせて貰えなかった。一年浪人をしていたのだが、通知の来た大学も何故か駄目で、最後に文章の書き方を教える専門学校へ行かせて欲しいと言う言葉も空しく親に断られた。理由は分からずじまいだ。父が死んだ今となっては、分かろう筈が無い。
 そして、私は宙ぶらりんな人間になった。まともな仕事もなくアルバイトを転々としていた。そんな中、中田雄二だけは、私を受け入れてくれた。私は雄二の学生寮へ時間が空くと、出かけた。雄二は、心良く出迎えてくれた。そんな時彼はいつも珈琲を飲んでいる。インスタント珈琲だが、雄二は旨そうに飲む。そんな時私は、『学生って優雅なものだなぁ』と思うのである。
 そんな思いをよそに雄二は、私にも珈琲を入れてくれる。雄二は、私が物書きになりたいことを知っていた。
「今、何か書いているのか」と雄二が聞いた。
「いや、まだ駄目だ。主に写文ばかりだ」と言うと雄二は、「本読んでいるのか」と聞いて来た。
「ああ、遠藤周作と阿部公房を読んでいる。なかなかむずかしくてねぇ。最近基本的な哲学書も読むようになったよ。なかなか興味深くて面白いね」
「そうかぁ、哲学ね。僕の選考は人文学部でね、哲学もやっているよ」
「へー、羨ましいね」
「それにしても、僕もあと一年だ。お前は大丈夫か」
「今、独学だけでは駄目だと思い。出版社や編集プロダクションの試験でも受けようかと思ってね」
「ほう……」
「だけどね、これが四大卒者の募集ばかりで、高卒なんて一つも無いんだ」
「そうかぁ。難しいね」
「強引に、編集プロダクションの面接受けたんだが、今回は大卒者の応募だから今回は、残念だけどって言われた」
「まあ、飲め珈琲……」雄二は、空いたカップに、珈琲を入れ私に差し出した。
「相変わらず、上手いねぇ。珈琲の入れ方」と言うと、「酒も飲むけど、やっぱり珈琲だ」と満足そうにカップの珈琲を飲みほした。
「そうだ。お前旅に出ないか」と唐突に雄二が口火を切った。
「旅……」
「ああ」
「僕の最後の旅かな。もう四年だし……」
「今の俺には無理だ。何としても仕事探さないとね」と即答した。
「そうかぁ。でもたまに、旅も良いぞ」
 どこからお金が出ているのか……、学生はいいなぁと思った。
 雄二の寮は、北大の近くにあった。だからと言って、彼は北大生ではない。江別市の文京台にある大学へ通っていた。この寮は、三菱鉱業所の所有の寮で、三菱大夕張炭鉱である私の故郷の人間が、その昔よく北大へ入学していた頃建てられた寮だった。何という寮名だったかは分らないが、今でも北大ではないが、地元の学生が集まる寮であった。
 しかし、寮は古かった。雄二の部屋は、玄関を入って、直ぐの階段を、ギシギシと音を立てながら登った登口のむかえにあった。部屋は畳の六畳間一室で、ベッドと机しか無いような雄二の部屋は、それでも広く感じた。
 
 別の日、私は雄二の部屋にいた。また、いつものように、珈琲を入れてくれた。その珈琲は、私にとって精神安定剤のようなもので、雄二の入れてくれる珈琲を飲むと心が安定した。私にとって唯一の至福の時と言っていい。こんな時間が、何時までも続くような錯覚に、時折私は陥っていた。
 そんな事を思っていた時雄二は、「今度は豆を引いて飲んでみたいなぁ」と言った。それが今の、もっともしたい事らしい。
「一度、そんなの飲んでみたいね」と私は言った。
「旅の事なんだけど、今年の夏に行く事にしたよ」と雄二が言った。
「そうかぁ。どこ行くのよ」
「まだ、決めていない。東京の南の島に小笠原諸島と言うのがあって、そこへ行ってみたいと思っているんだがどうだかなぁ」
「へぇ、南国かぁ」
「年中海水浴ができるんだ」
