朝の電車で・・・・・・・・・・・・・・・・・・栗谷京右子




二十代後半、私は東京都内の映画館でアルバイトをしていた。そこは私の住む最寄りの私鉄からJRに乗り換えて一駅のところにあった。朝のラッシュ時にはあわせて約三十分、呼吸もままならない程のすし詰め状態で電車に乗らなければならなかった。

その日も遅刻ぎりぎりだった私は私鉄からJRに乗り換えるためのなじみの最短距離を足早に通過して、いつものドアに的確に滑り込んだ。出勤時間に間に合う最後の電車である。混雑の中、吊革につかまって目を閉じて呼吸を整えながら、この電車が次の駅に止まってからいかに職場のタイムカードまでたどり着くか、その段取りを考えていた。扉が開いたらすかさず下りて、予定通り目の前のエスカレーターを止まることなく駆け上り、改札を一番に抜けて三十秒。そこから人をかき分けて職場まで急ぎ足で向かえば信号に引っかかっても何とか五分でたどり着き、着替えてタイムカードまで八分。電車も遅れていないし、うん、素知らぬふりで余裕顔まで作ってなんとか間に合う。などと目をつむったまま考えていた。

その時、近くで子供がうなり声を上げるのが聞こえて私は目を開けた。

ラッシュの車中に子供がいることはめずらしい。人々に押しつぶされているかもしれない。子供に気づいていなかったとは・・・私は自分のことで頭がいっぱいだった事を少し反省し、その子の位置を確認しようと探した。しかし見あたらない。よく見ると、子供だと思ったそのうなり声はすぐ私の前に立っている背の高い二十代後半くらいの男性から発せられたものであった。一見して母親とわかる六十歳くらいの女性が手をつないで共にいた。その男性は知的障害があるようである。母親は我が子が人混みに耐えきれなくなって騒ぎ出し、周囲の人からいつ迷惑顔を向けられないかと冷や冷やしている様子である。彼女は地味だけれど品がよく、優しそうだった。目の周りの小じわからは長年たいがいの出来事には笑顔で応じてきたことがうかがえた。しかしやはりやつれて疲れきったところも見える。

私は胸が締め付けられるようになって、ぎゅっと目をつむりなおした。



私は幼い時、頭蓋骨の発育が小さいままで止まる病気だと診断された。

頭蓋骨の小さいことは身体が小さい頃にはそれほど問題ではなかったけれど、次第に大人になり身体や脳が成長するにつれて、脳が頭蓋骨の大きさを超えてしまう可能性があった。ある時突然に頭痛に襲われて目玉がぽろりと落っこちてしまうかもしれない、そのまま視覚障害や知的障害が残ってしまうかもしれない、ひどい時にはそのまま死んでしまうかもしれないとまで言われた。

当時通っていたその病院は都内にある大きい病院で、外来は大変混雑するため何時間も待たされた。だから病院へ行く日には、朝早くから身支度を調えて母は私をラッシュの電車でその病院へ連れて行った。不安でいっぱいだったはずの母は何も知らない私を連れて、「帰りにはフルーツパーラーのパフェを食べよう、メロンのたくさんのったやつ。」と言ってくれた。

成長期、最も危険だった十五歳十六歳の時期をなんとか平和に過ごして、とうとう私の脳は頭蓋骨を飽和することなく、私は何とか今も普通に生きている。あのころの病院通いのいきさつを両親から聞いたのはその危険な時期が過ぎてからであった。

あの頃に、もし知的障害者になっていたら、今頃私と母もちょうどこの親子と同じくらいの年齢である。今も二人でまだラッシュの電車に乗っていたかも知れない。

私はバタバタした、だらしのない日常から、この朝この電車の中で突然にその過去を思い出すことになった。

突如私はひざまずきたいような気持ちになり、息苦しい胸で目をつむったまま本気で何者かに祈った。

「あぁこの親子に満ち足りた時間がたくさんあり、満足できる人生がありますように。人々のいう、いわゆる『幸福』などというものの、どの形と同じでなくとも、彼らなりの幸せな人生がありますように。お願いします。お願いします。」

その時間はほとんど一分もないくらいだったと思う。しかし私は時間に追われたその朝のこと全てを忘れて、本気でその時そのように祈ったのである。

電車はすぐにホームに滑り込んだ。扉が開く直前、私は目を開けてちらりとその親子を見た。

その時目にしたことは、私のそれまで信じていた世の中の成り立ちを以降あやふやなものにすることとなった。

その母親は驚愕して私を見つめていたのである。彼女は両目を見開いて、まるで旅先の異国の地で会うはずのない知人に出会ったような表情で私を見つめていた。私は逆に驚いて彼女の表情の中になにか納得できる意味を見いだそうとした。私の顔に何かついているとか、うっかり私が彼女の足を踏んだとか、そういう要因を探した。しかし彼女の表情にはそういった同情や批判といったものは見つけられなかった。そこにはただ絶望の淵で神の声を聞いたような、強い驚きと感激の要素しか見出すことができなかったのである。

私の祈りはあくまで口に出さずに心の中で唱えたものであったし、さらに私の生い立ちについて彼女は知るはずもなかった。そして電車を降りていこうとする私と彼女がしばし互いに驚きの表情で見つめ合った最後の一瞬。まさに電車を降りるその瞬間に、彼女はふかぶかと心を込めて私に会釈をしたのである。

その様子は先ほどの私の祈りが、そっくりそのまま、全て彼女に伝わっていたと私に確信させるに足りた。

私はそれ以来、人の強い思いは言葉や視線、表情といったものだけでなく、なにか空気を漂う『気』のようなもので相手の心に入り込み、伝わることがあると信じるようになった。