川上智生




日本の電力事情を憂う



 3LDKに住んでいる。妻を亡くしてから、全面的に家事をこなさなければならなくなった。その経験から、電気のありがたさが今更のように身にしみることになった。どんな電化製品があるか列挙してみよう。
 まずテレビとビデオ。妻が亡くなってからはこのビデオは使っていない。整理ボックスの上にラジカセ。これらのものは、あれば便利だが、なくなっても寂しいだけで生活を脅かすことはない。しかし、台所の周りの家電製品はなくなったら、明日からの生活に困る。
 冷蔵庫。200リットルタイプの中型だ。3日ごとにスーパーへ買い物に行くから、中身はそんなにぎっしりつまっていない。しかし、3日分の朝食と野菜サラダ。これが保存されていないと、日々の食事に困る。冷蔵庫の上には電子レンジ。食事が冷たいものばかりなのは苦痛だ。レトルトのおかゆを容器に移して、2分温めればもう食べられる。お酒の燗をつけるためにも必要だ。電気釜。ご飯を炊くのは原則として日曜日と水曜日。5合のご飯を炊いて、当日の夕食と朝食用の三日分のおにぎりになる。スイッチを入れて50分もすればご飯が炊きあがる。その間にお風呂に入れば、一石二鳥だ。タイマーで希望の時間に炊きあげることもできる。妻が亡くなったとき、最初に手にしたのが電気釜のマニュアルだった。
 洗面所には全自動洗濯機と乾燥機がある。お風呂をあがってから洗濯機を回しながらの夕食を食べると効率がいい。妻がいたころもあまり活躍しなかった乾燥機だが、次の洗濯物を洗うとき、前の洗濯物が乾いていないときには頼りになった。冬場、綿入れ作務衣を洗ったとき、作務衣が生乾きになって苦労した。乾燥機でしっかりと乾いたときはうれしかった。
 照明はもちろん電気。パソコンも電気。そして電気掃除機。掃除機をかけていたとき、突然停電して驚いた。要は、掃除機と洗濯機、それに長男が電気温風器と加湿器を使っていため、ブレーカーが落ちたのだった。しかし、このように便利な電気が、途絶えるかもしれないという憂慮すべき状態にある。
 発電所の大部分は火力発電所だ。燃料は、石炭、石油、天然ガスとさまざまだが、要は火を燃やしているのだから、当然ながら二酸化炭素が発生する。その二酸化炭素が地球の温暖化を促進している。夏が暑くなればクーラーの電力利用が増える。そのためにはさらに燃料を燃やすから二酸化炭素が増加する。それが温暖化を促進し……という悪循環が発生している。そして、それらの燃料はほぼ100%近くを外国からの輸入に依存している。中東からの原油輸入は、中東情勢が不安定なだけに、いつ原油価格が急騰するか、いつ供給が絶たれるか、たえず不安をかかえていなければならない。そして、世界的規模では化石燃料の枯渇を心配しなければならない。地球が45億年かけてため込んできた化石燃料。
「あと30年で枯渇……」といわれながら、新しい埋蔵地の発見や採掘方法の改善ですぐには枯渇することはないようだ。しかし、限りある資源には違いない。
 原子力発電は、火力発電に代わる発電方式だ。いまや日本の発電量の三分の一は原子力発電だ。大きな期待をもって建設され、今では全国17カ所で原子炉が稼働している。しかし、いくつもの大きな問題を抱えている。 放射線が外に漏れないように何重もの防護壁で囲まれているのが原子炉だ。しかしスリーマイル島やチェルノブイリのように、メルトダウン寸前までの事故が外国では起きている。日本でもつい先日、隠蔽されていた臨界事故が明らかになった。また、使用済み核燃料を廃棄する場所が未だに決まっていない。原子炉が稼働を続ければ続けるほど、炉心には核廃棄物が蓄積される。それを取り出してウラン、プルトニウムを抽出して、次の燃料にする。しかしその後にはまだ放射性廃棄物が残る。現在では青森県の六ヶ所村が再処理工場として稼働しているが、最終処分場ではない。また外国に委託していた高レベル放射性廃棄物も日本に返還されつつある。原子力発電所はトイレがない発電所である。聞くところによれば、100万キロワットの原子炉が1年稼働すると、広島型原爆3発分の放射性廃棄物がでるという。狭い日本で最終処分場の場所は決まらない。