それで、お前の着ているヨットパーカー、これと交換してくれないか」と言うとワイシャツ一枚を取り出した。
「だけど、これはこの間買ったばかりで、俺も気に入っているからなぁ」と言うと雄二は、「頼む」と懇願してきた。私も頼まれると断れない人間なので、「行く時な」と言って交渉は成立した。その日は、いつものように将棋をして負けて帰った。
 雄二から夏休み前に私の所に電話が来た。
「ササか。俺だ」
「珍しいな電話なんて・・・」
「これから、来れないか」
「どうしたのよ」
「来ればわかるって、じゃぁ待ってる」
 電話は切れた。
 私はどうしたのだろう。と思い雄二の元へと急いだ。その時ヨットパーカーを着て行った。
 私はその頃、彼の元へと一時間程掛けて歩いて行っていた。その時も私は歩いた。寮に着いた頃には、既に昼を回っていた。
 玄関を開け階段を駆け上った。すると雄二の部屋から、珈琲の良い香りが漏れ出していた。私は、ドアを開け、部屋の中に入った。すると部屋中が、珈琲の芳醇な香りが充満していた。そして彼は、筒のような物を持ちその上部に付いているハンドルをガリガリと言う音を立てながらグルグルと回していた。
「よっ、来たか……」
 それは、珈琲の豆引きだった。
「どうしたのよそれ」
「ようやく、手に入れたよ」
 それでこの濃厚な珈琲の香りの元が分った。
「今、入れて上げるから待ってろ」
 豆を引き終わると、ドリップの紙の中へ入れ、ケトルでお湯を注いだ。注いだカップを私に渡した。
「飲んでみ」と雄二が言うと同時に、私はカップを口に寄せた。旨かった。何だかホットする味だった。
「豆は何よ」
「奮発して、ブルーマウンテンだ」
「旨いわ……。俺にも引かせてくれ」
「おう」と言うと雄二は豆引きを私に手渡した。珈琲缶から計量スプーンで豆を一杯豆引きの上部から入れた。そして、ハンドルをグルグルと回し始めた。意外とハンドルが重いのに驚いた。ガリガリと豆は引かれていった。その時に出る香りは、最高の精神安定剤になった。
 雄二は、珈琲が好きで、以前から豆を引きたいと言っていた。その夢を学生で叶えてしまった。優雅な時間が過ぎて行った。
「ササ以前言っていた、そのヨットパーカー交換しよう」来週から夏休みだ。一人旅行って来ようと思う」
「来週かぁ。行くところ決まったの」
「いや、行き当たりばったりで行こうと思う。函館まで電車で行きそれから船だ」
「そうかぁ。良いなぁ」
「旅の途中で手紙出すよ」
「前言って居た小笠原行くのか」
「行こうと思うけど、まだ分らない」
「お前も行かないか……」
「いや、俺は無理だ。行きたいけどね」
「そうか」
「まっ、楽しんで来い」
「ああ、最後の大学生活、謳歌して来ようと思う。教員実習も終わったし、もう何も無いんだ」
 雄二は、また豆を引き始めた。そして、ドリップし珈琲を飲んだ。窓の遠くの空を見て言った。
「なぁ、ササ。生きるってどういうことなんだろう」と唐突に言った。私はそれに答えられなかった。そして、雄二は、その質問を打ち消すように「珈琲は最高だね。今度はサイフォンで飲んでみたいよ」と言った。
(2012)




雪天使・・・・・・・・・・・・・・・・・・田森 龍


僕は、小山の山頂にある炭山神社にいた。ここからは、炭坑の町を一望出来た。昭和四十年頃の炭鉱は、絶頂を向かへ、道路一本で本町と繋がっているこの町にも全国各地から人が集まり、今では三万人もの人たちが暮らしていた。
 その頃僕は、まだ小学生で何時もの遊び場と言えばこの炭山神社が、お気に入りの場所だった。僕はここから見える景色が好きだった。長屋や大きな機関車が、まるで模型の様に見えるのが、面白かったのだ。そんな炭山神社に、僕は母が、倒れてから一人で行くことが多くなった。
