美しい男の定義・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Sanny



 もう今から二十年近く前になるが、東京青山の、Tという会社でアルバイトをしていた頃の体験談を書こうと思う。その当時同じ部署に、二十四歳になる、美形のTという男性社員がいた。憂いをおびたような睫毛の長い、ぱっちりとした大きな目に鼻筋の通った、まるでギリシャ彫刻のような美形で女子社員たちの、ちょっとしたあこがれの的だったのだ。私も例外ではなく、Tとちょっと口が利けただけでも、ときめきを感じていたものだ。しかし、このときめきも長くは続かなかった。Tの冷淡な性格が、だんだんとハナにつくようになったからだ。
 ある日アルバイトの女性が、書類を床一面に落としてしまうという事件があった。散乱状態となり、周囲の人達は、もちろん拾うのを手伝ってあげたのだが、Tは何事も無かったかのように彼女の前を素通りしデスクに戻ると、なんと、いつもの彼の仕事を淡々とこなしていた。急ぎの仕事があるなら、それも仕方が無いが、どうみてもそんな風には見えなかったのだ。
 それからこのT、美人と不美人に対しての態度が、あからさまに違うのだ。当時同じ部署にFという背が低くトドのような体形をした、お世辞にも美しいとは言えない、はっきり言えば、しこめのアルバイトの女性がいた。TはこのFに話しかけられでもしようものなら、ろくに目も合わさず、ひどい時には背中を向けたまま、ぶっきらぼうな応答で露骨に嫌がっているのが、はっきりと判った。それに比べて社内でも可愛らしいと評判の新入社員のS嬢に話しかけられるとTは、とたんに嬉しそうに相好を崩しデレデレと、なんともだらしがなくなるのだった。美人と不美人では男の態度も多少変わるのは仕方ないのかも知れないが、あれほど酷い差別意識を持った人間は、そう多くはいないだろう。それから間もなくして、Tを決定的に嫌いになる事が起こった。
 ある日Tからお昼を一緒に食べないかと誘われ、Tともう一人の男性社員、私ともう一人の女子社員の計四人で会社近くのレストランに出掛けた。その日の話題は近く退社予定の女子社員Hさん。餞別として彼女に皆で何か贈ろうということになり、私は「ピアスなんかいいんじゃないんですか。」と提案してみた。するとTは馬鹿にしたように鼻で笑い「ピアスだってよぉ」と、そんなものというように一蹴したのだ。その後も私が何かを言う度に、こんな調子で茶化され、まともに会話ができないのだ。Tにしてみれば、テレもあったのかも知れないが、私は恥をかかされた気分になり、かなり不愉快であった。それにTは封建的なメンタリティの持ち主らしく、彼の会話を聞いていると「男が、そんなことできるか。」とか、やたら男としてのプライドをふりかざすのだった。「そして食べるのが遅い私に向かってTは「早く食えよ。」と言い放ったのだ。長野県を決して馬鹿にするわけではないが、長野県出身のTの頭の中は明治時代までの男尊女卑、封建的な日本のままでいたのではないかと思う。今から二十年前の話ではあるが、当時でも既に男女雇用均等法が確立されていて、女性の社会進出は目覚しいものがあった。それを考えるとTは、あの時代でも珍しいメンタリティの持ち主であったと言えるだろう。いくら私が目下のアルバイトの存在だからといって、こんな口の利き方をしてもよいものなのか。Tのような、スマートな会話ができないメンタリティが田舎者というのは、はなはだ周囲が迷惑するのだ。その後、なにか私の言うことが、気に障ったらしく、それっきりTはプイッと、私とは口を利かなくなってしまった。男のプライドを振りかざす割には実に女々しい男である。そういえば以前にも、こんなことがあった。酒の飲み過ぎがたたり、入院中だったHさんの見舞いに一緒に行かないかとTに誘われ、約束をしていた当日、Tに「今日は何時くらいに会社を出るのか」と聞いた。その途端、突然キレたように「俺は今そんな場合じゃねぇんだよ。誰か他の人に連れてって貰えよっ」と言われたのだ。Tはその日体調が悪く、人の見舞いどころではなかったらしい。それにしても、こんな言い方をすることはないではないか。「今日は体調が悪いので、また日を改めて。」とか、言えばいいのだ。体調不良に加え、きっと何か仕事の上で面白くないことでもあったのだろう。八つ当たりだとしたら、男として余計みっともない話だ。そんなことがあった上、この扱いである。その日以来、私はTに対する憧れの気持ちは、すっかり冷めてしまった。憧れどころか蔑みさえ感じるようになってしまったのだ。あれから二十年経つが、下戸で酒の上での付き合いができないTが、出世するのは難しかったのではないかと思う。
 このTと対極をなすようなAさんという男性社員が、当時同じ部署にいた。あの頃で年は三十歳ちょっとで既に妻子もち、顔は十人並み、かといって決して不細工ではなかったが、俳優の寺脇康文のような雰囲気といえば、わかってもらえるだろうか。円満で気さくな性格で皆から人望があり目下の者にも決して横柄な態度をとらず、私のような若輩者のアルバイトにも常に敬語で話してくれるような人であった。Tのように美人と不美人で差別するということもなく、しこめのFだろうが、美人のS嬢だろうが常に態度は変わらず、S嬢も「Aさん、Aさん」と、かなり慕っていたようだ。ある日アルバイトのK君とE君の間で、ちょっとした諍いがありK君がE君の胸ぐらをつかみ、今にも殴りかかりそうになるという事件があった。あわや、という瞬間、普段は穏やかなAさんが「止めろっ、ここは会社だぞ!」とK君をすんでのところで制止したのだ。しかも、その後両者に遺恨を残すようなこともなく、実に見事な裁き方であった。最後にはTさんもK君も、カラカラと爽やかに、笑いあっていたくらいだから。これこそ男らしい、真に美しい男と呼ぶにふさわしいのではないか。いくらギリシャ彫刻のような美しい顔をしていても、Tのように人前で女に恥をかかせるような無神経で心の狭い人間を私は美しい男とは認めない。つまらない男のプライドなどに拘らない寛大な心、いざとなったら男らしく行動できるAさんのような人こそ、美しい男と私は定義する。
(2009)