願い文・・・・・・・・・・・・・・・・・・坂本かつえ



 その日私は、ひとりで身延山の久遠寺に出掛けた。
 車で約一時間半。北部の八ヶ岳や甲斐駒などの風景とはまったく異なった緑の尾根を間近に観ながら、日に輝く富士川にそってひたすら下った。
 久遠寺に着くと、私はいつものように大伽藍の並ぶ広場は素通りして、先にロープウェーで山頂の思親閣に向かった。
 山頂に降り立つと、そこは初夏の陽射しがまだ柔らかく、香のたちこめた境内では参拝客が三々五々連れ立って歩いていた。裏手の展望台の方には対面する七面山を眺めている人達や、子供のはしゃぎ声も聞こえた。私も眼下の山ひだに覗く集落や、足元に咲くカタクリの花をカメラに収めたりしながら、すがすがしい大気の中でしばし日常からの解放感に浸った。
 いつもならこのまま山を下るのだが、その日はなぜか御守り札の並んでいる受付所が目に止まった。
「こちらでは、願い事をお願い出来るんですか?」
 恐る恐る覗き込んで聞いてみた。
「はい、どんな願い事ですか?」
 カウンターの向こうから、まだ剃り際の初々しい丸顔のお坊さんが顔を出した。
「家には九十半ばの姑がいるんですけど、これからも健康で、満足な最期を迎えられるようにお願いしたいのですが」
「あぁお母さんのですね。それではこちらの用紙に願い事を書いて下さい」
 私は渡された用紙に箇条書きのように願い事を書いて渡した。
 しばらく待合室で待っていると、今度は年輩のお坊さんがやって来て、私は本堂に通された。お坊さんは中央の一段と高い席に上がると、手にしていた物を前に置き、おもむろに経を唱えながら眼の前の御簾を上げた。するとそこに御本尊様が現れたので、私はあわてて手を合わせた。
 やがて上から聞こえてきたのは御経ではなく、私の書いた願い文であった。しばしば私の名前や親孝行などと言う言葉も聞こえてくる。私はちょっとだけ顔を上げ覗き見してみた。すると仏様と目線が合ってしまった。その瞬間、心に衝撃的とも思えるほど強く私自身の思いが走った。州都のこれから迎える人生の最終など、願掛けなどするまでもなく、それは私自身の覚悟の問題ではないのか、と。そのことを強く再認識したという感じだった。
 お坊さんは願い文を読み終え、仏事を済ますと私のひざ近くに座り、親を思う気持ちの尊さを篤と語りながら「これからも尚一層精進をするように……」と言って、経文をしたためた大きな木札の御守りを、私の手に包むようにして渡してくれた。私は始めて見る手書きの御守りを、バンダナに包んでザックにしまった。あとは杉の巨木に覆われた急勾配の道を、石車に足をとられたり、太いみみずに出くわしたりしながら一人山を下った。

 九十五歳の姑。この人との同居暮らしもすでに四十年を超えた。三度の食事はもちろんのこと、お茶さえも共にした毎日の中で、喧嘩はもとより口論すらせずに今日まで来た。だが嫁姑の関係など、どう頑張ってみても、決して交わることの出来ない平行線上のものであったことは、この身をもって嫌と言う程経験してきた。
「はいっ、おごっさん!」
 湯飲み茶碗が食卓の上にドンと音を立てる。
 これは少し乱暴な物言いだが、食事が終わった時の、「はい、ごちそうさま!」と言う挨拶と、ドンとテーブルを打つのは、「早く立ちなさい!」と私を追い立てる暗黙の合図なのだ。
 私が嫁いで十年目に、舅が癌で急逝した。それからどのくらい経った頃だろうか、姑がすまし顔で私に言ったのである。自分の父親は大工の親方で、その頃住み込みで働いていた弟子達は、親方の湯飲み茶碗の置き具合で、はじき飛ばされるように席をたち、仕事場に戻ったものだ、と。
 その話を聞かされて以来、私はその音に反射的に席を立つようになった。その度ごとに心臓はビクつき、不整脈をおこしたりもした。姑の細い目に四六時中急き立てられ、私は仕事場に追いやられた。
 だが姑は私に向ける姿を、自分の息子や孫達には決して見せなかった。私もまた姑にいびられ、卑屈にいじけた自分の姿など、家族には見せたくなかった。だから子供らにはいつも元気な母親であったし、夫には安心して家の中をまかしておける大らかな妻でいたのだから、巷に聞かれる嫁姑の諍い話など、我が家には縁の無い他人事なのであった。
 こうした日常の下で、泣いたら自分に負ける。愚痴をこぼしたら心に綻びが生じる。その一念でひたすら笑いながら押し通してはきたのだけれど、やはり切なかった思いと言うものは、心に根深く残って、なかなか消えないでいる。
 山も中腹まで下ってくると、山肌のなだれ落ちるように水色のシャガが咲いている。
 ひとしきり立ち止まって眺めた。杉の梢にかすかに風の音も聞こえる。「過去のことは水に流せ。頑張り通せたのだからそれで良いではないか」また私の中にささやきが聞こえた。
 年老いて、何の反省も持たないまま、日々に子供に戻りつつある姑に、
「そりゃあないよ! お姑ちゃん、いくら何でも虫がよすぎる……」
 心底言ってやりたかった。けれど、もはや戦う相手ではない。
 心にどれほど不満がつかえていようとも、姑の今後は嫁として支えてゆかねばならないのだ。
 結局願を懸けたと言うことは、ともすれば分別を欠きそうになる自分の弱さを叱咤し、強く覚悟を決めたかった私の思いがさせたのかも知れない。
 大きくカーブして広まった道に、うつむいた私の影が映った。
 頭上に重かったのは姑と言う存在であり、背に重かったのは嫁としての立場であったのかもしれない。これが同居である事の難しさと言えるものだろうが、しかし、今私は、辛かった日々の記憶を自分の指先に残したくは無かった。だから諸々の思いは、一足ごとに踏みしめながらこの山に預け、代わりに頂いた御守りを、今度はこの身に背負ってゆこうと心に決めた。
 家には、まだ畑中に薄明かりが残っている時分に帰り着いた。
 私は御守り札と、みやげの身延まんじゅうをテーブルに並べ、姑を呼んだ。
「なんでーこれは? でっかい御守りだなー。ありがとさんな」
 姑はすこし照れたように笑いながら、木札をかざして眺めた。
 これでいいんだ。これで……
 私は一回り小さくなった姑を眺めた。
(2010)