清水一美




導き


 ある日曜の昼下がり、玉川上水の涼やかな木陰に、その女性はおりました。そして、行き交う人、一人ひとりに挨拶をしているのです。散歩をする夫婦連れ、ジョギングに汗を流すおじさん。それらみんなに「こんにちは、こんにちは」と、頭を下げ下げ、己の務めにそれは満足そうなのです。顔の皺などから若い人ではないようです。それなのに、仕草などはいかにも幼い。舌足らずなうえに背格好も小さなものだから、最初は幼稚園児かと思ったほどです。それが行き交う人を分け隔てする様子もないことから、あるいは宗教の勧誘かとも勘繰ったものです。ですが、挨拶を返されても、にこにこしているだけで、それ以上その人を引き止める様子も見られない。では、宗教関係ではなさそうです。どうやら知的障害を負っている人、そう自分を納得させて、それなり彼女は、私の識閾の奥深く消えていくかと思われました。



 三十代の後半、一年ほど山小屋で働いたことがあります。動機は越冬。寂しい山小屋で厳しい冬を越してみたい。そうすれば、新たな人生が開けるかもしれない。そんな期待があったのです。

 十二月の中旬、未だ雪のない山小屋に入り、なんだか期待はずれのまま迎えた新年。山は忘れていたものを思い出したように、日一日と雪化粧を厚くしていきました。そして山に入って一月余り。山小屋では使えないパソコンなどの不要な荷物を降ろしてしまおうと、私は休みをもらって山を一旦下りることにしました。山を下りるという日は、あいにくの吹雪でした。山小屋の番人Sは、危険だから一日日延べするよう勧めるのです。窓から眺める雪は斜に流れ、近傍の山は紗を透かした影絵のようです。私はSの勧めに従いました。

 翌日は、真っ青な虚空に新雪がまぶしい、絶好の下山日和になりました。Sは、一人では不案内だろうと、私を送ってくれるというのです。スコップを手にしたSはスキーを履き、私は和カンジキで下山です。スキーのSは、快適に下っていく。ですが、新雪にカンジキは向かないのです。カンジキは軟らかい雪に潜るばかりで、百メートルを進むのが骨でした。見かねたSは、私のためにストックの一本を貸してくれました。ストックのお陰で転倒は防げましたが、それでも歩を稼ぐのは容易ではありません。途中谷底を望む崖に架けられてある橋に差し掛かると、Sは山側の雪のささくれをストックで指し示しました。

「雪崩だ。昨日下りていたら、やられていたかもしれねえ」

 と険しい顔を向けるのです。滑らかな新雪の肌理に、凶暴を曝した後悔の念のようにささくれた傷跡が痛ましいのです。

 ようやく、車止めの「ゲート」と呼ばれる広場にやってきました。里までは四分の一。小屋から二時間掛かっています。Sは、スコップで雪を掻き出していました。

「猟師かだれかが、昨日ここでキャンプをしたのだろう」

 声に促されて見れば、新雪の中に、ぽっかりと一画だけ四角い凹みが認められます。

「俺は車を雪から掻き出して、行けるようなら追いかけるから、お前は先に行っていろ」

 私の表情に不安の影が差したのでしょうか、彼は一筋の足跡を示し、

「この足跡が、道案内をしてくれるから」

 そしてSは、埋もれた車を掻き出すために、再び雪と格闘を始めたのです。



 その日、私は早めに銭湯に入り、午後四時ごろ、玉川上水の木陰に自転車を走らせておりました。残暑の中、湯上りの肌を上水沿いの緑陰を含んだ風が、軽やかに撫で過ぎていくのを楽しんでいると、小さな橋の袂から、悲痛な声が耳に飛び込んできました。見れば、あの小さな女性です。舌足らずで、それが泣き声なものだから、何を訴えているのか分からない。彼女を過ぎた所で後ろ髪を引かれる思いで、そちらを伺うと、一人の夫人が、腰を屈めて訴えに耳を貸しています。小さな女性はビニール袋を掲げてしきりに訴えるのですが、どうも要領を得ない。夫人は、

「硬く結んでしまって、開けられないの」

 そう、尋ねると、小さな女性は泣きながら頷いています。どうやら、ビニールにはおやつのパンが入っているのです。夫人の細い指が、ビニールの結び目に掛かるのを見て、私はその場を後にしました。



 日もまだ高い。日暮れまでには、里に下りられる。一人になっても私は、楽観的でした。経験から、歩き続けてさえいれば目的地に達せられる。そうした自信もあったのです。体力を温存すべく、雪に足を取られないように一歩ずつ確実に歩を進める。しかし、はかが行かない足取りに、あの林を過ぎれば、この林を抜ければ……と、私は一歩を重ねるほどに里を求めずにはおれなくなっていきました。