 二酸化炭素も放射性廃棄物も出さない発電所方式が水力発電だ。子どもの頃、黒部第四ダムの建設工事のニュースに胸を躍らせたことをおぼえている。しかし、今の発電量の一割を占める水力発電も、その内実は決してバラ色ではない。
 ダムの建設はそれだけで山の環境を破壊するだけでなく、川を段々状に刻むことで、下流の環境を変えてしまうことになる。上流で土砂がせき止められることで、河口付近での砂の堆積を減少させている。富士川や大井川では橋脚の基礎部分が露出している。また海岸線を浸食し、砂浜を減少させている。それだけではない。ダムでせき止められた土砂はいっしょにせきとめられた落ち葉などとともにヘドロ化しているのだ。1991年「出し平ダム」がダム湖に貯まった土砂を下流に流す排砂実験を行ったところ、海は濁り、あたりには悪臭が立ちこめたそうだ。そして、このようなヘドロによってダムの有効貯水量は年々減少していく一方だ。黒四ダムを訪れたとき、その観光放水の見事さにため息をついたが、そのときダム湖には、美しい湖面の下に大量のヘドロが隠されていたのだ。
 クリーンエネルギーとして太陽光発電、潮汐発電、風力発電、地熱発電など、多くの方法が研究されているが、費用や発電効率、発電量などで、まだ実用化の段階には入っていない。
 先日テレビで待機電力について放映していた。じつに家庭での消費電力の10〜15%が待機電力だそうだ。そして屋外湯沸かし器のコントロールパネルの消費電力が意外に大きかった。日本の電力事情を憂慮すれば、家庭でのこまめな節電が必要だろう。
(2007)





なぜ「侍日本」



 二〇〇九年度のWBC、「侍日本」チームの優勝おめでとう。ゲームセットの瞬間は観戦できたが、イチローの勝ち越しタイムリーの瞬間が見られなかったのが残念だった。
 北京五輪では四位に終わった全日本がWBCで優勝できた要因は二つあると思う。
 一つはイチロー、松阪、城島、岩村という現役メジャーリーガーが参加できたことだ。これらのメンバーがいなかった北京五輪は片肺飛行だった。アメリカでも日本でもペナントレースが続けられていたから、これは仕方がないことかもしれない。
 もう一つは、原監督が目立たなかったことだ。星野監督は、監督の采配だけで勝とうとしていた。監督が目立ちすぎたのだ。WBCの原監督は控えめだった。それだけ選手の力を信じていて、それを引き出したことが勝因につながったと思う。
 それにしてもなぜ「侍日本」なのだろう。現代の日本文化の源流が江戸時代にあり、士農工商で侍が日本を代表していたことはわかる。しかし、当時の武士階級の人口比率は一〇%程度であり、大部分の八〇%の人々は、営々と農耕に勤しんでいた農民だ。ドラマの「水戸黄門」では、いつも悪代官に痛め続けられていた農民が日本人口の大半を占めていた。そんな日本を代表するなら、「侍日本」ではなく「お百姓日本」でもいいのではないだろうか。
「侍」が日本の「冠言葉」としてふさわしくない理由を考えてみよう。
 第一に、侍は気位は高いが、実際にはその日暮らしのような貧しい生活をしていたことだ。端的に言えば「武士は食わねど高楊枝」。
 今、お米やさんから一〇キロのお米を四五〇〇円で買っているが、以前は一四キロという半端な数字だった。これは籾一斗を精白すると白米一斗になり、その重さが一四キロにると推察した。また落語では「米一石が金一両になる」というセリフがある。これらを元に、江戸時代の通貨を現代の金額に換算してみた。
 白米一〇キロが四五〇〇円なら、一四キロでは六三〇〇円になる。一四キロを一斗とするならば、一石は六万三〇〇〇円。つまり金一両は現代に換算すると六万三〇〇〇円ということ。
 一両はだいたい銭四〇〇〇文だったから、一文は約一六円になる。江戸時代の文献にこの値を当てはめてみる。
 駄菓子二文  =  三二円
 湯銭一〇文  = 一六〇円
 二八そば一六文= 二五六円
 酒一合三二文 = 五一二円
 酒一升一三六文=二一七六円
家賃六〇〇文 =九六〇〇円
今の物価感覚と大きな差はないと思う。これで侍の収入を考えてみよう。たとえば捕物帖でおなじみの同心。同心の給料は三〇俵二人扶持である。一俵は四斗だから、三〇俵は一二石となる。六万三〇〇〇円×一二=七五万六〇〇〇円。扶持米は一人一日五合だから、一年を三六〇日として約二石。二人扶持だから四石。本給と合わせて同心の年給は約一〇〇万円。今の最低賃金にも達しない。藤沢周平などの時代小説を読んでいると、一〇〇石程度が普通の武士として描かれている。しかし、これでもやっと六三〇万円だ。
