リンゴダイエット・・・・・・・・・・・・・・・・・・森下美加子

 

 

 

 ある日、高校の頃の同級生が、皆の前で衝撃の告白をした。二十年ぶりに再会したクラス会でのことだった。

「ぼくは、一見、昔となにも変わっていないように見えるかもしれませんが、この二十年の間に、実は、大きな変化があったのです」

 地元の銀行に勤め、今は三人の子どもの父親だという彼は、顔にわずかな皺こそ見てとれたが、スリムな体型も、まじめな人柄も、二十年前のままだった。その彼に、いったい、どんな変化があったのだろう、と、わたしは彼の話に聞き入った。

「銀行に就職して営業の仕事をするようになったのですが、ノルマがきつく、ストレスのせいか、気がつくと食欲が止まらなくなっていました。毎日、沢山食べ続けて、どんどん太って、一時は体重が、今より二十キロも多い、八十五キロにまで増えてしまったのです」 「えーっ」

 皆、驚き、唖然と顔を見合わせた。それから、どっと笑いの渦が巻き起こった。

 わたしも、ぽかんと口を開け、彼を眺めた。が、次第に、おかしさが込みあげてきて、クスッと笑ってしまった。まじめな彼が不摂生をしたこと自体、信じがたい。その上、八十五キロの巨体を揺らして途方に暮れている彼の姿なんて、コミカルすぎて想像もできなかったのだ。

「リンゴダイエットって、知っていますか」

 突然、彼が聞いた。

「一時期、流行った記憶はあるけど、よく知らない」

 誰かが答えた。他の人たちも、それに似たようなことを口々に言っていた。

「そうですか」

 彼はゆっくりうなずき、なにやら得意そうに話し始めた。

「太っていた頃、健康診断で、色々と悪い数値が出てしまったのです。それを心配した妻が、友人からリンゴダイエットの話を聞いてきたので、ぼくも本を読んで調べてみました。すると、本には、ある医者のコメントが載っていました。その医者によると、リンゴダイエットは三日以内なら医学的にも危険はない、やせる効果もある、ということでした。そこで、ぼくは、三日間だけ、ほんとうにリンゴダイエットをしてみることに決めたのです」

「へーっ」

「それで、効果はあったの」

 興味深そうに尋ねる皆に、彼はあっさりと、

「効果はありましたよ。三日間で三キロやせましたから」

 と答えた。

「三キロも」

 そこかしこから感嘆の声があがった。

「そんなに簡単にやせられるのなら、わたしもリンゴダイエットをしてみたいわ」

 誰かが言うと、彼は含みのある笑みを浮かべながら、

「それが、そんなに簡単なことでもないのですよ」

 と言った。 

「リンゴはいくら食べてもいいのですが、他の食べ物はなにも食べてはいけないので、かなり、きついです。水やお茶は、どれだけ飲んでもいいのですけどね」

 皆、真剣な顔で、彼の話に相づちを打っていた。早く先が聞きたいと、目で催促もしていた。

「リンゴって、口の中で、もそもそするから、そんなに沢山食べられるものではないのです。味もすぐに飽きますしね。一日目は、朝と昼は頑張って食べましたが、夜は、もういいや、って感じで、仕方なく、空腹に耐えながら早めに寝ることにしました」

 身をのり出して、皆、しきりにうなずいていた。

「二日目は、朝から、すごくお腹がすいていたのですけど、リンゴだけは食べる気がしませんでした。でも、やっぱりお腹がすいて、仕方がないから、スーパーへ行って、色んな種類のリンゴを買ってきたのです。ふじとか、ジョナゴールドとか、つがるとか、紅玉とか。そうしたら、気分が変わって少しは食べられたのですが、やはり、すぐに飽きてしまいました。二日目の夜が、一番きつかったですね。もう限界だ、と思って、何度もギブアップしそうになりました。でも、根性で、どうにかこうにか、のりきりました」

