ミーちゃんは知っていた・・・・・・・・・・・・・・・・・・杉村翠




 散歩の帰り道だった。
「おうちはもうすぐそこよ、また明日ね」
 愛犬アンは不満そうな顔で私を見上げる。
「どこまで行って来たの? 毎日が楽しそうでいいね」
 聞きなれない声に振り向いた。道路をはさんだお向かいの家に住んでいるお爺さんだ。そこは借家で、ときどき住む人が入れ替わる。一人暮らしには広すぎるようだが、愛猫と共の生活にはその二階建てが、お気に入りらしい。入居されて数年ほど経つだろうか。
 八十歳にも近い感じだが足腰もしっかりで、スーパーのレジ袋をぶら下げて、出入りしているのをよく見かけたものだ。だが、客らしい人はほとんど見受けなかった。気難しそうな人、道で挨拶しても、素知らぬままが多かったのに……どうしたのだろう。今日はしゃがみこんで、我が家の愛犬の頭をやさしく撫で回している。
「じつはね、うちのミーちゃん(雌猫)が、二、三日前から家出中なんですよ。夜中も下の部屋の雨戸は少し開けたままにして、帰ってくるのを待っているんです」
「それはご心配ですね。でもたまにはお友達と遠出して遊んでいるのかもしれませんね」
「でも、妙に気になるのです。あのときの、動作や表情が。外から帰るなり急に膝に乗り、暫くじっと私の顔を覗き込み、満足そうに目を細め……とたんに、プイッと出て行ってしまって、それっきりなんですよ」
 初めての会話であった。たまらなく心配していることが伝わった。黒と茶混の愛らしい猫。我が家の門柱の上で、のんびりと自慢の長い尻尾をおろし、冬の陽だまりを満喫している姿などは、まるで置物そのものに見えた。
 ペットにお互い愛情を注いでいることで、このような話が自然にできてしまう。と心温まる思いで親近感を抱いた。
 それからひとつきも経っただろうか、秋も深まったある日、そろそろ夕食の用意に取りかかろうかと、エプロンを手にしたとき玄関のチャイム。この時間にだれだろう……?
 ドアを開けた。
「この地区の民生委員です。じつは前の家の山辺さんに、定期訪問に来たのですがお返事がありません。新聞も二、三日分ほど、溜まっていて、二階の電気もついたままのようですが、ご存知ありませんか」
「さあ……。詳しいことは知りませんが、つい先日はお元気でおでかけのようでしたよ」
 民生委員は、「そうですか」ではすませなかった。いっしょに来てほしい、というので夫と同行した。玄関先で大声で呼びかけた。
「山辺さん! 山辺さん!」
 だが応答はなかった。
 そのときふと、思い出した。愛猫ミーちゃんのため裏の雨戸をいつも少し開けたままにしているということを……。でも、いかに民生委員であろうと空き家に勝手に出入りすることは不法侵入で、警察の立会いが必要とのことである。連絡をうけて警官がかけつけた。その警官と民生委員、それに夫が加わり、小さく開けてあった裏の入口から入り、怪訝な顔で二階に上がっていった。頭の中は最悪のことがちらつき、体中が鳥肌になり玄関で立ちすくんでいた。いやな予感は的中した。
 死後三日くらい。布団のなかで寝姿のまま、枕元には血圧降下剤と心臓病の薬が置いてあったそうだ。心臓発作の急死だったのであろう。検死のため、遺体は毛布にくるまれて、警察からの迎えの車に担ぎ込まれた。
 我が家の狭い庭に咲いていたコスモスやセキチクの花をいそいで摘みとり、にわか造りの小さな花束を、その毛布の上に添え、手を合わせた。
 目のあたりにした孤独な老人の死……。
 車は下り坂の道を西に向かって静かに動きだした。落日後の空は茜色に染まっていた。やがて遠くに……車は夕闇に包まれていった。

 ミーちゃんは、近い日に主と別れがあることを察知していたのだ。動物の持つ不思議な勘というものがあるのだろうか。あのとき、あらためて感謝とさよならを告げて、立ち去ったのであろう。今ごろはどこをさまよっているのかしら? 悪戯っぽい可愛い瞳、歩きながらなびかせていた自慢の尻尾。押し入れの中は、キャットフードがあふれていたというのに。
 その夜は、葬儀もなくあわただしく家の中が片付けられ、いつのまにか空き家になった。残された柿の実が色づいていた。
 数日後、子息夫妻が挨拶に来た。私は涙を抑えて言った。
「お父上は、自由気ままに日々ミーちゃんと楽しそうにお過ごしのようでした。お幸せなご生涯でしたね」
「奥さん。今のそのお言葉で、私たちは救われました。ありがとうございます」
 と胸を詰まらせ……彼の目から大粒の涙が溢れた。このような家族があったこと、そのときはじめて知った。

 十年ほど前のできごとであった。ミーちゃんは冴えた勘の持主だったのだ。夕暮れの秋風は今も寂しさを誘う。
 私たち夫婦も、今は後期高齢者。やがて一人暮らしの日が来る。避けては通れない人の死。あの日のことは身につまされる……。