花魁の香木・・・・・・・・・・・・・・・・・・三輪峰子


 吉原の遊女の平均寿命は二十二才位であったという。
 七、八才で禿(かむろ)となり、年季明けが二十八才の決まりなら、ほとんどの遊女は、吉原から出られないまま、過酷な短い生涯を終えてしまったことになる。
 中には、芥川竜之介の『蜘蛛の糸』のように、吉原に下りてきた蜘蛛の糸につかまり、無事、苦界を脱出した遊女もいた。しかしそういう幸運は『千三つ』といわれ、千人に三人しか当たらなかったそうだ。
 それだけの希少例だけに、遊女のシンデレラストーリーは救いでもあるし、綺談もある。なかでも一際、異彩を放つ話があった。果たしてその遊女はどんな女性だったのか、想像をかきたてられた。私の想像も溶き混ぜた大体の話はこうである。

 江戸の初め、ある日、吉原江戸町の遊女屋に、一人の男がやってきた。
 年の頃は三十四、五。手拭いの頬被り、粗末な身なりにワラ草履。手には荷棒だけという、見るからにみすぼらしい田舎丸出しの男だった。一流の遊女屋の店先に立てるような風体ではない。
 女房はうさん臭く思いながら応対に出た。男はあろうことか、この店の名代の太夫、香久山に会いたいと申し出るではないか。男は在所の田舎にまで名がとどろく、香久山太夫という美女を一目拝んで、江戸土産にしたいと願い出た。
 即座に女房は、香久山は留守だと断る。実際、運良く、香久山は揚家に出かけて留守だった。ところが折悪しく、そこへ香久山が帰ってきてしまう。女房は慌てて香久山を陰に引き込み事情を伝えて、追っ払おうと耳打ちする。
 ところが香久山は無言で女房をほほ笑み返し、すうっと女房の前を通り過ぎて、田舎者の前に出ていってしまった。
「香久山とは私のことでござります。先ずおこしをおかけなされて、お休みなされませ」
 と礼儀正しく優しく田舎者に挨拶し、招き入れて手ずから茶を入れ、もてなした。それだけでも過分の応対であるが、男は調子づいたのか、
「すまんことじゃが、御酒一つ頂けんもんかのう」
 と図々しく申し出る。香久山は婉然と微笑み、側の禿をゆったりと見返って酒の支度を申しつけた。男は禿の手から燗鍋を引き取ると、
「いやいや、ありがたい。燗は、おらにさしてもらうだ」
 と囲炉裏の側へ立って行った。
 囲炉裏端にどっかと座ると、やおら袂に手を突っ込み、わり木二本を取り出し、囲炉裏にくべ、燗を始めた。
 居合わせたものは皆、身なりも田舎者なら、することも無粋で奇矯な山家育ちよ、と冷笑する中、香久山だけは楽しそうに男を眺めている。燗をして茶碗に注ぎぐいと飲み干し、
「受けてくだされ」
 と無作法に香久山に茶碗を突き出した。
 香久山はうちとけた所作で受け取り、重たげな漆黒の髪に引かれたように白く細い首をそらして飲み干し、男に茶碗を返した。
 そのあたりから囲炉裏からえも言われぬ芳香が立ち昇り始めた。
『あれは伽羅だ、伽羅だ』
 と居合わせる者達のひそめき声が、さざ波のように広がっていった。
 男は悠然と続け様にガブガブと茶碗酒二杯を飲み干し、微酔機嫌の態で、あたりを物珍しげに見回し、香久山の顔を不躾にしげしげと見ると、
「いやあ、評判のお女郎を見物させてもろた上に、酒までもろてありがたいことじゃった。いやあ、極楽じゃった、極楽じゃった。冥土の土産ができもうした」
 とそそくさと礼を言うと、あっという間に立ち去った。
 極小の破片でさえ、目の飛び出るほど高価な貴重品の伽羅である。男が去ると、女房はあわてて囲炉裏に駆け寄り、屈み込み、燃えかけの伽羅を引き上げようとした。と、香久山が、
「せっかくのお客人の風流なご趣向。あの方は身をやつしてはおられましたが、どこの誰様という殿方が、ほんのお気晴らしに興じられたのかもしれませぬ。類まれなる風雅なお遊び心の香、みなでこのままかぐわせていただきましょう。ああ、なんと豪勢な香り」
 と引き止めたが、女房はやっぱり勿体ないと一本はすぐ引き上げた。ただもう一本は惜しみながらも、太夫の思い立てに従った。
 香炉のわずかなかけらでもよく香る伽羅である。一本もの伽羅は、隣近所はもとより吉原中を雅な香りの遊里にし、吉原の外にまで漂い出した。
 その後、しばらくは男の正体をうんぬんする話が飛び交ったが、男は再び姿を見せることはなかった。
 そして、女房も店のものも、香木の男は『どこの誰様』でもなく、伽羅の値打ちもしらぬ田舎者が、ただの木片と思って燃やしたに違いない、とあざけり笑って落ち着いた。
 香木の一件のほとぼりが冷めた頃、ある日、香久山のもとに裕福な町人がニ、三度続けて通った後、突然、香久山を身請けし、香久山は吉原からいなくなった。
 吉原での話はここで終わった。
 しかし、香木の男の凝った高尚な遊楽はまだ続きがあった。実は、身請けしたのはその町人ではなかった。香久山が最初に見抜いたとおり、まさに『どこの誰様』という殿方だったのだ。表向きは町人を立て、香木の男は陰で動いたのだ。
 香久山は最後まで蜘蛛の糸を上りきった。
 もし香久山が女房同様、伽羅を惜しんで囲炉裏から引きずり出していれば、伽羅は香久山の『蜘蛛の糸』にならなかったはずだ。
 私には、遊女屋を飛び出した田舎風体の男が、吉原のどこかの天水桶の陰に身を潜め、伽羅の香りを待つ姿が浮かんでくる。伽羅が香ってくるかどうかで、香久山の値打ちを計ったと思えるのである。
 男は機知に富んだ巧妙な仕掛けで、香久山を試した。香久山の、金でものを見ず、見かけで人を分け隔てせぬ優しい心根と、風流を解する心張りとに、合格印を押した上で身請けしたのだと思う。
 香木の男は、おのが知恵にさぞかしご満悦だったにちがいない。
 元の話も、香久山の人柄や、応対を称える味付けの話で終わっている。
 しかし果たしてそうだろうか。私にはそれだけで、千人に三人の幸運がつかめるようには思えないのだ。話はもっとスパイシーだったように思う。
 やつした身なりで、大店の前に堂々と立って、ものを言えることこそ、余程の自信があるものでしかできない酔狂だと思う。
 香久山は、女房から田舎男の耳打ち話を聞いた時から、ピンときたにちがいない。たくさんの男を見てきた香久山が、たとえ上辺はみすぼらしいなりでも、隠しおおせぬ育ちのいい身ごなし、知恵ある目の輝きで、男の正体を一目で上客と見抜き、相手の先を読み越した態度に出たとも考えられる。
 この話を、男の方が一枚上手の話にすれば、香久山は、桜色を掃いたような色白に、顔の輪郭も柔らかい、ほんわかした甘く優しく可愛らしい美女像が浮かんでくる。
 が、香久山の方が一枚上手の話にすれば、白磁のように青味を帯びた冷たい肌に、神秘的な切れ長の目の、冴え冴えとした凄艶な美女像となってくる。
 私は断然、後者の美女像を香久山に選ぶ。