九月とダニエル・キイス ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 桃囃子さこ





 父が死んだのは二年前。

 九月になったばかりの暑い日だった。



『お父さんか亡くなった。』

 母からの突然の電話。

 福岡で暮らしていた私は、主人とその日のうちに山口の実家に向かった。

 私は喪服など持っていなかったから、とりあえず黒い服を鞄に詰め込んだ。例え持っていたとしても、妊娠九ヵ月の大きなお腹ではとても着られなかっただろうが。

 高血圧で、中性脂肪が三桁もある、成人病の塊のような父だったが、お盆に帰省したときにはまだ元気だった。とても実感がわかない。車に乗っている間、しきりにそんなことばかり言っていたような気がする。



 父は、すでに病院から葬儀場に運ばれていた。ただ父がいないというだけの、いつもどおりの実家だった。

 死因は自殺だった。

 ビニール袋を被って倒れていたと、弟が言った。東京に就職した兄はまだ到着しておらず、私と主人はそれを呆然と聞いていた。

 借金があった。

 たかが何百万の為に命を落としたのかと、母が父を責めていた。気づいてやれなかった自分も責めた。

 父は、迷っても道を尋ねるのが嫌いな人であった。わからない、出来ない、と認めることが、嫌いな人であった。私が質問すると、どんなことでも自分の解釈も交え説明し、とりあえず納得させてくれた。それは時折間違えていることもあった。

 『辛い』とも言えなかったのだろう。

 父は、たかが何百万の為に死んだのではなく、その自尊心ゆえに死んだのだ。



 葬儀の間も、お腹の子はしきりに動く。

 あと、たった二ヵ月で出てくるというのに。おじいちゃんの顔を見られなかったこの子は、不幸なのだろうか。それとも、人の死に直面せずにすんだのは、幸せだったのだろうか。



 お棺に花を入れる。

 死化粧を施された父の顔は、初めて見たときにはむしろ生前よりも男前で、綺麗だと思った。しかし時間が経つにつれ、ちゃんと死人の顔になっていた。(友引で葬儀が出来なかった。)



 もっと冷房を効かせてやれば良かった。

 死を悼むというより、後悔や自責を感じながら後ずさったとき、母が泣き出した。お棺にすがるようにして泣き崩れる。

 生きている間も、死ぬときにも迷惑をかけて。

 声にならない声をあげ、母は泣いていた。

 父が死んだと聞いてから、母の涙を見たのは、これが初めてだった。葬儀の間、兄も私も弟も泣かなかった。

 そのとき知ったのだ。

 母は父を愛していたのだ、と。

 その愛情が、結婚前からの情熱からくるものなのか、それとも長い年月をかけ、積み重ねて来たものなのか、そんなことはこの際どちらでも良い。愛は愛だ。

 火葬場へ向かう車の中、私も初めて泣いた。涙は、火葬場へ着くころには止まっていた。



 父が亡くなってから、二年になる。

 時折、いまだに父の名前で郵便物が届く。

 私は主人と別居して、父の亡くなった家に戻って来ていた。

 あんなにたくさんあった父の本やビデオは、処分してしまって、ほとんど残っていない。

 本が好きで、映画が好きで、ダニエル・キイスが好きで、ブラッドベリが好きで、アシモフが好きで、SFが好きで、煙草が好きで、お酒が好きで、焼酎を毎日飲んでた。

 父が好きだったものはたくさん思い出せるが、私が父の好きなところは思いつかない。

 それで良い。父は父だ。私の父だ。

 彼が政治家だったって、私は彼を愛しただろう。

 アウトドアな母は、父をとてもつまらない男だと思っていただろう。それも良い。私の内の父は私のものだ。

 母は私の知らない父を知っているのだろう。それも良い。母の内の父は、彼女のものだ。

 
 
 小学生のころ、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』を読んで、泣きじゃくって父のところに行ったら、とても嬉しそうな顔をした。
 
 とても、嬉しそうな顔をしていた。