坂本 誠



悲喜憐偉


二: 時代

部屋にこもって、私の商い用の規矩を触り続けていると、どうも、心に良くないらしい。
部屋にこもり、一人でいるのは間違いであろう。
昔の僧侶が自分が悟るために、寺に独りでこもって、瞑想を続けたと言うが、それと同じだ。
その僧侶は悟ろうとしているのだが、逆に寺にこもることによって、その悟りから外れた道を歩んでいるのだ。
そして、ショッピングセンターに私は出かけた。
私はやるせなく、珈琲を飲んでいた。
様々な人がいる。
手には携帯電話を持っている。
そして現代の豊かさを味わっている。
そしてほとんどの人が、
「素晴らしい現代だ。100年前よりもかけ離れて便利だ。100年前のセピア色の写真が古ぼけて見える」
と思っているようだ。
だが、その考えは、ちょっとおかしいと思う。
300年後の人間から、今(2008/5/1(木))のこの世界を写した写真を見ると、その300年後の人間はきっと以下のように嗤うだろう。
「300年前の人間たちはなんとみじめな生活をしていたことか」 <---★1
しかし、★1を言った人も、まだ甘い。
なぜならば、1000年後の人たちから見たら、★1を言った人の時代に対して、
「700年前の人間たちはなんとみじめな生活をしていたことか」
と言うだろう。
結局、時代というのは、移り変わっても、あまりたいしたことはないだろう。
1000年後の人たちも新たな病に苦しめられているだろう。

しかし、携帯電話が便利なのは良いことだ。
人々が「良い」と言うのは、もちろんの事、それを作った職人たちも、ものを作る喜びがあるからだ。
そして作ったものに対して、お客より、「この品は良い」と言われること、相乗効果ありけり。
しかし、イヤホンで耳をふさぎ、街を歩くこと、まるで、自らの意志で周囲から自分を孤立させているかのよう。





二十: 生命維持装置


生命維持装置を作るには以下の気持ちが必要だと思う。
生命維持装置が大変素晴らしい道具なのではなく、まずは苦しんでいる患者の気持ちをやわらげたい、というような志が必要だと思う。
マザー・テレサだって、インドで医療関係の仕事をしたが、あの国に、当時、生命維持装置なんて大変な道具なんか無かった。
それでも多くの人が、「救われた」と言っているのは、彼女の温かい心に触れたからだと思う。
だから、生命維持装置よりも温かい心が必要だと思う。

なぜ生命維持装置も必要かというと、それが必要な時もあるからだと思う。
そして、そのような機械を作ることに喜びを感じる職人もいるからなのだと思う。

生命維持装置を使うと言うことは、それを使う人間は、もうお迎えが近いということだ。
だから、生命維持装置は高額な機械だそうだが、無駄な機械なのかもしれない。
だから、生命維持装置を使うと言う人間はいまわの際で、「実は私には機械よりも人の心の温かさが必要だった」と気づくために生命維持装置が開発されているのかもしれない、、、、





三十: 「平尾台 自然の郷」公園にて
2008年12月10日

今、僕は地元の北九州市の広大なカルスト台地、「平尾台」から、これを書いています。
広大な自然を見ている時、誰の心でも癒されますが、僕も大きな『地球』人から抱きしめられているかのように感じます。

下の写真を見ていると、大きな鳥が翼を広げているような感じです。

平尾台はカルスト台地ですので、ここには様々な鍾乳洞があります。
夏は子供達がやってきて、冷たい水と共に笑顔で遊びます。
手ではなく、素足を触れあわせて遊びます。

広々とした大地の上に山彦が足早に駆け抜けていきます。
どこまでも広がる大地を見ていると、僕は海で出来た大地を感じるのです。
岩に触れていると、地球の暖かさと温もりが、手を通して、ハートに近づいてくるようです。
なだらかなカーブのある小道を昔の彼女と歩いていましたっけ。今と同じように。
引き出しの中から失くしてしまった筈の写真が不意に現れるように、僕の心に記憶が現れてきました。
なぜだか、まるで手の上に記憶が乗っているかのように感じます。
手の中で小さなタイムトラベルが発生しました。

トランポリンをハンモックの換わりにして、仰向けに寝そべります。
目の前に当然ながら青空が広がっています。
今更ながら、思うことがあるのです。
青空とはすぐに手に触れられるのに、いつも手に触れた気がしないのはなぜでしょう?
今は12月ですから、ハンモックのベッドの上で顔の肌に触れる風は少し冷たいです。
しかし、僕にとっては、なぜか、その冷たい風が母の暖かい手のように感じます。

やはり大自然に触れるのは大事だと思うのです。
身体から心が抜け出して平尾台の心と融合されるように感じられるぐらいです。
ありがとう、平尾台。





六十二: 100億分の1の愛

互いに愛し合っていた花同士が、寄り添っていた。
ある日、人間がやって来て、雌花の方を持ち去り、星の裏側まで、持って行ってしまった。
雄花は苦しんだ。
雄花は枯れる前に100億粒もの花粉を飛ばした。
100億粒の花粉は世界に向かって、飛び立って行った。
時間が経った。
雌花も、何回も世代を超えて、花を付けて行った。
やがて、雄花から来た、たった一つの花粉が、雌花にたどり着いた。
100億分の1よりも小さな確率で、再び、愛は成就した。