七夕の願い・・・・・・・・・・・・・・・・・・大坪桐華



 私は家族や友人、恋人が愛おしい。普段は何も意識せずに話し、笑い、たまに怒ったり泣いたりして行動を、人生を共にしているが、その時間は実はすごく貴重なのだ。だって過ぎ去った時間はもう元に戻ってこないのだから。
 小学生のときの学校行事で、「七夕集会」というのが年に一回あった。その名の通り七夕のお祝いをする行事で、縦割り班に分かれて歌や劇などの出し物をしたり、クラス内でもそれぞれ展示を行ったりする。その中に定番ではあるが、短冊に願い事を書いて笹の葉につるすというものがあった。
私が一年生で初めての七夕集会の前、授業でその短冊を書くことになった。色とりどりの短冊から好きな色を選び、一人三枚まで願い事を書いた。みんな何を書こうかとワクワクし、教室内はとてもにぎやかだ。中には見せ合いっこしてる子もいる。私は「頭がよくなりますように」「水泳が上手になりますように」などいかにも小学生らしいことを書いたように思う。
 そしてある一人の男の子が「オレ、長生きしますようにって書こー」と大きな声で言った。途端にクラス中にどっと笑い声が起こった。脈打つように次々と男の子たちの間で「オレもー」「オレもそう書こー」という声が上がった。女子も先生も、みんな笑っている。でも私は笑えなかった。(長生きってなんだろう……)私はその言葉の意味を知らなかった。笑いに包まれる中、私一人が別の空間に取り残されてるようだった。
 その日家に帰って、母に聞いてみた。
「ねえ、『長生き』ってどういうイミ?」
「んー?長く生きることよ」
 思った通りの返事だ。私は次の言葉を言うのが怖かった。
「それって、人間はみんないつか死んじゃうってこと?」
「そうだよ」
 一番聞きたくない言葉だった。なんとなく言葉じりから、そういう意味なんじゃないかと予想はついていた。
(いつかみんな死ぬ……?私も、お父さんやお母さん、お兄ちゃんやおじいちゃん達もみんな……?)それまで死ぬことについて考えたことがなく、事故に遭ったり病気になったりしない限りずっと生きていけると思っていた私にはとてもショックだった。
 それ以来、死ぬのがちょっと怖くなった。このまま時間が止まって、私はずっと子供のままで、お父さんやお母さんも年をとらなければいいのにと思った。いずれみんなこの世からいなくなってしまうんだと思うと、やりきれなかった。大家族の末っ子だった私は独りぼっちになるのがイヤだった。
 しかし年齢が上がるにつれ、死というものを自然に受け入れられるようになった。受け入れる、と言うよりもそれは仕方のないことなんだと認識するようになったと言った方がいいかもしれない。その後祖父や親戚の人の死に接することがあったが、恐怖感はなく、寂しさや悲しさでいっぱいだった。それがきっと普通なのだろう。
 二十歳を過ぎたあたりだろうか、時がたつのが一気に早く感じるようになったのは。毎日アルバイト尽くめの生活ということもあり、瞬く間に一日が過ぎていく。時間に追われ、無論死について考える余裕などあるはずもない。忙しさを言い訳に家族や友人との時間はないがしろになっていた。
 今になってみれば、なんでもっと周りの人との時間を大切にしなかったんだろうと悔やまれる。私の身勝手で遠ざけてしまった友人もいる。一緒にいられる時間は永遠ではなく限られている。小学生の時そう知ったはずなのに。
「袖振り合うも何かの縁」という言葉があるが、そう、たとえ一瞬の出会いであっても、同じ時代を生き、同じ時間を共有できるというのは幸せなことなのだ。七夕の織姫と彦星が年に一回しか会うことができなくても幸せになれるのはお互いを思いやっていたからだろう。だから私も、どんなに時がたっても周りの人との交流を大切にしたい。私がいなくなっても、誰かの心に私が生き続けていたらそれは素敵なことだとそう思う。
(2009)