母は、病院にいた。半年前に急に倒れたのだ。母は、僕にはとても優しかった。毎日編み物をしていて、僕のセーターや手袋を編んでくれた。その手袋は暖かく、僕は新しい手袋の感触が好きだった。
母は、僕が見えなくなると何時も真ちゃん真ちゃんと呼んで、僕を探した。母は良く僕を褒めてくれた。いつだったか、近所の子供が転んで怪我をしたとき、僕が「痛くないよ、痛くないよ」と言っていると母が来て、その子を家へ連れて行った帰り道、「真ちゃん偉かったね。真ちゃんお兄ちゃんだからね」とちゃんと褒めてくれた。僕はそれが嬉しかった。僕は、母に褒めてくれる事を何でもしようと思っていた。
 ある日、同級生の雅子ちゃんと二人で、炭山神社へ登った。土手へ座り二人で、広い町並みを眺めていた。
「あそこ……、雅子の家見える。真ちゃんの家どのへん……」
「あそこ」と僕は指を差した。雅子は、その指の方を目を凝らして見ていた。そして、直ぐに、目を移し、「あれ、病院だよねぇ」と言った。雅子が差す指の方角を見ると、確かに病院だった。
「あそこに、お母さんがいるんだ」と僕は言った。すると、
「仕事してるのぉ」と雅子が言った。
「いや。お母さん病気なんだ」と僕は言った。
「早く良くなるといいねぇ」と雅子が言った。
「もう長くないんだって」と、僕は思ったより淡々と話した。
「命が? どうして解ったの?」と雅子が不思議そうに言った。
「お父さんが、そう言ってたから……」と、少し静かに言った。
「そう、天使様のところへ行くのね」と明るく雅子は言った。
「天使様って……?」と僕は雅子に聞いた。
「天使様は、神様の使いで、天国へ行く人を迎えに来るんだって」と雅子は、遠くを見て話していた。
「ふうん」と僕はよく解らずに頷いた。暫く沈黙の時間が続き雅子は言った。
「余り遅いと、お母さんに叱られるから帰りましょう」と言うと雅子は立ち上がった。僕もそれにつられるように、立ち上がった。
 家に着くと、何時ものように、立てかけた表札の裏へ手を回した。そこが、僕の家の鍵の置き場だった。
 すると、鍵が無くドアは開いていた。父が帰って来ている。一番方でもまだ、帰るには早い時間だ。
「お父さん、今日早いね」と僕が言うと。
「今日は、お母さんの先生が、話しをしたいと言って来たんだ」と父は、母の着替えを鞄に詰めていた。
「もう直ぐしたら、出るから、お前も準備しなさい」と、父が言ってきた。
僕は着替えて、父に手を引かれ炭坑病院へ向かった。もう、太陽は傾き、烏の群れが山へ帰って行くところだった。
 病院の中は、少し薄暗かった。父は、窓口へ行き、「今日先生のお話があると言う事で来ました」と、窓口の看護婦に話をしていた。
「あっ、そちらの、椅子に座って待っていて下さい。今先生来ると思います」と、僕らが来たのを了解して、看護婦は窓口をそそくさと離れた。
 僕と父は、横にある長椅子に腰を下ろした。患者は誰もいなかった。父は、椅子に座りながら難しい顔をしていた。僕は分けも解らず、その様子に緊張していた。
 名前が呼ばれた。僕は、ここで何時ものように待っていようと思い、父を見送ろうとすると、「真吾も来なさい」と父に呼ばれ僕は、その後ろを黙って付いて行った。
 診察室の中へ入ると、白衣を着た医者がどかっと椅子に腰掛けていた。何やら閻魔大王のように体格がよかった。僕は悟った。何か、罰でも言い渡すんだ。お母さんだ。ちきしょう、お母さんが何したんだ。
そして医者は「どうぞ、こちらに腰掛けて下さい」と穏やかな声で言った。意外だった。
「今日は、息子さんと一緒ですか」
「はい。こいつにも、話を聞かせようと思いまして……。ところで、家内の具合はどうなんでしょう先生……」と父は、今まで僕に見せた事のない、情けない顔をしていた。
