我らじゃまゆきさん!・・・・・・・・・・・・・・・・・・岡本千春

 

 

「これどうやってやったらいいんですかね?」

「またですかぁ……それこの前教えましたよ」

「あぁそうでしたかね」

(教えてくれたっけ? 聞いた覚えはないけどな)

「年取るとすぐに忘れてしまうんでもう一回教えてもらえますか」

(とここは若い者を立てておこう)

「ったくもう。しょうがないなぁ。一遍教えたらきちんと覚えてくださいよ。こっちだって忙しいんだから。そうそう何回も教えてる暇はないんですよ」

(何十回も聞いたわけじゃなし。二回聞くぐらいどうってことないじゃないか。たいした時間がかかるわけでもなし)

 三つ聞いたら二つは右から左へ通り過ぎる、一度聞いたことはすぐに忘れる、何回でも同じことを繰り返し聞く。中年と呼ばれる年齢になって、つくづく自分の不甲斐なさを感じる。すべてを年のせいにしたくはないけれど。

 仕事場でもそのほとんどはよくて一回り、どうかすれば二十以上も年下の若者達と仕事をしなくてはならない。こんな若造にえらそうに言われて、と思っても、悲しいかなおばさんゆえにちょっとした失敗や抜けてることも多くて、そのたびに「まったく!」(おばはんはしょうがないな、と奴らは心で思ってるんだろうな)といった調子で親子ほども年下の若者に叱られては、黙って頭を下げている。

 だからといってそういう中ででも、必死になって仕事をこなしたところでほめ言葉の一つ投げかけてくれるわけじゃなし。

 とかく世間は「若い」「可愛い」「きれい」というと騒ぎ、話題にし、これ以上ないほどの賛美を浴びせもてはやすけれども、私ら世代の「オジン」「オバン」「老人」ともなると騒がれることもなければ上を下への扱いを受けることもない。言うところの雪国で、除雪車で豪快にかき分けられていく雪のように、

「おばちゃん、あんたちょっと邪魔、どいてどいて」

 といった調子で邪険に扱われ、いつも片隅に追いやられている。言わば始末に困った邪魔な雪、「じゃまゆきさん」な存在とでも言ったらいいのだろうか。

 けれどじゃまゆきさん、というかじゃまゆき族な私達オバサンオジサン達だって若い者には知力体力では到底かないっこないけれど、長年培ってきた経験がある、知識があるんだ。

「ちょっと」

 の一言だけでもちょっとがア リトル なのかそれともノーを意味するちょっとなのかわかるし、

「そうですか」

 の一言でも相手が本当に同意している「そうですか」か傍観者的に「そうですか」と引いてみているのかがわかるのだ。相手の態度と顔色で持って瞬時にして日本語の奥底にひそむ「本音」を読み取ることが出来る。特に冠婚葬祭における儀式しきたりといったことには強いぞ。といって万全ではないけれど。少なくとも若いものより冠婚葬祭の数はこなしているから。

西洋では年寄りが一人亡くなると良質の図書館が一つなくなるとまで言われるほどである。

知識の宝庫とまでは行かなくても、少なくとも今まで長く生きてきた(それはそれは長い、長いだけならそんじょそこらの若者には負けないぐらい長く生きてるな)、その経験上、だからこそ話せることがあるからの一言なのに、

「それって古いですよ」

「いまどきそんなのありえないですよ」

  うざいとばかりに煙たがられてしまう。

  子供を持って初めて親になれるように、年を取って初めてわかる数多多くのことがある。そこからの一言が若者には余計な事となってしまうようだ。

 年を取るということは経験の繰り返しであるし、知識の積み重ねでもある。そこから身についた多くのことがあるから、少なくとも私達じゃまゆきさんはそこそこ、その分野に精通しているとも言えるのに。

どうしてもこうも中年という看板を背負ってしまうとあつかましくて図々しい、おまけに口やかましくて文句が多いだのといった悪口ばかりを受け、疎まれる存在になるのだろうか。

長年積み重ねてきた知識や経験は伊達じゃない。役立つこともあるし、耳を傾けても損はない。一聞の価値はあることだとは思うんだけれどなぁ……。

 それなら口をつぐんで黙っていれば嫌われることも疎まれることもないから傍観者に徹しようか。いや待て待て、やはり危なっかしい若者達をただ傍観することはできない。

たとえ雪道にかきわけられ、じゃまゆきさんになろうとも、私達オバサンは大いに口をはさむべきだ。

疎まれ嫌われても、それがいつか若いものに「あぁそういうことだったのか」と思える一瞬を感じてくれたなら、そこですべてが報われるのだから。

 私達じゃまゆきさんは日本の未来をよりよくするための世直し隊でもあるのだ。

たとえ周囲からどう煙たがれようとも、大いに口を開いて行こう、しゃべっていこう。

ひ弱な芽でしかない若者や子供達を強く太い幹にしていくためにもじゃまゆきさんは黙っていてはいけない。大いに語るべきだ、話すべきだ。じゃまゆきさんこそが日本の未来を明るく強いものにしていくための何よりの原動力にもなるのだから。

 

                                                                  (了)