十三歳の私にふれて ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ キューと・チェコ




 ダンボールの中から十三歳の私が出てきた。長い間に少しずつ処分したはず。なのに一冊だけ残っていた、残していた?心の記録。読むんじゃなかった。今の私には重すぎる。珍しく眠れない夜が続いた。

 私は小中学校時代、いっぱい我慢して、いい子を振る舞っていた。そう思っていた。でも日記を読んで、両親の、姉の、そしてクラスメート、先生に対する不平不満をいっぱいいっぱい吐き出していたことを知った。こんなにも人を悪く評している私がいた。ショックだった。

 十三歳の私は、いつも身近な人に腹を立てていた。あー言った。こー言った。言動、反応まで一つ一つ取り上げておこっていた。毎日、来る日も来る日も、一つのことにたくさん反応し、考えゆれていた。今の私にはとても考えられない十三の私。

 重すぎる。しんどくて、どうやってこんな学校生活、家庭生活を続けることができたのだろうか。今よりずっとしっかり生きている私がいた。

 当時は一週間が長かった。当然土曜日も学校があった。一ヶ月が恐ろしく長かった。たった一年間の記録だけど、随分たくさんのことがある。今なら何もせぬ間に経ってしまう時間。

 学校へ行きたくない日、明日なんか来なけりゃいいと思ったことはたくさんある。家庭だって居心地がよかったわけではない。毎日両親と、姉と、ぶつかっていた。反抗期だった十三歳。

 おどろいたことに、授業中、腹の立つことを紙いっぱいに書いて、それを握りしめたという記録がある。書きなぐったものを破りすてるという記述。十三歳の私はそんなことをしていたのだ。まるでドラマの世界。えっ、この私が? 本当にそんなことをしていたの? 信じられない。確かに感情の起伏の激しい人間だけれど、まさか、そんな行動を取っていたなんて。とても今の私には受け入れられない。

 中学生日記、金八先生と同じ世界があったのだ。どうでもいいことをこね回して理屈を言っている若者。それと同じ世界が私にもあったのだ。とっくに忘れてしまった過去の私。

 いつも機嫌の悪かった私にも、いい時間が少しだけあった。どこからか音楽が聞こえてきたり、窓から風が入ってくると優しい気持ちになった。十三歳の私は夏の夜、星を見ていた。

 十年以上前のこと、我家にも星を見ている娘がいた。そして彼女たちも、こまごまとしたことに、いちいち引っ掛かり、「むかつく」を連発、そしてきれていた。

 私の娘たちにも同じような学校生活、人間関係があったに違いなかった。そんな娘たちを私は理解しなかった。自分もかつて同じ思いの日々を過ごしていたなんて、まったく忘れていた。

 なぜもっと娘たちを優しく見守れなかったのだろうか。私も、私の親がそうだったように、娘にとって、いやな母親だったに違いない。

 感情の起伏が激しいと、おこったり、センチになったりする。よくテレビで、コメンテーターが口にする「多感な年ごろ」というのが、それなのだろう。疲れる十三歳。その世界に引き込まれると感情が高ぶる。

 十三歳の私はどんな人間だったのだろう。私の日記には多くのクラスメートが登場している。ということは、彼女たちの日記にも私の名が残っているはず。どんな言葉で私は表現されているのだろうか。周りから見た私はいったいどんな人間だったのか。

 どんなことを口走り、周囲にどんな影響を及ぼしていたのか。どんな風に好かれ、また嫌われていたのか。私はおとなしく、我慢強い子だった。違ったのだろうか。思ったことをずけずけ口にし、人を不愉快にしたり、傷つけていたのだろうか。そうとは気づかず、くり返していたのだろうか。未熟な私がいたのか。人の心にどんな私が残っているのか。ふと不安になる。

 十三歳の世界に完璧なんてなかった。許してもらえるよね。今思えば、小さな社会だったんだよね。

 たった一年の間に、友人関係が少しずつ変わっていく。かみ合っていたはずの歯車が少しずつ合わなくなって離れていく。そして、他の歯車といっしょに動くようになる。一つの教室の中に、いくつもそんな風景があった。