父は、僕に何時も言っていた。
「炭坑マンは、何時どうなるか分からない。もし、お父さんに何かあったら、お母さんは、お前が守るんだぞ」そんな、父が、僕は凛々しいと思った。尊敬していた。しかし、倒れたのは母だった。半年前の出来事だ。
「それで、先生。家内の具合は……」とおっかなびっくりに、医者に聞いていた。
「それなんですがねぇ、ご主人、しっかり聞いて下さい。前回はあと半年くらいと言いましたが、今年の冬越せるかどうかというところです。癌が、肺と肝臓それに骨に転移してまして、手の施しようがありません」
「そうですか……」父は、大きく肩を落とした。父は、震えていた。膝に置いた手は、握り拳となっていた。その力の入り具合が、僕には分かった。
「本人には、言わないでおきましよう。今後の処置は、かなりの痛みが伴うと思いますので、麻薬を打ちます。意識が無くなりますが、いいですね」と医者は静かな声で話してくれた。
「はい。あいつが、苦しまずにお願いします」と父は、やっと出た声を医者にぶつけた。僕は『お母さん、死ぬんだ』と思った。でも、それがどういう意味なのか、分からなかった。
母は、病室のベッドで眠っていた。
「お母さん眠っているようだ。今日はこのまま帰ろう」と父は、母の顔を見て言った。僕は母の枕元に行き顔に手を当て、その温もりを感じながら頷いた。

 その年の冬、父が血相をかいて夜、家に帰って来た。
「真吾、お母さんが大変だ。直ぐに病院へ行くぞ」と父が言った。僕は、父の様子を見て母に大変な事が起きたと、察知した。父の言うがまま、手を引かれ僕は炭坑病院に向かった。牡丹雪が、音も無く降りだしていて静けさを誘っていた。
 病院へ着き長い廊下を歩き母のいる病室へ向かった。そして、病室の扉を開けた。母は、苦しんでいた。
「痛みを抑えてください。家内が苦しんでいます」と、父が涙を流した。
「先ほどから麻薬を何本も打っているんですが、まったく効かないんです」と、あの閻魔大王のような医師が言った。
 僕は、叫んだ。「お前が、悪いんだ。お母さんを返せぇ」と僕は医者の白衣を握った。すると、看護婦が僕の身体を強く抑えた。
 父は、「君江……君江……」と何度も母の名前を呼んだ。そして、母は静かになった。そして、医師は母の腕を掴んで「もう時期です」と言った。父は、母の顔をマジマジと見た。そして、言った。「真吾の事は、俺に任せろ。もう、頑張らなくていいから」と。すると、母がスーと息を吐いた。医者は、目にライトを当て、また、腕を取り、「ご臨終です」と言った。父は、泣いた。母を抱いて泣いた。僕は呆然とその父の姿を見ていた。
 次の日、母は家に居た。近所の人が、出たり入ったりしている。母の写真は、笑っていた。夜に、近所の人がみんな家に集まった。母は寝ていた。僕は、母の顔をじっと見ていた。すると、玄関の方から声が聞こえた。優しい声だった。僕は、玄関へ行き扉を開けた。誰も居なかった。
外は昨日から降り続いた雪が積もっていた。道の横には、雪の山が出来ていた。お母さんが呼んでると思い、僕は声を求め外へ出た。
「何処? 何処にいるの……」と、僕は母の姿を探した。雪は、町に降り注いでいた。僕は雪山に登った。雪山の陰にも、誰も居なかった。僕はその場に倒れた。そして、母の事を思い出した。とても暖かで、優しい母だった。
 あの時の牡丹雪が、限りなく空から降って来ていた。その様子はまるで、雅子が言っていた天使が、母を迎えに来ているかのようだった。
 空から天使がやって来た。母を迎えにやって来た。そう思うと、冷たい雪も僕には、温もりに感じていた。そう思った瞬間、僕は初めて号泣した。
(2012)