神の仕業(しわざ) ・・・・・・・・・・・・・・ 北川みのる



 高齢化社会の問題、社会保障の問題、いずれも大きな問題である。60歳からのエンジョイライフ、これ又重要な課題に違いない。しかしながら人間、60歳ともなると、昔に比べて寿命が延びたとは言え、やはり一番大きな悩みと言えば人生の締め括りの問題であろう。自分の一生は一体何だったのか。そしてどう死を迎えるのか。宇宙船地球号における自分の位置づけ、太陽系における地球の位置づけ、さらには大宇宙における我が太陽系の位置づけ、一体地球はどうして生まれ、何処へ行こうとしているのか。宇宙の果ては? 考えても仕方がないと言ってしまえばそれまでである。しかし、自分がいなくなった後、地球が消滅した後、宇宙は一体どうなるのかある程度知っておきたい。知ったからと言ってどうなるものでもないが、星は絶えず消え、そして絶えず誕生している。未来永劫それを繰り返していくのであろう。

  さて、この世に神は存在するか。大宇宙に神は存在するか。私は過去60数年間、神を信じた事は無かった。神頼みはあったが、神の存在を信じた訳ではない。霊、幽霊、UFO等、その存在の否定は全て科学的、物理的に証明できるものと考えて来た。しかしながら、歳を取ったからと言う訳でもないが、心の何処かに、やはり何か引っ掛かるものがある。それは取りも直さず、生命の誕生の謎である。太陽の表面温度は摂氏6千度、太陽に近い水星は灼熱の世界、木星は逆に氷の世界である。地球に近い金星、火星もまた生物の住める状態ではない。地球の衛星の月でさえ、死の世界である。生物が生まれるかどうかは正に紙一重。よくぞこの位置に地球が留まったものだ。これを神の仕業と言わずして何と言おう。如何に神を信じない私と言えども、この事実には脅威を感じない訳にはいかない。神の仕業はこれだけではない。水が生まれ、植物が生まれ、気体が生まれ、そして動物が生まれた。その動物の営みの神秘、進化の脅威、これらも神の仕業に違いない。動植物に関しては、更に大きな疑問がある。神は何故雄と雌を創造したのか。子孫を残す手段として何故雌雄の結合が必要なのか。そして、そのからくりの何と厳粛かつ緻密である事か。偶然にしては余りにも驚異的である。太陽系誕生の時から、粛粛と時を重ね、あらゆる資源を放出させながら、なおも新しい理論を展開させている。神の仕業は更に続く。生殖行為は雄が仕掛ける。雌は無感情でも良いが、雄は感情移入しなければならない。肉体的動作より先に、神経の高揚を必要とするのだ。これが動植物の子孫の維持と秩序に如何なる影響をもたらすのか。これも宇宙の創造主の策略と思われる。

  大宇宙の広さは概ね250億光年で、その中に生物の存在し得る惑星を持った恒星が一千億位いあると言うのが定説である。しかし私はこの説を全く信じない。宇宙の広さや星の数というものは、望遠鏡の発達と共に増えてきている。新しい望遠鏡が誕生する度に、今まで宇宙の果てと思われていた星の更に向うに、無数の星が発見されるのだ。大宇宙は膨張と収縮を繰り返していると言う。ビッグバンに依り今は膨張期にあり、地球はその過程で誕生した訳だが、私が60数年生きて来た感じでは、地球の様な星は他にないと思っている。UFOもミステリーサークルも全て人為的なものであり、仮に他にこの様な星があったとしても、通信の手段がない以上、それはないものとしなければならぬ。動植物の寿命はせいぜい100年である。もし寿命が一億年位あったとしたら、星と星の距離にある程度対応でき、他の星の生物と交信する可能性が出て来るかもしれないが、それは架空の話だ。

  大宇宙でただ一つの奇跡の星、宇宙船地球号も、あと5億年で消滅する。その後は余りにも寂しい永遠の暗黒が待っているのである。自分が亡くなった後の、更に5億年後の話だ。それを仮にあの世と呼ぼう。「永遠の暗黒」これ程寂しく、これ程絶望的な言葉が他にあるだろうか。しかしこれは確実に、もう間も無くやって来る話である。私はこれにある程度の目途をつけてからあの世に行きたいと思っている。60歳からと言うよりも、人間が生を受けて依頼の永遠のテーマである。一つは宗教、一つは哲学であるかもしれない。リストの交響詩「レ・プレリュード」には自から副題をつけている。「人生は死への前奏曲である」死後の永さに比べ、余りに短い前奏曲ではあるが、言い得て妙、誠に印象的な言葉である。実は私には、あの世の生活を充実させる為の小さな糸口が見つかっている。見つかったと言う程のものではないが、それは子供の頃から好きだったバッハの音楽、取り分け平均律クラビール曲集を聞く事である。かの有名なシェークスピアは大バッハのこの曲集についてこう言っている。「まるで永遠のメロディーと自分が対話している様だ」星は消滅しても魂は死なず、音楽こそ永遠である。

 


 



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