 中天に高かった太陽も、冬の早い日没へ向けて傾斜を増してきました。その頃には、山小屋生活に不必要な荷物で一杯の六十リットルのザックが、禍々しい怨霊のように私に重く取り憑いてくる。里まではそんなに時間はかかるまい、そんな慢心から、食料は全く持ってきておりません。一応ツェルトは用心のために入れてありましたから、ビバークは可能です。ですが、ビバークするだけの腹が決まりません。その隙を、焦りが突いてくる。その焦りが、足元をいよいよ危うくする。業が煮えれば、疲労が増す。その悪循環の中で、私は己の愚かさを噛み締めておりました。雪の上の足跡が、点々と林の間を伸びていく。その様を、恨めしげに私は見遣ったものです。

 とうとう時計の針が、三時を回りました。日没までもう二時間もありません。小屋を出てから既に六時間。疲労困憊した私は、自棄を起こし、ザックを放り、それを枕に雪の上に大の字に身を投げ出してしまいました。

 冬の空は昏いと思えるほどに、一点の曇りもなく青く澄み透り、吸い込まれそうです。その空を、太陽が緩やかに、しかし確実にその傾斜を増し、木々は徐々に影を伸ばしてきておりました。

 どれほどそうしていたでしょうか。突然、

「おい」

と呼び声がし、私は身を起こしました。Sが追い着いたのかと思ったのです。しかし、だれもおりません。雪煙が木の枝から、スターダストのように風を輝かせているだけです。



 未明の暗がりに、私は目覚めました。だれかに呼ばれた。いえ、記憶の奥から哀願する声があったのです。それは橋の袂で泣いていた女性であることに、私はすぐに気がつきました。その時です。激しい後悔といってもよい、熱い希求が私を襲いました。なぜあの時、彼女の哀願に応えるのを、私はためらったのか。あの女性を泣かせていてはいけない。あの女性の姿を通して、神は私たちに語り掛けている。あのような人々が、幸せに暮らせる世の中であらねばならない。弱い人、小さな人々が、虐げられるような世の中に、救いはない。そのような人々に、いつでも手を差し伸べられる、そんな自分でありたい。私は心から神を頼む、祈りの思いを強くしたのです。



 雪の上の足跡は、黙ったまま私を見ているようです。沈黙の励ましを受けて、私は気を取り直しました。ザックはいわば、私の愚かな無知で一杯です。私はその無知を背負い、押し潰されそうになりながらも、根気よく勇気をもって歩まねばならない。いよいよとなれば、ビバークも致し方ないが、今は限りある己の力を試そう。そう叱咤してくる自分に励まされたのです。

 私は、放り投げたザックを再び背負いました。もう粗末にはすまい。そう詫びる気持ちで、一歩一歩の重みを我が身に受けて。ですが、目覚めた人のように心は晴れやかでした。

 やがて、太陽は、私の猶予を願う気持ちを待つこともなく、林を透いて向こうに見える山の端に消えてしまいました。急速に暗さを増す林の木陰に、その時、私は一点の明かりを見つけたのです。人里です。

 雪がなければ、三時間余りで着く距離を、歩き続けることおよそ八時間。やっと私は麓の里に下りられたのです。

 暗い夜道を駅と思われる方向へ歩いていると、後ろから来た軽トラックが停まり、地元のおじさんが駅まで送ってくれるというのです。足の痛みと疲労、加えて駅までの不案内な道に、私は瞬時のためらいもなく好意を受け入れました。いつかだれかに、この恩を返せる日の来るのを願って。



 夕闇の滲む師走の繁華街で、闇を集める人の影の中、そこだけ街灯が淀んでいるかのような影の濃い街路樹の根方に、それは芥となって固まっていました。行き交う人の影に怯えるように、それは小刻みに震えているようです。行過ぎる瞬間、私が見たものは、毛布を被った浮浪者でした。恐れ逃げる後ろめたさから、数瞬のためらいの後私は引き返し、彼の肩に手を置きました。爆ぜるような驚きにひるむ手から、彼の肩の震えが私の心臓に達する。気を取り直しお金を渡そうとすると、

「い、いらないんだ」

 彼は首を振って拒むのです。さらに深く毛布を被る彼を後に、深まる闇と混迷する雑踏に耐えながら、私は彼の肩の震えが私の気を引き立て、細い光の導きとなって、先の暗がりを照らしてくるのを覚えるのでした。
(2007)




