世界の神は「あ」から ・・・・・・・・・・早乙女 純



         〈1〉



 国連加盟国一九二ヶ国ある。(二○○六年六月 資料)世界には様々な風習や儀式が夜空の星辰ほどあるけれど意外にも「あ」ではじまる神様が多い事に気づく。

 イスラーム教では、アラーと呼ぶ。古代メソポタミアの前のシュメールでは、アンという天空の神が存在する。古代エジプトでは、太陽神をアテンと呼ぶ。ただアテン神はツタンカーメンがエジプトの唯一の神にしようとして神官に反感を買い、彼の死後はアメン・ラーという太陽神が信望するようになった。

 紀元前に栄えたダビデ王が君臨した古代イスラエルのユダヤ教では、神の名を気安く言うのは避け「主」と置き換えて言った。ヘブライ語で「主よ」はアドナイという。むろん日本ではアマテラスがいる。

 このように世界の神々の名前には「あ」がついている。この法則に仏教が該当していないが、それは神でなく仏だからという屁理屈抜きで、「あ」がある事を後述したい。



          〈2〉



 ギリシャ・ローマ神話には「アポロン」「アフロディティ」がある。けっして「あ」が最初だとか神聖な言葉とは言わないが、「あ」のつく神がいる事は確かだ。

 アヌス(肛門)すらカミの出入り口の意味があり、ヤヌスという神も存在する。神ではないが、「アーメン」と言って祈るキリスト教もある。また英国ではアーサー王という物語もあるし、不思議と王妃もアンという名が多い。

 このように世界の至る所で最初の神様や最初に発する神聖な言葉は「あ」で始る事がお気づきになると思う。アチチ。アウチ。自然に口から発する代表的な発音は「Ah」ではないか。英語Water(水)を無理に読むとワダ。 わだつみの神(海)と親近感も感じる。ワタツミは安曇(あずみ)氏の祖神らしい。意外と太古は同じ神を崇(あが)めたと思える節がある。

 紛争で有名なイラクも古代はメソポタミアであり、その前身のシュメールは二万年前から牛の角をした王アンの天空神話は全ての神の源ではないかという説がある。ペルシャの都はスーサーである。このスーサーの王を縮めればスサノオとなる。

 牛頭(ごず)天皇(てんのう)という別名があるスサノオとアンは何か関係があると思う。

 イラン・ペルシャではゾロアスター教の最高神は、アフラ・マズダーと呼ばれる。有翼光輪を背景にした王者の姿で表される。ゾロアスター教の神学では、この世の歴史は、善神アムシャ・スプンタとアンラ・マンユら悪神との戦いの歴史であるとされる。そして世界の終末の日に最後の審判を下し、善なる者と悪しき者を再び分離するのがアフラ・マズダーの役目である。この光明の審判の神がインドにてサンスクリット語のアミターユスという無限の光を持つものとされる意味になった。

 少し脱線したが、ホモサピエンスは単一起源がDNA的にあるくらいなので、自然発生音が「あ」になっても可笑しくない。まして神話起源からでも同じ源の可能性があるのもミステリアスである。



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 さて該当し難い仏教は、仏という煩悩に悩む我々が悟ってゆく宗教なので、単純に菩薩名に「あ」がないからと落胆はいけない。

 煩悩から抜け出せない自分に気づいた者を仏の世界では悪人(あくにん)と呼び安居(あんご)という夏の雨期に三ヶ月は小虫を踏み殺さない修行を含んだ諸国行脚(あんぎゃ)をして小乗仏教で最高の悟りに到達した修行者は阿羅漢(あらかん) と呼び、不動の心の平安を得る事を「安心」と云う。

 語呂合わせの感が強いが、釈迦が始めた仏教を広めたのがアショカ王らしい。

 さて悪人が煩悩に気づき修行している仏像は菩薩とされているが、完全に悟りの境地に達した時、阿弥陀如来となる。アミダはゾロアスターのアフラ・マズダーの音写ではないかと云われている。阿弥陀経は大宇宙のガンジスの砂粒のごとく天上に輝く諸仏から、ずば抜けた阿弥陀仏の無限光明の力を賞賛した経典とされている。あみだくじは、阿弥陀如来の光背に似ているからだと云う。昔は放射線状から延びていたが今のくじは平行に伸びているから連想しにくいけど。

 強調したいのは「あ」の法則が仏教でも存在している事。人が発する「あ」がまず自然に声が出る。

 仏教は逆説的に煩悩から逃れられない己に気づいた者を「悪人」といい神聖な「あ」を付加して呼んでいたと言える。



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 このように世界の神は「あ」で始ると語っても過言ではあるまい。

 なのに世界では互いの宗教を罵り合う。本能だけで生きていけない人類は、自ら(みずか)納得するための説明が生じた。その必然が神であった。源が同じならば「あ」で始るのは偶然ではない必然なのだ。いずれにしろ瞳の色は違うけれど、ホモサピエンスが自然に発する声は「あ」なのだ。世界混迷の昨今ゆえ「あ」は大事にしたい。