ふるさとは零下三十度・・・・・・・・・・塩狩虹生


これは冬には零下三十度を超える極寒の北国のある地方都市を故郷とする男の追想録である。

一、角巻き

 戦後まもない、私がまだ二才半ばの頃のことであるが、何故かしばしば、ある光景が脳裏をよぎる。そう、私は雪の中を歩いていた。
いや、歩いていたのではない。私は母に背負われて、零下三十度の町の降りしきる雪景色を見ていたのだ。
すると、遠くに小豆色をした三角形の、なんとも恐ろしげな怪物が、おぼろげに見え、だんだんとこちらに近づいてくるではないか。

はて? 何だろう、絶え間なく降りしきる雪のため、なかなか正体がわからない。なおもどんどん近づいてくる。

私は恐ろしくなって母の背に顔を埋めた。それからしばらくして、もう怪物はいなくなっただろう。もう顔を出しても大丈夫だろうと思って、恐る恐る顔を出した。

 すると何と言うことか、目の前にその怪物がいた。私は思わず、あっ!と、声をあげて母の背にかじりつき、首をすくめた。それから、こっそりと目だけ出してじっと怪物に目を凝らした。

 すると、驚くことに、雪にまみれた不気味な怪物の口の中から、ひょいとちいさな顔がのぞいたではないか。
なんと、怪物の中に人が居たのだ。それを見て、私はどっと安心した。
何ということか。それは怪物どころか、ばさばさと空が落ちるほど降りしきる、大雪から逃れるために角巻きを頭からすっぽりかぶった女の人だったのだ。

大きな目をした、女の人という印象だけが強く残っているが、年齢も雰囲気もまったく思い出せない。

当時、私のふるさとの北国では、角巻きが多く使われていたそうだ。私は、もう少し後になって上映された映画の中で、目元パッチリの楚々としたヒロインの角巻き姿を見た覚えがある。
確か、真知子巻き?を流行させる元となった映画だったと思うが、定かではない。

でもなんでこんな些細な出来事が、六十年以上も経った今頃に思うのか。
まるで昭和映画の一シーンを切り取ったかのように、鮮明な画像となってまざまざと蘇るのだろう。
(小津監督ならきっと採用するシーンだ。)

大雪の中、しかも、もう2才を過ぎてさぞや重かっただろうと思われる私を背負って、ただ、黙々と歩いていた母の姿。
そして背負われている私の姿が、降りしきる雪の景色を通して目に浮かぶ。

でも一体何故、幾度となくこの光景が脳裏をよぎるのだろう。そのことをだれかおしえてほしい・・・・


ニ、竹箒

 私はもう、二才は過ぎていただろうか。私が住む北国の地方都市にまで、しばしば敵機が来襲した。まるで面白がってでもいるように辺りかまわず、機銃掃射をして機関銃の弾を撒き散らし、去って行くのが常だった。
高射砲も全然役に立たず、ただ防空壕に隠れているのが精一杯だった

 そんな敗戦も濃厚となってきた、終戦直前の出来事である。
 何故か私は、竹箒を持って部屋の中をうろうろ、よたよた走り回っていた。
それは、予期せぬ大事件が私を襲ったからだ。

ある日、目が覚めると、母の姿は見当たらず、私は一人で布団の中にいた。
すると突然、空襲警報が鳴り響いたのだ。
父母はもちろん、弟や姉妹も誰も居なかった。
もう、どうしていいかわからない。

おそらく、篭の中の驚いた小鳥のようにぱたぱたするしかなかったのだろう。私は竹箒を持って、かあさん、かあさんと泣き叫びうろうろ、よたよたと走り回っていたのだ。

その時、その叫び声を隣の家の「つよし」お兄ちゃんが、聞きつけて駆けつけてくれ、「つよし」お兄ちゃんの家の防空壕へ避難させてくれた。「つよし」お兄ちゃんが泣き叫ぶ私を抱きかかえて運んでくれたあの一瞬が現実ではなく夢のような気もする。
忘れられない。

当時私は大きな製造会社の社宅に住んでいて、どの家でも、家の前には物置小屋があり、その下にこっそり穴を掘って五人位は避難できる防空壕を作っていたのである。
警報が解除になり外へ出ると、みんなが遠くを指差し騒いでいた。そこには製紙会社の大きくて太い煙突があった。
その煙突の中程から二筋の黒煙が吹き出していて、煙突が今にも倒れそうなほどの大きな穴が二つ空いていたのだ。

記憶はそこで途切れている。
しかしそれから何年かして見た煙突にはまさしく丸い二つの修理跡があった。
あれは夢ではなく本当の出来事だったのか:
今も竹箒を持って、必死な面持ちでウロウロしている幼い自分の姿が目に浮かぶ。