 みんな一生懸命だった。一人では学校生活は送れない。かわいそうな中学生。学校は休めなかった。人間関係には緊張感があった。

 勉強ばかりしていたかわいそうな中学生。休み時間も、土曜の午後も、課題や提出物を躍起になって仕上げていた。かわいそうな私。それが今の私をつくり上げた。興味関心のない、ただのおばさん。自分から学ぶことを知らない。与えられた学習だけで手いっぱいだった。あんなに勉強したのに、今はただのおばさん。

 五十二歳の私に仕事はない。この春、十八歳になる老犬相手に穏やかな日々を送っている。童話のタネ、エッセイのタネを見つけて育てている。心優しく童話を描き、さらりと読み流せるエッセイを書きたかった。

 突如目の前に現れた十三歳の記録。笑えないことばかり。重苦しいものが私の心を占領する。心が乱れる。心がすさむ。だめっ、こんな気持ちでは童話は描けない。童話を書く集中力をなくす。胸に迫る重苦しいものに触れたくなかった。十三歳の私に出会うんじゃなかった。

 何も考えられず、ただ部屋の中をぐるぐる歩き回る。そう、昔も一人だまって、せまい部屋の中を明かりもつけず、ひたすら歩き回っていた。

 心に何かを抱えていた。次から次へ、がんのようなものが私を占領していた。取っ換え引っ換え。一つ一つは、そう思い悩むほどのことでもない。新しい悩みができると、それに置き換わる。思いつめるほどのことではない。長い時間かけて、それが分かった。そして今の私がある。

 この日記を読んで良かったことが一つある。十三歳の私は、ある日、住居(その時には建て替えてビルになっていた)の向かいにある高校から聞こえるコーラスを耳にして、ふと幼い日を思い出す。

(九月三日より抜粋)
三時ごろ昼寝をしようとしたとき(けっきょくは一すいもしていないが)東高校からピアノと歌声がきこえてきた。私はそれをきくととてもうれしくなるの。これは私にしかわからないことだ。私が小さかったころいつも一日中前の学校からきこえてきたわ。日曜日も。でも私が学校へ行くようになってから、いつのまにか音楽の先生がかわったのか、あまりきこえなくなったの。だから東高校からピアノや歌声がながれてくると小さいころを思い出すの。とはいってもそのころはあまり気にとめなかったが。でも前の木造の家にはあの音楽がつきものなの。少し大きくなるとお姉ちゃんとあの曲をおぼえていて口ずさんでいたものだわ。あの東高校からきこえてくるピアノの音と歌声は私に平和さをあたえてくれるみたい。

 これを読んで、五十二歳の私に、幼いころ毎日耳にした、あの歌声が、ピアノの音色、発声練習がよみがえった。十三歳の私を通して、五十二歳の私が就学前の私に出会う。五十二歳の私に過去があるのと同様に、十三歳の私にも過去がある。そんな当たり前のことを意識して、ちょっと変な気分になった。

 私は中学から四十過ぎまで、何度かコーラスをやってきた。思えば、原点は、あの幼い日のコーラスにあったのか。考えたこともなかった。はて、私は本当にコーラスがやりたかったのか。もしかすると、好きだったのはピアノの方だったんじゃないのか。

 ドラマ「冬ソナ」がいいのは、ヨン様がソフトで素敵だから。それだけではない。テーマ曲、劇中流れるピアノの旋律が心を打つのだ。喜怒哀楽を伝えるにはピアノの効果は大きい。

 ピアノ。そうピアノなんだ。十三歳の私はピアノを習わせてもらえないことで、長年、両親を恨んでいた。ひがんでいた。男女を問わず、ピアノを弾ける人にコンプレックスがあった。そうだ。残りの人生、ピアノに浸って暮らそう。ピアノと共に、心豊かに暮らしたい。

 中学一年、一年間の記録。書き始めた日から、ちょうど四十年になる。記念とも思えるこの出合い。

 この四十年間に、何度かこの記録を手にした。パラパラめくった。拾い読みをした。その都度、捨てずに残したこの一冊。でも、今までは忙しかったんだよね。きっと。処分はしないものの、しっかり向き合ったことはなかった。こんなにショックを受けるとは思いもしなかった。

 この日記が出てきたのは、中学の同窓会の案内状が届いた十日ほど後のことだった。たまたま実家の納戸の片付けをしていた時だった。

 同窓会? 当然、同窓会には行かない。数日前、欠席の通知をポストに入れた。