『当事者対立構造的医療関係』の提言



・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木理夫



ある日曜日の夜、帰宅した私は玄関に貼られた紙片の文字をじっと読み込んだ。
『父 崖より転落し怪我する。病院に入院させた』
との兄の文字だった。まだケータイが一般的でない時代、次の連絡を待つため、ひとまず家の中に入り電話を待った。ほどなく連絡があった。
父が、家の外周フェンス付近を草刈していて足を滑らせ、高さ三メートルもあろう石垣から転落し、救急車で葉山にある病院に搬送された。全身を強く打っているらしい、とのことだった。 

この突然の出来事を契機に、私は好むと好まざるとに拘わらず、「患者の家族」という身分を取得し、医療機関と対峙する場面に引き出されたのだった。
そして、この出来事を巡って、私は二度にわたる医療機関とのトラブルを経験した。その経験を通じて、私の得た結論は次のようなものだった。
医療機関と何らかの対立を起こしたならば、あたかも裁判の場における原告・被告両当事者が弁論を戦わせて「真実」を究明していくように、医療機関と患者は、両当事者の立場からいわば裁判における「真実」に相当する「疾病の治癒」(完治)を目指して、臆することなく対等に渡り合うことこそ大切であるということである。
その際に、裁判における最終判断者たる裁判官の立場に相当するのは、医療の場では「神」ということになるという他はない。
医療機関と患者という両当事者の目指す目的は「疾病の治癒」であり、結果的にそれが成功するかどうかは、「神」の目からしか判別しえないからである。

事故当日は日曜日であり、横須賀市内では、休日でも診療している外科は無く、葉山の小さな整形外科病院にひとまず搬入された。父も常々利用し、内科では入院経験もある市内の大きな病院へ連絡を取り、受け入れてくれる旨の約束を取り付けた後、入院先の葉山の整形外科に父の転院を交渉することから私の戦いは始まった。もちろんこの病院でも応急処置をしてくれていたので、このまま治療を継続することも考えたが、やや遠距離ということと、慣れた病院の方が良かろうとの判断から、転院させることを私は決意していた。
しかし、医療機関はひとたび受け入れた患者を他の病院に転院させることを容易には認めようとしない。私はまず院長と話をしたが、彼の
「今、動かしたら死にますよ」
という一種脅迫めいた言葉に驚かされた。仕方ないので看護師長を通じて院長を説得することとし、
「既に横須賀市内の病院が受け入れてくれることに話はついている。院長に転院を許可してくれるよう働きかけてほしい」
と願い出た。師長は私たちの希望を酌んで内部から説得してくれて、転院に向けての方向性が見えつつあった。
院長と再び面談した私は
「今動かして死ぬなら、動かした私の責任だ。自分の父親なんだから、全て私が結果責任を引き受ける!」
と強く主張した。私のこの強い態度と師長の柔らかな説得が奏功し、ようやく転院にこぎつけた。
友人に借りたワンボックスカーの後部座席を倒し、そこに布団を敷いて父を病院から運び出そうとする時、師長はほとんど動きの取れない父を両腕で抱きかかえ、車内に乗り込ませてくれた。転院に反対していた院長も、出発間際には診察室から急ぎ足で出てきて、
「ゆっくり走ってあげて…」
と声をかけてくれた。
もちろん医療に関しての素人である私たちは医療者側の医学的見地からの意見には最大限の敬意を持って接しなければならない。それは私も十分理解している。
しかし、どうしても納得のいかない意見や態度に接することは避け難い。そこに患者側の大きな悩みがある。
医療機関の意向に反する行為をすることは、大変な労力と覚悟がいる。その際には
「絶対に自分の考えを曲げない。最後は全ての責任を自分が負うのだ」
という強い信念を相手に示すことが大切なのだ。
こうして第一のトラブルは何とか解決できた。

しかし、転院させた後も、まだ戦いは続いた。慢性硬膜下血腫との診断であり、脳神経外科の手術が必要だった。ひとまず入院させていた内科病棟へ、説明のため若い脳外科医が来た。だが、彼の横柄さにはただただ驚くばかりだった。もう昼近くになる時刻に、「今日の午後なら脳外科の先生が揃っているので手術できる。どうするか」
とのことだった。
「『今日の今日』ではとても判断できない。私ひとりの考えでは決めかねるので、兄弟にも相談したい」
と、手術は待ってほしい旨申し述べたが、脳外科医は
「遅くなると命に関わるよ。いま断って、次に私に会った時に『助けてください』と言っても知らないよ」
と、初めに搬入した整形外科院長を思い起こさせるような脅迫的言辞が続いた。それでも「今日、手術と言われても無理だ」
という旨を繰り返し伝えて、その場は別れた。
さてどうするか、私は思い悩んだ。まずは知り合いの医師に相談することを考えた。専門家はどうなのか、どう考えるのか。知人の医師は自分の病院の脳外科医に問い合わせるなどして検討してくれた。その結果
「そこの病院の脳外科部長は人格、力量とも優れているので安心して任せても良い」
とのことだった。初めに説明に来たあの若い脳外科医は部長の部下だ。それなら直接部長と話をするのが手っ取り早いと考え、知人の医師を通じて有力者に紹介状を書いてもらい、部長に会った。聞いたとおり部長は信頼のできる人物であり、ここで手術をすることに決めた。
部長の執刀で無事手術を終え、父は一命を取り留めた。

この二回の医師との「対決」を通じて、私にはいくつかの学ぶことがあった。それは強圧的・独善的医療機関に遭遇した時には、決して引かない、という強い信念を持たねばならないこと、そして、医師も患者も目的は唯一つ「疾病の治癒」にあるわけだから、そのためには相対立することも時には必要となる、ということだ。まさに裁判における原告被告両当事者と近似しているのではないかと思われたのだ。
真相を究明するために、一方の立場に立ちつつ、相手方当事者と対決し、論戦を戦わせ合う。その中から本当の真実が見える。医療機関と患者側とが対立した場合には、この「当事者主義的裁判構造」こそ、医師と患者側との関係に最も近いのではないだろうか。
裁判での「真実」こそ、医療の場での「完治」なのではないか。そうだ、戦うことは決して医療機関を敵に回すことではなく「真実」たる「完治」を目指しての対立当事者の絶えざる努力の場なのではないか、と考えたのだった。
 『当事者対立構造的医療関係』・・・
この関係に依れば、医師に対して臆することなく自分の意見を申し述べ、医師もまた十分な説明努力によって患者を納得させる。こうして相対立させる先にこそ、最良の医療を得て、最良の結果すなわち「完治」を手に入れることができるのではないか。

今後、医療機関と何らかの形で対立を招いてしまった際には、この考え方を根底に置きつつ、「患者」あるいは「患者の家族」の立場を貫いて行こうと考えている。その立場を貫くことこそ医療機関における最良の医療を引き出す最善の道であると確信している。




PROFILE
神奈川県横須賀市生まれ
神奈川県立横須賀高校卒
東京都立大学
法学部法律学科・政治学科両卒