大岳渓谷にて



 低い地鳴りを上げて駆け下る渓流のすがたは、人であれば壮年のそれであり、であれば、行き着く先の海を死と呼んでもいいわけで、だが、そのなんと豊穣なことよ。いのちは海に恵み、常世というものも、まれびとという存在も、海を忘れてわたくしたちの祖先には考えられなかった。豊穣は海を介して……その黄泉の世界から群れをなして還ってくるもののある。その循環の賑いよ。黒い地肌に緑の苔の瑞々しい岩を洗い、白い飛沫を上げて流れ下る渓流を見ながら、そう思った。

 やがて秋川と合流する養沢川の広い渓筋に点在する人家を繋ぐバス道から、尾根と尾根が迫る狭い大岳沢沿いの林道に入ると、互いの尾根が呼び交わし谺する瀬音には言霊が宿り、祝詞以前の太古の聞きわけられぬ言祝を託宣する、水底の光と影の揺らぎに変わらず在り続けるもののすがたを偲ばせてくる。それはわたくしたちのこころを思わせ、こころを湛えるいのちのすがたに相通じるものがあるのだろう。法と呼び、あるいは神、またはイデアという。絶えず変わり続け、そのすがたを留めることのない川の流れにも、普遍かつ不変のすがたがあり、川といい、渓谷と呼べば、わたくしたちの脳裏にはそのすがたが彷彿とされる。また、変幻自在、そう見えている川筋にしても、わたくしたちが捉えているもの、それは一定のリズムであり、法則なのかもしれない。そして、その法に与る存在であるところの自我に気付くとき、わたくしたちは解放されたすがたを観ぜられるのではなかろうか。では、解放とは……。

 尾根の影になって、朝日の届かない春浅い渓谷沿いの林道は、所々に薄氷を張っている。渓流の流れはまるで自らが光を放っているかのように、明るい空を映して眩しい。岩がちの沢筋では白波を立てて狂喜乱舞し、淵に落ちて白く泡立ち開けた淵に身を澄ませ水底のさやかな深みに一息つく。躍動感に満ちた生命以上に、いのちを実感させる。そうだ。いのちは、生物だけの特権ではないはず。岩には岩の、水には水の、山には山のいのちが、ある。存在。それ自体が、いのちといっていいのではなかろうか。かつて存在の背後に神を認めた祖先たち。それは存在に与るわたくしたちのすがたではなかったか。すなわち、かれらが認めた神とは、還元すればこうして存在している己のいのちに他ならないのだが、その己に反映される諸々の神々があり、反映し反映されるその神とは、征服や支配被支配という関係からほど遠い存在のすがたである。
 水よ、わたくしとはおまえであるか。しかり。わたくはおまえでありたい。岩よ、おまえはわたくしでありたいか。山よ、おまえは……。わたくしとは、天地創造間に放たれた、一個の問いにすぎぬ。その眼差しが、天なる父を求め、母なる国に憧れるのだ。

 やがて、林道は終わりを迎え、大岳沢に架かる小さな木の橋を渡る。そのころには朝日も尾根の上に晴れやかな顔を出し、沢に水はいよいよ生命に満ちた表情を溌剌とする。まさしく水面は照り輝き、水はその母なる天を自らのすがたと反映させる。水面に反射される光を惜しみつつ、わたくしはその木橋を渡る。ほんの十歩にも満たない歩数を、わたくしは惜しむ。彼岸への途次、波に揺籃する光の帯が川底に伴走する影を走らせ、その光陰を黒い影が斜めに泳ぎ岩陰に消えたと見えた。去年の魚のすがたを、追ってみた。しかし、その形に似た光を纏った波の影だけが、川底をにぎわせているだけだった。だが、その魚のすがたは、川瀬の光陰に刻まれているのではなかろうか、光の記憶として。

 一歩を刻むごとに、道はわたくしを高みへ導く。励まし、伴走するかのようにも、瀬音はわたくしの気を引き立ててくる。その高まりの最中に、大滝が現れた。雪解けの水を集めてか、水量が多い。滝口から落ちた水が、岩壁に跳ね返り、さながら二段滝の様相を呈する。瀑風が草木の葉を絶えずそよがせている。その風に耳を澄ましてみよう。

 滝は、滝に託されたロゴスをもって法を顕現する。落下に表された言葉が滝を滝たらしめ、岩、草木に滝はそのすがたを託す。託された言葉に共鳴する存在がある。ロゴスとは、共鳴し合うものなのだろう。共鳴し合う波長は増幅し、さらなる力となる。その力が存在を証する。わたくしは、あるものである、と。