 彼の話を聞きながら、わたしは、笑いそうになったり胸がじいんとしたりしていた。皆も、固唾をのんで彼の話に耳を傾けていた。

「三日目は、朝からふらふらでした。昼頃、お腹がすいて、もうたまらなくなって、パタンと倒れ込んでしまいました。ふと、空を見あげると、雲が、パンとかケーキなどに見えてきたのです。ああいうのって、マンガの中だけの作り話だと思っていましたが、人間は、お腹がすきすぎると、ほんとうに雲が食べ物に見えてくるのだなあと思って、驚きました」

 皆が、どっと笑った。彼の話には、リアルすぎる説得力があったのだ。

「そうやって、なんとか三日間のリンゴダイエットをやり遂げると、本当に体重が三キロ減っていたのです。胃も少し小さくなったみたいで、それからは、そんなに沢山食べなくても、すぐに満腹感を得られるようになりました。それで、カロリーの低い魚や野菜を中心にしたメニューを食べ続けていたら、半年で十キロほど体重が落ちたのです」

「わーっ」

 あちらこちらから、羨望の声が漏れ聞こえた。わたしも、ちょっと、ぐらっときた。

「その後も少しずつやせて、もどの六十五キロに戻って、今はその体重を維持しています」 彼の努力に、皆、惜しみなく拍手をおくった。

「ぼくの周りには、まだぼく以外にリンゴダイエットに成功した人がいないのです。それが、ほんの少しだけ、ぼくの自慢なのです。もし、皆さんの知り合いの中に、どなたかリンゴダイエットに成功した方がいらしたら、そのときは、ぜひ、ぼくにも教えてください」 そう言って彼は話を終えたのだった。

 その夜、わたしは、高校生の息子になにげなく、昼間のクラス会での話をした。すると、息子は目をかがやかせて、

「おれ、そのリンゴダイエットするわ」

 と即決してしまったのだ。

 ここ数年、過食気味だった息子は、体重がベストのときより十キロほど増えてしまっていたのだ。身長も百八十センチまで伸び、成長期もピークは過ぎたようなので、ダイエットが危険ということもなさそうだった。このまま太って若年性の成人病にかかってもいけないと思い、わたしも息子のダイエットを認めることにした。

 翌日から、息子はリンゴダイエットを始めた。わたしは息子に頼まれて、色んな種類のリンゴを買ってきた。喜んでそれらを受け取った息子は、意外にも、ねばり強かった。

 一日目、二日目、とリンゴを食べ続け、なんと、ついに、三日間のリンゴダイエットを成し遂げたのだ。息子にこんな根性があったなんて。体重も、ほんとうに三キロ減っていた。その後も着実に息子の体重は落ち続け、半年で目標の十キロ減もクリアしたのだった。

 ところが、予期せぬ事が起きてしまった。息子の頭に十円玉大のハゲが見つかったのだ。病院へ行くと、極度のストレスから生じた「円形脱毛症」と診断された。わたしは少なからず責任を感じた。と同時に、ちょっとだけ笑ってしまった。

 皮膚科へ通い、数ヶ月後には完治したものの、息子は、いつ自分のハゲが同級生たちに知られるか、ハラハラし通しだったようだ。そして今、息子は、こんなことを言っている。

「二十年後のクラス会で、このリンゴダイエットの話を、みんなにするつもり」

 小さく笑いながら、遠いその日を、ひそかに待ち望んでいるようだった。

 そう言えば、あれから、例の同級生に会う機会があって、わたしは、なにげなく息子の話をしてみたのだった。彼は目を丸くして、

「ぼく以外で、リンゴダイエットに成功したっていう人、初めて聞いたよ。息子さん、なかなか、やるね。栄えあるリンゴダイエット成功者第二号として、承認するよ」

 と言って笑っていたが、そのうち笑みが薄れてきて、何かを考えているようだった。

「……でも、円形脱毛症にかかったんだよね。それじゃあ、完全な成功者とは言えないから、やっぱり、半成功者として認めることにするね」

 そう言い直した彼は、あくまでもリンゴダイエット初代成功者としてのプライドを、まざまざと見せつけてくれたのだった。