「子どもと障子」論・・・・・・・・・・・・・・・・・・霜月サンデー





 私が興ざめしてしまうものの一つに、「障子が破れているオシャレな家」というのがある。
 「障子が破れているオシャレな家」ほど、興ざめするものはない。それが、桟で区切られたほんの一区画の中の一破りであったとしてもである。
 家の外観をどんなにモダンな近代建築風にしていたとしても、草花や樹木を豊かに育てた中に木製のベンチや白いパラソルなんかを配して庭をビューティフルに整えていたとしても、鋳物のポストにローマ字の表札を掛けて外周風のアプローチをこれでもかとプロデュースしていたとしても、破れた障子が見えた途端にそれらは霞む。
一気に興ざめだ。

 私は障子が破れているオシャレな家を見かけるたび、思った。
 「破れた障子を、侮ることなかれ」と。
 貼り替えられない事情があるのかもしれない。
 しかし、だ。
 破れた障子は、それを見かけた部外者に同情する余地を与えない、絶対的強さがあるのだ。

 障子はどうして破れているのだろうか。
 原因の大半は、子どもだと思う。障子が破れている家に聞き取り調査でもして回って、破ったのは誰かと質問すれば、そのほとんどが子どもだと答えるはずである。
 子どもは、障子を破る。
 遊んでいたりしてたまたま「破ってしまった」パターンもあるだろうけれど、案外、積極的に「破った」パターンも多いのではないだろうか。私も子どもの頃、障子を破ったり、障子にプスッと指を刺した記憶がある。
子どもは、障子を破るのだ。

 五年ほど前、「子どもと障子」に関することで興味深い出来事があつた。
 私たち家族が今住んでいるのは、五年前に建った家だ。その出来事は、家の完成後間もない頃に起こった。
 引っ越し前の新しい家に、その当時一歳前だった息子と二人で寄った時のことである。
 私はピカピカのリビングルームで、運んできた荷物を出したり、窓のサイズを測ったりしていた。
息子は私のそばで遊んでいた。

 リビングルームに隣接する和室の掃出し窓には、障子があつた。和室の入り口は、引き戸だ。入り口をピッタリと閉ざしていたところで、一歳前の息子にも簡単に侵入できる。
 危険度は65から70といったところだった(100がMAXという設定)。私はハイハイや伝い歩きで移動する息子からなるべく目を離さないようにした。
障子を破られたらたまらない。

 ところが、不覚にも私に一瞬のスキがあった。
息子は引き戸を開け、和室に侵入し、ハイハイで障子へと向かったのである。私が気付いた時には、息子は頭が付きそうなくらい障子に接近していた。
 危険度100の事態である。
赤いランプがせわしく点灯し、危険を知らせるサイレンが鳴り響く。
 サイレンの合間に、ロボットのような無機質な声もどこからか聞こえてくる。
ヒジョージタイハッセイ、キケンデス、キケンデス……。

とつさに、ああ、破られる、と思った。がしかし、いや待てよ、とすぐに思い直した。
当時の息子は「障子」というものを知らない。
それが紙でできていて簡単に破れる、ということを分かっていない。
だから、障子をいきなり破るなんてことはしないはずだ、と思った。

 危機感が薄らいだ。
 赤いランプもサイレンもロボットの声も消え失せた。私は慌てるのをやめ、息子にゆっくりと近付いた。
 とその途端、息子は人差し指を立て、それを障子に向けて突き刺そうとしたのだった。
 赤いランプ&サイレン再び!
ヒジョージタイハッセイ、キケンデス、キケンデス……。
慌てて息子を抱き上げて、なんとか事なきを得た。

 その一件は私を考えさせた。
 どうして息子は、障子に人差し指を突き刺そうと思ったのか。息子は障子というものを知らないのである。
 そもそもその前に、どうして障子に向かって行こうと思ったのか。息子は引き戸を開けて和室に侵入した後は、障子に一目散だったのだ。
 考えた挙げ句、私は結論に達した。
 それは、「本能」なのだと。
 私は学者でもなんでもないので、細かい追及はなしにしてほしい。
でも、思ったのだ。

「子どもの、障子を破りたいという欲求は、本能である」

 新築の家に引っ越してからは、「障子を破りたいという本能的な欲求を(たぶん)持っている息子」と「障子が破れている家だけは(絶対に)勘弁と思っている私」の攻防戦が、密やかに繰り広げられた。
 そして私は破れた。
 いや、破られた。
 結局、「本能」にはかなわなかった。
 三回くらい破られた。
子どもは、障子を破る。

 ところで、破られてみて、破れた障子を放置する人の気持ちが分かったような気がした。ああ面倒臭い、貼り替える暇がない、それにたった一区画だしー……などと、当事者になると心の中は言い訳の嵐になる。
 必死で見てみぬふりもした。
一番長くて、半年は放置したと思う。

人の家に興ざめする資格なんて、私にはなかったのだ。