 武士の収入としては扶持米ではなく、知行地が与えられる場合がある。江戸時代では一万石以上は大名になる。一万石では、年収は六億円以上になる。プロ野球の一流選手の年俸だ。しかし、これは田畑の収穫量であって、そのまま年収になるわけではない。五公五民で三億円。七公三民の税率なら四億四千万円。さらに、これがそのまま収入にはならない。石高に応じてそろえる必要がある家臣に知行を分配するからだ。
 経済活動が発展するにつれ物価は高くなるが、米を基本とする侍の収入は向上しない。しかし守らなければならない格式があるから、支出は増大する。来年の、再来年の知行を抵当にして商人から借金する。家来の扶持米を借り上げる。大名でさえ困窮するのだから、家来の侍の生活はさらに厳しいものになる。浪人すれば、たちまちその日の暮らしに困る。侍は純然たる消費者で、人を斬るのがその務め。生産手段は持ち合わせていなかった。
 第二に、侍が守ろうとするは「面子」だけで、それ以外に守るものは持たなかったということ。
 侍が「サムライ」として欧米社会に強い印象を与えたのは、堺事件で当事者が外国人の前で次々と切腹をしたことが一つのきっかけだと思う。
 肥前藩士山本常朝の口述をもとにした「葉隠」が武士道の精神を表しているという。その中の有名な言葉が「武士道とは死ぬことと見つけたり」があるそうだ。「葉隠」が岩波文庫で三冊本だから実見したわけではない。ここで武士が「死ぬ」のは主君のためだ。主君の面子を守るために死のうとした。しかし、百姓・町人が大部分だった幕末の新選組では、隊則に「士道に背くまじきこと」があったそうだ。新選組は仕えるべき主君がない。それで悪役の芹澤鴨は「仕えるべき主君もいないのに、士道というのはおかしい」と笑ったことが、司馬遼太郎の「燃えよ剣」にある。現実に新選組隊士の多くはこの隊則で切腹させられている。武士道というのは、このように抽象的で、危険な概念だ。
 武士道を全面的に取り入れたのが旧日本軍だ。将校の軍装として日本刀を採用した。この日本刀はただ重いだけで、実戦的ではなかったことが山本七平「わたしの中の日本軍」に書かれている。大岡昇平の「レイテ戦記」では、片岡第一師団長が軍刀でジャングルを切り開くシーンが書かれている。沖縄戦では牛島司令官や長参謀長が切腹し、終戦に際しては、阿南陸軍大臣や特攻隊の指揮官大西中将が切腹している。日本刀は自決には使われても、戦場では日本刀は無用だった。しかし、敵に降伏することができなかった軍人は、武士道の象徴である日本刀で自決している。日本の野球ファンは「侍日本」に「ハラキリ」を望んだのだろうか。
 第三に、侍は世襲で役目を引き継いでいたことだ。親の役職や知行を子どもが受け継ぐということは、ごく当たり前のことだが、この慣習が墨守されると、家柄だけで一生が決まってしまう。歌舞伎の世界では世襲が当たり前だが、これは守るべき所作が多く、子どものころからしつけられないと、身に付かないからだと納得する。しかし、国会議員の世襲は疑問だ。人々の選挙によって選ばれる議員が、親の地盤・看板・カバンを頼りに得票を集めていては政治の新陳代謝が期待できない。
 相撲の世界では二世力士がよく見られる。最近では貴乃花や若乃花。しかし、これも歌舞伎と同様、少年時代からけいこで鍛えられてきて、番付をあげたのだ。
 プロ野球の選手で、二世プレイヤーは大成していない。長嶋監督や野村監督の子どもたちは、けっきょく一軍に定着できなかった。個人主義、個人の才能とそれを磨くための努力が一流プレイヤーの努力だ。「侍日本」の代表選手は、自らの力で一流プレイヤーの地位を手にしてきた。
土にまみれ、腰を曲げて、一日中働きつづれなければならない農民に比べて、二本差しで颯爽と歩く侍の姿はかっこいい。投手と打者の対決は、侍の一騎打ちの姿を彷彿とさせる。しかし、以上に述べてきたように、その侍は貧窮にあえぎ、武士道という面子だけを守る道徳に縛られ、世襲を基本として革新を喜ばない身分だった。こうした理由から「全日本」には声援を送るが、「侍日本」への応援には抵抗を感じざるをえない。
(2009)