セブンイレブンの女性店員・・・・・・・・・・・・・・・・・・高田 望



 私は気が向いたときにしか料理をしないので、必然的にコンビニでご飯を買う。家から歩いて六、七分のところに大手スーパーがあるにはあるが、コンビニよりも遠いので、ついつい足が遠のく。家からいちばん近いコンビニは歩いて三分のセブンイレブンだ。
 しかし実を言うと、このセブンイレブン、できることなら行きたくない。ここで働くある女性店員が苦手なのだ。いや、はっきり言おう。「嫌い」なのだ。

 その店員は、私がレジに立つと、嬉々として話しかけてくる。私は化粧もせず、ぼさぼさの髪を隠すために帽子をかぶり、毛玉のついたフリースを着込んでいる。私は必要なものを買いに来ているだけで、話をしたいわけではない。できることなら外出なんかせず、誰ともしゃべらず、食べ物を手に入れたい。しかし、そういうわけにも行かないので、コンビニに来ている。
 それなのに、「あ、これ! 美味しいですよね!」とか、「今日は暖かいですねえ」とか、そんなこと言われても、返答に困る。いつか繁華街に出掛けた帰りに「お出掛けですか?」と聞かれたときには、困るというより、ムカついた。そんなこと、なんであんたに答えなきゃいけないのか?
 しかも、その店員、私が何か言うたびに、「オーケェイ!」と言う。
「お箸要りません」
「オーケェイ!」
「レシートください」
「オーケェイ!」。
 なに? オーケェイ!って。普通に「はい」じゃだめなのか?
「オーケー」でも、「オーケイ」でもなく、「オーケェイ!」なのだ。語尾の「ェイ」をきゅっと上げるのも気に入らない。商品のバーコードをピッとやるたびに、小声で「オーケェイ!」と言っているので、たぶん、口癖とか、自分への動機付けとか、そんな理由もあるのだろうけれど。
 極めつけは、店から出るときだ。
「行ってらっしゃいませ!」
と言うのだ! 
 なんなんだ? 行ってらっしゃいませって。
 私は今から帰るのだ。私の格好、どこかに出掛ける格好に見えるか? あぁ、もう、なんて鬱陶しい! 私は毎回「もう次は行くもんか」と思うのだが、ローソンやファミマは歩いて十分くらいかかるので、やっぱり歩いて三分のセブンイレブンに来てしまう。そのたびにこの鬱陶しさを体験しなければならない。このコンビニの他の店員はいたって普通で、「オーケェイ!」とも「行ってらっしゃいませ!」とも言わないので、この店でそんな教育を施しているわけではないらしい。そこで、私は対策を練ることにした。このコンビニの前を通るときに、この店員がいるかどうかを盗み見て、いなかったら入る。いたとしても、別の店員がいるレジに行くことにした。
 商品を手に取り、すぐにレジに行ける状態でも、ターゲットの彼女だけしかレジにいないときには、他の商品を見ているふりをし、他の店員がレジについたらサッとそのレジへ向かう。たまに、袋詰めの補佐をしに彼女が来ることもあったが、直接金の受け渡しをしなくてよいので被害は少ない。「行ってらっしゃいませ!」くらいは我慢してやってもいい。これは私のイライラ減少に効果があった。
 そのため、私は常に彼女を観察することになった。それがまるでストーカーのようで可笑しくもあり、「彼女のことが嫌いなのに!」とちょっと忌々しくもあった。
 彼女の年齢はたぶん、四十歳前後。コンビニには主に昼間いる。平日の昼間にいないときもあるので、おそらくパート主婦だろう。髪は肩まであって、少し荒れ気味である。勤務中は髪を縛っている。終わって帰るときをニ、三度見かけたが、髪をおろして、黒いダウンジャケットを羽織っていた。ダウンジャケットの値段は、五、六千円、というところか。格好は総じて地味だ。店内ではとにかく、めっぽう明るい。二十代くらいの若い店員たちともニコニコし合いながら作業していて、仲は良さそうだ。客と見れば、どんどん話しかけており、「オーケェイ!」も「行ってらっしゃいませ!」もどの客にも分け隔てなく言っている。いつかは七十代くらいの男性客に親しそうに話しかけていた。その男性はニコニコしていた。こういう年配客には彼女の接客は向いているかもしれない。中年の男性客にも話しかけていて、その客も楽しそうにしゃべっていた。子連れの主婦にも話しかけていた。その客も笑顔で受け答えをしていた・・・。
 ちょっと待て。そういえば、彼女に冷たい態度を取る客の姿はあまり見ていない。私は少し不安になった。もしかして、彼女が苦手なのは私だけ? 他にいるとしても、かなりの少数派か? それとも私は、ものすごく心の狭い人間なのか? そもそも、私は彼女のどこが嫌いなのだろうか、と考えてみた。
 彼女はすごく明るいが、空気を読んでいないように見える。どこか作ったような明るさで、わざとらしい。敬語も一生懸命使っているが、丁寧過ぎておかしな敬語になっている。なんか焦っているように見える。いろいろ動いている割にはあんまりさばけていない。2つのレジに同じくらい客が並んでいるとき、別の店員のレジの方がすいすいと清算が終わって行く場面を何度か見た。彼女が発する「オーケェイ!」や「行ってらっしゃいませ!」を聞くと、恥ずかしい気持ちになる。そうそう、今どきの表現で言うと、なんだか「痛い」のだ。・・・「痛い?」
 そう思った瞬間、体の血の巡りがわっと早くなった。腑に落ちた。「彼女は、私みたいなんだ」と。
 そうだ。私は彼女に自分を見ていたのだ。人前に出ると、はりきりすぎ、何やってるかわからなくなる。すぐにテンパって、さばけるものもさばけない。動作がいちいち大げさで、リップサービスしすぎて、しゃべってはいけないことをついしゃべってしまう。理由はないのだが、明るさを振りまこうとする。あとから「あれはちょっとわざとらしかった」と反省するのだが、しかし、それをやっているときは無意識なのだ。・・・ああ、もうこれ以上言うまい。だんだん沈んでくる。私は、そんな私がすごく嫌いなのだ。つまりはそういうことだったのだ。
 もっとも、彼女は私のように「わざとらしかった」などと、じくじくと反省しないかもしれない。本当に純粋に「地」でやっていて、自宅で一人のときでも楽しそうに明るく過ごしているのかもしれない。いや、彼女にはそうであって欲しい気がする。なぜだかわからないけれど。彼女が本当はどんな人なのか、私が知る由もないけれど。
 その人の印象だけで「嫌いだ!」と決めつけてしまったことを、私は激しく反省した。しかも、自分の姿を重ねていたせいで嫌いになっていたなんて、とことん失礼な話だ。あぁ、ほんとに申し訳ない。深く反省した私は、できるだけ優しい目で彼女を見ることにしようと思ったのだった。

 次にセブンイレブンに行ったときのこと。商品を選んだ後、レジに彼女がいたが、
 かまわず、そのレジに向かった。
「あの、お箸要りません」
と言うと、彼女は相変わらず、
「オーケェイ!」
と、元気よく言った。
 そして、店を出るときには相変わらず、
「行ってらっしゃいませ!」
と、私の背中に声が掛かった。
「・・・・・」

 私は、相変わらずムカついていた。
 要するに、人の好き嫌いというものは、あの程度の反省だけでは変わるものでない、ということだ。
(2010)