津軽海峡の思い出・・・・・・・・・・・・・・・・・・高浜富士夫



 目をつむると、あの素晴らしい光景がいつも蘇ってくる。それは大学四年生の十月、友人と二人で大学最後の思い出にと東北旅行を計画した時のことである。

 青森の奥入瀬・十和田湖へ旅を楽しんだ後、岩手県の盛岡から国鉄で上野へ帰る予定だった。ところが盛岡のひとつ手前の駅で降りたため、その日はもう盛岡までの汽車は無い。やむを得ず駅周辺の旅館を探したが、そこは小さな町、民家もまばら。人の歩く姿も見えず、泊まれるところもなかったのだ。

 昼食以来、何も腹に入れてなく空きっ腹で我々は店を探した。そしてようやく一軒の食堂に辿り着き、やっと夕食にありつけたのだ。

 その後、我々はどうしょうかと思案の末、残りの旅費もわずかだったし、国道へ出てヒッチハイクをすることになった。

 夜も更けてきており、車の往来も少なく、やっとの思いで大型の貨物トラックをゲットできた。これでひと安心の思いも束の間、しばらくしてこのトラックの行き先をドライバーに尋ねると、北海道の函館へ荷を届けるという。何と東京へ向かっていると思っていたのに……。

 我々はあの時、国道で反対車線に立っていたのだ。観念してそのまま函館まで付き合うはめになった。

 東北旅行のつもりが北海道旅行になってしまった。それにしても深夜の北の国道を大型トラックでのドライブ、夢にも思わない、ちょっとスリルに満ちた経験だった。

 やがて連絡船に乗って下北半島の港を出た後、我々は素晴らしい光景を目にした。それは午前四時か五時頃だったろうか、水平線の遥か彼方からオレンジ色の朝日が顔を出してきたのだ。あぁ何て素晴らしいんだろう!

 それまで港を出てから海はずっと荒れ模様で、波も高く、船は揺れ続けていた。我々は初めての経験なので無事に函館に着けるんだろうかと終始不安だった。窓から見る景色はうす曇りの空が見えていたかと思うと、次に今にも飲み込まれそうな大波が窓を覆った。

 そしてまたその繰り返しで、船は揺れに任せるしかなかった。あまりの不安さに「大丈夫ですか」と船員さんに尋ねると、「全然平気ですよ。いつものことです。」と平然としている。それでも我々は不安を隠しきれなかった。

 しかし、その朝日の美しさが我々の不安を打ち消してくれた。それほどあの光景は生涯忘れ得ぬ美しさだったのだ。津軽海峡でのこの貴重な体験、もう二度と味わうことはないだろう。

 それにしてもあの時、ヒッチハイクをしたからこその体験であり、我々二人を夢のような世界に導いてくれたドライバーに感謝したい。大学卒業を前に最高に感動的な思い出深い旅行だった。

 時折、テレビ等で《津軽海峡冬景色》の曲が流れてくると、懐かしさが込み上げてくる。目をつむってあのシーンを思い浮かべれば、走馬灯のようにあの光景が何度も何度も蘇ってくる。

 余談だが、大学卒業後、勤務先でカラオケの機会があると、私は決まって《津軽海峡冬景色》を歌った。この曲が私の代名詞になったこともまたひとつの思い出である。

 それほど私の心の片隅に、あの最高の思い出が強く焼きついていたのだと感じている。

 遠い昔の忘れられない思い出―津軽海峡の朝焼けーいつまでも大切に私の心の中にしまっておきたい。

(2009)