押し入れ・・・・・・・・・・滝悠玖子




私には息子がいる。育児に悪戦苦闘中だ。息子が二歳の頃、しつけのつもりで息子を押し入れに入れた。トイレトレーニング中の三度だけのことだが、強く心に残っている。

一度目。棚に上るなと注意したにもかかわらず、スッポンポンで最上段によじ登って、お漏らしをした時。

二度目。トイレに行くことを拒否しておきながら、スッポンポンになってベランダへ行き、外に向かって立ちションした時。

三度目。物を投げるなと注意したにもかかわらず、使用済みオムツを台所のシンクに投げ込んだ時。

毎度、息子は押し入れの中で泣いた。それでも私は「ゴメンナサイ」を言うまでは、押し入れから出さなかった。三度目に押し入れに入れた後、自分のやり方に強い疑問を感じた。その直後、私は混乱した。

私は混乱しやすい人間だ。混乱した後、いつも落ち込む。そんな状態で息子といることはつらかった。とにかく一人になりたかった。息子を夫に託した。

この一人の時間に、心の整理をしたかった。長く引きずらないために、短時間だけでも、とことん落ち込みたかった。横になって布団をかぶってはみたが、動悸が治まらない。自らも、押し入れに入ることにした。

息子を入れた押し入れの中では、なぜか妙に落ち着けた。膝を抱えてうなだれるだけうなだれたら、すっきりしてきた。

そのように押し入れで過ごしていたら、息子が階段を昇る音がした。押し入れに入っているところを、息子には知られたくはなかった。急いで出ようとしたが、布団が引っかかってなかなか出られない。結局、押し入れの中でジタバタしているところを、息子に見られてしまった。

息子と目が合った。なんとか脱出しながら、言い訳を考えた。「押し入れの掃除をしていた」と、しどろもどろ口調で言った。すると、息子が笑いながら言った。

「オシイレ、オモシロイネー」

その無邪気な言葉に、苦笑いした。息子に何かを諭されたような、悟られたような思いがした。背中の奥が痒くなった。

これからは、息子を押し入れには入れたくはない。だが、私はこれからも押し入れに入るかもしれない。

押し入れには、普段は普段は使わない物が多く入っている。それらの中には、捨ててしまって良いような物もある。

私の心の中にも、捨て去りたい過去の記憶がある。消化しきれず、今も心の押し入れの中にある。私はそれをゴミ箱に捨てることができない。捨てるつもりもない。

もしも捨てるパワーがあれば、もっと前向きに生きられるのかもしれない。でも、私は心の押し入れの中身を持ち続けていたい。たまにのぞいてはウダウダしている。それでも、中身を抱えていたい。これから先に同じ失敗をしないためにも、教訓として、未来への生きる糧に変えていきたい。

息子は私に似ている。これから先、息子にも捨てたい思い出ができるかもしれない。そうなったとしても、つらい思い出はゴミ箱よりも、押し入れにしまってほしい。たまにはのぞいてウダウダしてもいい。そこから何かしらを学びとってほしい。生きる糧に変えてほしい。

もしも息子の心の押し入れが飽和状態になったら、私の心の押し入れを貸したい。そのためにも私の心の押し入れは、少しスペースを作っておきたい。ただ、私の心の押し入れは、詰め込みすぎの状態である。私は片づけが苦手だが、息子のためにも、自分のためにも、整理する心構えを持ちたい。

息子は三歳になった。今春、幼稚園に入園した。トイレで用が足せるようになった。こちらが強制しなくても「ゴメンナサイ」や「アリガトウ」が言えるようになった。

息子は、日を追うごとに成長している。頼もしい。だが、私に似て不器用な息子は、なかなか上手に物事を進めることができない。そのために、混乱に似たかんしゃくを起こすこともある。母親としては、少しでも進歩に導くよう、手助けをしたい。だが、なかなか難しく、一緒になって混乱気味になってしまう。育児の悪戦苦闘は、これから先も長く続くことだろう。

一方、私の杞憂がすぎるのかもしれない。息子は毎朝のように登園を嫌がるが、帰りは笑顔で通園バスを降りてくる。幼稚園で教わった歌を披露してくれることもある。私の知らないところで、また一つ楽しい出来事があったようだ。息子の心の押し入れに楽しい思い出が増えていくことで、私の心の押し入れの中身にも、光が差し込むようだ。

私は前向きな人間ではない。それでも、息子のおかげで、前に歩き出せているようだ。これまでは息子の育児について神経質になり、必要以上に干渉することが多かった。もう少しおおらかな気持ちで息子に接していきたい。

ただ、一つだけ息子に言っておきたい。以前、私は押し入れに入って気づいたことがある。ずぼらな私は、とりあえずのその場しのぎで、押し入れに物をしまうことが多い。

暗い押し入れの隅では、花粉症の点鼻薬がセーターにくるまれていた。以前に探しても見つからず、困ったことがある。

息子は、私に似て片づけが苦手だ。

「大切な物を押し入れにしまうことはやめよう」

とりあえず、息子にはそう伝えておこう。