ヨーロッパ再訪に見た そのくにのすがた・・・・・・・・・・・・・・・・・・小都里
昨年ヨーロッパのとある国を旅した。
八年前に一度旅して以来、その国を訪れるのは今回で二度目。
八年前、初めてその地を踏んだわたしは軽いカルチャーショックを受けた。
景観の美しさも去ることながら、街全体がきれいで美しくて、人々は穏やかで親切だった。
街を通り行く際、ホテルのエレベーターの乗り降りの際も、にっこり笑って挨拶を交わすあたり、「なんて紳士・淑女的で素敵かしらん」と思ったものだ。
道に迷って地図を広げ、あたふたとしているアジアの女の子に、親切に道を教えてくれた人も一人や二人ではない。
夜中の十一時に友人とバーで待ち合わせた時も、危ない目になんか遭わなかったし。治安の良いはずの日本よりもさらに治安がいいんじゃないかと感じたほどだった。
街にはごみ一つ落ちていなくて、この街なら素足で歩けるかもと本気で思った。ごみに埋もれている東京とは違うなぁ、これぞヨーロッパの風格か。
余裕がある、豊かであるとは、こういう事なんじゃないかと、わたしは衝撃を受けた。
わたしはその国が大好きになった。旅している間中、わたしは心の中でいつも小躍りしていたし、淑女ぶって澄まして街を歩いていたけれど、気持ちの中ではおのぼりさんだった。
わたしはその国にすっかり魅了されてしまい、帰国後も、またあの国に必ず行こうと決めていた。
そして八年の年月の想いを心に詰め、昨年、ようやく旅路につくことができた。機内で、いや、それよりもずっと以前から、わたしは心の中で小躍りをし、頭の中はばら色になっていた。機内中の人にわたしのベリーダンスとも言うべき小躍りを披露したいぐらいの思いだった。
しかし、この八年で大きく変わったことが二つあった。
一つは、その国でわたしが訪れた都市が世界遺産に指定されたこと。
二つ目は、EU(ヨーロッパ連合)に加盟し、通貨がユーロになったこと。
の二つだった。
当時、日本でそのニュースを見聞きしたわたしは、いいじゃん、いいじゃん、と思っていた。世界遺産に指定されるなんて誇りに思うことだし、あの都市なら当然ね、と。そして、通貨も統一された方が便利で効率が良くていいじゃん、いいじゃん、と。
そして実際に行った結果…。
どうしちゃったの?というくらい街はごみに溢れ、散歩中の飼い犬の糞で汚れていて、人々はなんとなく、ぎすぎすしていて、せかせかと歩いていた。景観は全く変わらないのに、美しさを感じなかったのだ。
公衆トイレでは、流暢に言葉が出ないことから規定以上のお金を取られる羽目になってしまった。外国人観光客を狙ったちょっとした金儲け詐欺だろう。ショップに入っても、レストランに入っても、昔ほどの穏やかさと親切さはないと感じた。これが世界遺産に指定された都市? どうしちゃったのかしら。
おまけに、ユーロが高くて急に貧乏になった気がした。懐が心許ないとはこの事だろう。なのに、日本人観光客はお金を落としていくと思っているらしい。あぁ、神様。
そして、何よりがっかりしたのは、日本と変わらなかったこと。男女問わず、いわゆるデザイナーズ(ブランド)バッグとウエアに身を包んでいて、わたしは、ここがどこだかはもうどうでもいいという気になってしまった。
同じ服に同じバッグ。個性を感じない。その国を感じない。
良い物は世界中で愛用されてしかるべきだし、持つ物はもちろん個人の自由。しかし、がっかりしてしまったのだ。旅しているのに旅していない気分になった。
そんな中、地下鉄の中で、ある女性が見たことのない素敵なバッグを持っているのを見て、なんだかとても安堵してしまった。思わず声をかけたところ、近所の雑貨店で約八十ユーロだったという。当時の日本円で一万円弱だろうか。その国の特徴を表しているようでとても素敵なバッグだった。
わたしは、なんとなしに腑に落ちない気分で帰国した。そして、やはり帰国後も、どこでもここでも見かける服、バッグ、時計は同じだった。街はごみに溢れ、美しくなかった。日本に来た外国人もわたしと同じような気持ちに駆られるのだろうと痛感した。
皆が同じ物を持っているというのはもちろん悪いことではない。前にも言ったが良い物は世界中で愛用されてしかるべきなのである。しかし、どうしてこうがっかりしてしまうのだろう。
思うに、人々は画一化の利点と欠点を把握していないように思う。文化や言語を無理に画一化する必要はない。世界は広い。何億年もの太古から、それぞれの風土に合った言語や文化を築き上げ、脈脈と受け継がせてきたのである。
文化を受け継ぐにはまさに温故知新が要。温めて良い習慣は何なのか、古きを知りその上で捨てる習慣は何なのか。
本当にそれは良いものなのか、金額に見合う価値あるものを見抜く目が重要なのだ。
美しさ、余裕、豊かさの基準がちょっと違うような気がする。ごみの中にきれいなワンピースを着て立っていても、それは美しくはない。ダイアモンドを身につけて、タバコの吸殻を足元に捨てては、それは美しくない。それは滑稽であり、愚の骨頂だとわたしは感じる。
先ほどの記した国の変わりようは、何も人々の気持ちが変化したことだけが原因ではない。ユーロ圏の国民が全て経済改革の成功にあやかっているわけではないのは、新聞報道などでも周知の通りである。物価高騰による生活苦を訴える人々が大勢いる。そんな急な経済の変貌が国を、人々を変えてしまうこともある。それも原因の一つということ。色んな要素が重なり合って国は進化、発展変貌していくものである。良い変化を遂げたいものだ。
日本には日本独特の美しさと心遣いがある。わたしはその文化に誇りを持っているけれど、そろそろ捨てた方がいいなと思う悪しき習慣も目につく。経済大国を目指すのと同じほどに、その他の面での美しさ、余裕、豊かさも目指すべきなのである。