 滝を左手に、右側の尾根に逃げて滝口に登る。両岸に迫る岩壁に導かれ、渓谷はさらなる奥地へとわたくしを誘う。切り立つ岩場に生えた苔は、苔の緑を映した水滴を絶えず滴らせ、光を集めた身のすがたを川に託す。陽が高まるにつれ、渓谷は光を纏った樹木とともに光に満ちて明るさを増すかと見え、渓谷の底とはいいながら、渓谷が徐々に高度を上げていくのを、空に向かう尾根との位置で測る。尾根はなだらかな勾配を空に引きながらも、まだ両岸の尾根が結ばれる点を示さない。が、明るい空が足を軽くしてくれる。踏み出す一歩が、確実にただ今を証してくれる。
 山で歩くということは、すなわち生きるということにほかならない。一歩。この答えが確実に得られる。価値が複雑に錯綜する都会生活では、得にくい実感であろう。質より量がものを言う世界では、本質を問うなど愚者のすること。いつの間にか、そういう風潮が席巻してしまった。問いを捨てるという行為は、すなわち自らの存在意義を捨てること。この軽薄に気付かないように、消費は絶対量で押し流そうとし、安易な救い願望は、金絡みの偶像崇拝へと走る。
 存在は、価値ではない。いのちに見返りなどない。

 杉木立に入るとすぐ脇を走る渓谷の瀬音も少し和らげられ、ふと己の呼吸が還ってくる。その己の孤独を扱いかねるように倒木を跨ぎ越え、越えた木に手を添えて木肌の名残を掌に留めてみる。その杉木立を抜けて、最後の渡渉点に近づくと、ようやく木の幹越しに渓谷が結ばれる一点が、蒼い空に三角の線を引いているのが見える。いよいよ渓流とも分かれ、尾根へ向けての最後の登りとなる。一か所登山道が崩落し、杉の倒木が細い緑の枝葉で行く手を遮っている。緩い土砂を崩さないように慎重に越えながら、この冬の厳しかったのが偲ばれる。徐々に高度をかせぎ、渓流が足元から遠退き、樹木のささやきが沈黙となって耳に触れてくるころ、チロチロと水の流れる声が耳を誘ってきた。そこは、さらに登山道が急勾配をなして競り上がっていく分岐点。その脇にある積み重なる岩の根方、どこか女陰を思わせるふっくらとした丸い苔蒸した岩の裂け目から水が溢れ出ているのだ。この谷のいたる所に、このような湧水があるのだろう。そして、それらが集まり、徐々に大きな流れへと生い育っていく。まさしく、この岩の裂け目は、生命の湧き出る処。敬意と親しみを込め、軟らかい苔を撫で、水を掬って口に運んでみる。どこか懐かしい、青い刺激が舌に残った。
 と見こう見しながら足掛かりから足掛かりへと一歩を重ね、樹木の影を踏みながら高度を上げていく。ふと、樹の陰りから視界が突然開け、木の枝を額縁に明るい空に聳える大岳山がすがたを現した。蒼い炎を光背に墓標のように鎮まるすがたが、わたくしを貫いた。

 渓谷を溯上してきて、今、天の領域とも呼べる尾根にあり、風も止み、光すらその波長を失ったかと見えるほどに、天蓋の蒼は埋葬された時制の下に、無窮の棺の中にあるような深閑とした静寂に包まれる。生死は分別できない。力強い空が胸に広がった。反映し反映されるもののすがた。寂寥が背後から振り返ってはいけないと、禁忌のように先を急がせる。墓標のように、白い富士が鎮魂のすがたで空に浮かんでいた……。

 大岳山の烏帽子を思わせる縁を廻る、細い大岳神社への迂回路は、人一人が通れるだけの狭い道だ。すれ違う時は、どちらかが、山側へ身を寄せなければならない。谷側はするどく落ち込んでいて落ち葉の深い処など、足を滑らせやしないか、緊張を強いられる。その中ほど、崩落した登山道に掛けられた木橋の上には、岩場が真っ直ぐ青い水球のような天に向かって聳えている。その岩場を伝って細く水が落ちている。その岩を伝って流れた水が、岩の根方の堆積した枯葉に浸み込み、そして木橋の直ぐ下から浸み出して渓へと流れを再び形作って、さらに再び、落ち葉の堆積の下に消えている。そして、あの苔蒸した岩の裂け目などから湧出してくるのだろう。岩の上の水球から岩を伝って流れ落ちた水が集まり、渓谷を流れ下って海に至り、そうして天へ還っていく。循環は、豊潤である。果たして、人間だけがその循環の外にあるといえるだろうか。自分は自分の所有物である。この暗い穴に落ちた思い込みが、自分の足枷となって自由を奪う。自分とは、自分を弔う棺ではない。自由、解放とは、まさしく自分を葬り去った墓穴から立ち上がることであり、復活、この原義は、循環の中で失われることはなく……。
 この結ばれる三角点を見上げた眼差しが、彷彿と蘇ってくる。胸に抱いたそのすがたは、まさしくこの天の最中にあり、その天はそれを思い描くわたくしの中にある。天地間に我一人。孤独。だが、独法師ではない。
(2010)