孫への伝言 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 龍達男

 

 

 愛する、幼い孫たちよ!

 この雑文は、七十三歳になる祖父が、あななたちにぜひ伝えておきたいとの思いを綴ったものである。だから、大きくなって二人で仲良く読み、そして議論しながら考えてくれたら、とてもうれしい。

 

 平成十一年五月に、人工ふ化のトキのことが話題になった。そのとき、ふっと頭に浮かんだのは、「ソク(口+卒)啄同時」ということばだった。鳥の卵がかえるとき親鳥とヒナが、卵の外と中から同時に同じところを、つつくことをいうそうだ。

 ――おそらくこれは、天の教えだろう……

 鳥に限らず、人間を含めて生きとし生けるものの命の誕生というのは、このように神秘的で尊いものである。

 あなたたちが生まれてきたのも、お父さん、お母さんと、あなたたちのお互いの深い愛、強い意志、努力によることはもちろんであるが、おじいちゃんたちのみんなの愛、さらには宇宙という壮大なメカニズムの温かい前向きの意思によるものだと思う。

 それから、お父さん、お母さんには、それぞれの両親がある。それを各々三十代まで遡ると、十一億人の両親の数になる(二の三十乗は十一億人)。気の遠くなるような命の流れだ。あなたたちも、これからは、その流れの中で立派な地球人のランナーとして活動しなければならないのである。

 二十一世紀も、すでに五年目に入った。

 あなたたちも、これからは家庭、学校、職場などで現在の人間生活についてだけでなく、人類史的な視点から、「ヒト科生き物」が、これまで生きてきた道筋についても、いろいろ学ぶことがあるだろう。二十一世紀に生きる、あなたたちにとって過去を振り返り、分析、反省し、将来に備えることは、とても大事なことだ。

 とにかく、現代人は豊かになった。

 世界の一部を除けば、食べ物は豊富にある。そのほかテレビ、冷蔵庫、冷暖房器具などの電気製品。自動車、飛行機などによる交通手段。携帯電話、パソコン、ファクスなどの情報機器。原子力発電を含めた生活の快適さ便利さを満たす近代的機材は、数え上げればきりがないくらいだ。今や人工衛星までも飛ばし、各国が協力して宇宙開発にも取り組んでいる。

 だがしかし、良いことばかりではない。

「二十世紀、人間が生活環境バブルを謳歌した結果、地球はボロボロになり、これから先、大きな負の遺産を背負って生きていかなければならない」

 と、言っている学者もいる。

 ここでいう負の遺産とは、地球温暖化や生態系の破壊、ダイオキシンや排気ガスによる大気汚染、フロンによるオゾン層の破壊、化学物質の副作用、難病の発生、ウイルスの反撃などがあげられよう。

 そして今なお、飢えで苦しんでいる人々もあり、世界の国々の貧富の差がはげしい。

 また戦争をし、殺りくを繰り返しているところもある。核兵器の開発は止めないし、化学兵器を保有している国も多い。まさに一触即発の危機をはらんでいると言えるようだ。

 私は時々、人間は本当に万物の霊長だろうか、と疑いたくなるときがある。

 あなたたちも、なぜこうなるのかということを真剣に考えてほしい。

 人間がサルから進化したとき、造物主は人間に知恵の木の実を与えた。しかし、その行き過ぎを抑えるブレーキは授けなかったのである。おそらくそれは、「あなたたちで考えなさい」ということだったのであろう。

 それなのに人間は、そ知らぬ顔で、これまでモノ、カネ、競争のエゴむき出しの社会にどっぷり浸かり、モア・アンド・モアと欲望のおもむくままに行動してきた。その結果は前述のとおり、人間の力では処理し切れない負の遺産を抱え込んでしまったのである。

「人より多くのお金を、財産を、そして出世したい、無限の冨を得たい、より便利さを、より快適さを……」

 と、みんながこれを求め続ければ、いったいどんな社会になるのだろうか。

 やれ塾だ、偏差値だと受験戦争に明け暮れ、人より良い大学へ、人より良い職業をと奔走し、他人に勝つことだけが人生の最大の喜びとする生き方は、どこか、おかしい。

 このままでは、いけない。これからは共生と調和の世界を築かなければ……と思う。

 そのためには少なくとも、身近な問題として、他人を思いやることのできる人間を、一人でも二人でも増やすような教育制度や、社会のしくみを作り上げていかなければならないのではないか。そうでないと、日本だけではなく地球そのものが修羅場になるのは目に見えている。

 ところで数年前、惜しくも航空機事故で亡くなられた京都大学生態学研究センターのI教授は、熱帯雨林の中で生物間の多様性について調査をされていた。事故により、その論文は未完成のようであるが、先般NHKのテレビで、その概要を放映していた。

 要約すると……、

「熱帯雨林では、動植物間のイノチのやりとりは、決して弱肉強食ばかりではない。ギブ・アンド・テイクの世界で、限りなく共生と調和が保たれている」

 との主張のようであった。

 そういえば、エジプトやアフリカの遺跡から出土した人骨の化石の中には、全く争った痕跡のないものがあるということを、ある本で読んだ記憶がある。うべなるかな、ではないだろうか。

「人間と自然界の存在物は、根元的に同じであって、その優劣はない。山川草木や土石、生物、無生物の森羅万象のすべてに〈カミ〉が宿っている」との東洋的宇宙観から考えてみると、このことは、よく理解できる。〈カミ〉ということばに抵抗があれば〈大自然〉でも、また〈天〉でもいい。

 私は、〈カミ〉とは人間の自我を超えたもので、あらゆる生物への命の息吹を与えた大いなる存在を表現しているものだ、と理解している。

 このごろ、来し方を振り返りながら疑問に思っていることがある。それは現代文明とはどういうことなのか、近代文明とは何だったのか、その基となった最先端の科学技術の要素還元主義とは、木を見て森を見ない主義なのか、などについてである。

「人が事実を用いて科学を作るのは、石を用いて家を作るようなものである。事実の集積が科学でないことは、石の集積が家でないのと同様である」(化学と仮説、ポアンカレ)。

 このことばのとおり、科学はオールマイティではないのだということを、あなたたちも肝に銘じておくべきだ。

 人間は、一人では生きていけないので、人という交わりのある字になっていると聞いたことがある。決して一人よがりで傲慢であってはいけないという示唆でもあろう。

 人間は動物、植物、鉱物等々、万物とのかかわりの中で生きている。いや、正しくは生かされていると言うべきだろう。人間の呼吸、血圧、脈拍、体液、お産の時刻などは、宇宙という自然の営みと深い関係があると思われるからである。従って、すべてのものは宇宙の意思により形作られている、といえるかもしれない。

 いずれ、あなたたちも「自分は生かされている」という実感を持つときがくるかも分からないが、それまでは、見えない命の力を信じ、常に穏かで平和な心を育むように努めてもらいたい。

 心が過熱したときは、命の大本である大空の星を眺めながら、その心を静めてほしい。