彼女に出来ること。・・・・・・・・・・・・・・・・・・上川泉




 母は、部屋を片付けられない。
 私はそのことを最近まで知らなかった。いや、整理整頓が下手であるということは、ずっと一緒に暮らしてきたのでもちろん分かっているのだが、出来ないとは知らなかったのだ。
 片付けられないのは、時間が無いせいだと思っていた。実際、家にいれば掃除、洗濯から料理に至るまで、何でも自分でやらないと気が済まない性格の持ち主であった。けれども一日の大半を、会社で過ごす彼女には、決定的に時間が足りなかった。
 母も口癖のように言っていた。
「仕事やめたら、ちゃんときれいにするから」
 母に代わって、私は家事も手伝った。当然掃除もする。しかし、ヘンに彼女の身の回りのものをいじったり、片付けたりしてしまうと、母はワケわかんなくなると言って嫌がり、あまり手出しが出来なかった。だから母の部屋は年がら年中ちらかっていた。
 そういう部屋の中で身支度をするため、探している時間の方がどうしても多くなる。彼女には、準備をするという観念が無いため、時間を守ることが出来ないタイプの人間だった。しかしせっかちで、時間に間に合わせようという努力はするので、出掛ける間際は半狂乱と化す。
「ない! 無い〜! 鍵っ、どこ〜!!」
「ここにいつもモノを置きっぱなしにしないでって、言ってるでしょう!」
「ストッキング、伝線してるじゃないの〜〜。わあ〜もうこんな時間っっ」

 彼女にとって、外出の準備に絶対欠かせないものが三つあった。
 ひとつは、ウィッグ。かつらである。
 母は、なんでも若い時分に大病をしたとかで、もともと髪の毛が少なかった。余談だが、私が産まれた親子初対面の時、母が最初に放った一言は、「髪がふさふさ沢山ある〜! 嬉しい〜!!」だそうだ。その場に居た看護婦は、フツー親はまず五体満足を確かめるのに、変わった人だ、と思ったそうである。しかし当の私はその後何十年も毛深さに悩まされることになる。
 話を元に戻す。とにかく彼女の髪は細い上に少なかった。パーマをかけ、何とかふんわりあるように見せてはいたようだが、限界を感じたのだろう。確か彼女は五十になる前にはもう既にウィッグを使用していたように思う。しかし男性がコソコソとタブーな物を抱えるのと違い、母は大胆に部分カツラから、全カツラに移行するだけでなく、色や形の違いを楽しみ、幾つも持つようになっていた。そんな彼女の、鏡台やダイニングテーブル、洗面台など、脱いだ場所によって無造作にそれらが置いてあるのが常で、見慣れていない人にはギョッとする光景だと思う。
 だから、当然財布や携帯などと同じように朝探し回ることになるのだ。
「無いわ〜、どこに置いちゃったのかしら? 頭っ、わたしのあたま〜」
 ふたつ目は、服装である。彼女はとてもファッションに気を遣った。アクセサリーから、靴に至るまで、完全に満足していないと我慢がならない。どうしてもその日の気分とマッチした服を選べないでいると、やはりまた取り乱すことになる。
「嫌ぁ〜、着ていく服が無い〜! 服が欲しい、ほしいよぉ〜」
 洋服はクローゼットに収まりきらず、溢れ出すほど持っているのだ。その大量の服の前をスリップ姿で無い無いと騒ぐ様子は、お笑いコントを見ているようである。この光景はあとアクセと靴とで、二回繰り返されることになっている。
 みっつ目の最後は、士気の高揚である。
 彼女曰く、仕事へ行くのが嫌で嫌でたまらないそうだ。「ああ〜! 仕事辞めたいっ」というのが口癖で、家に居るときは事ある毎に口走る。出来ることなら、のんびりとした暮らしをしたいそうだ。もちろん生活がある上、会社の運営資金に借りたお金のこともあり、働くことを止めることは出来なかった。
 そんな自分で作った煩わしい会社へ行くのに、母は仕上げの化粧をしながら、歌を歌いまくる。しかも大声で。そうすることで、自分の気分を明るく彼女なりに持ち上げているのだそうだ。
 しかしこれがまた私にとって一番煩く感じることであった。当時私たちが住んでいた一軒家は、上下階を通じる部分が吹き抜けになっており、ちょうど階段の上がりきった突き当りが私の部屋で、逆に下りきった右側が洗面所であった。彼女は自分の部屋では、前述のような理由で身支度が出来ないため、化粧は洗面所でしていたのである。
 幸か不幸か、彼女の声はとてもよく通る。しかも音量がある。美声ではあるのだが、音感がもう一歩であった。しかし母にとっては関係のないことだ。母は自分の為に歌っているのだから。気力を奮い立たせ、気持ち良く歌う。
 曲目は決まっていた。「サンタルチア」である。これを来る日も来る日も、途中の同じフレーズから始まり、あの有名な最後の歌詞で仕上げる。
「サンタ〜〜〜ルチ〜イア〜〜!」
 これで完成である。
 彼女は竜巻のごとく出社していく。

 毎日毎日、毎朝毎朝、同じ時間に出勤することは変わりないのに、終ぞ退職するその日まで、彼女は落ち着いて支度をすることは出来なかった。それもこれも部屋にあらゆるものが散乱し過ぎているせいだったと、私は思っている。
 母は今年で七十三になる。彼女は今2LDKのマンションに一人暮らしをしている。同じマンションの住人は、同等の広さを四人家族で暮らしているのもざらにいるほど、高齢者ひとりにとって充分な広さであるはずが、母には当てはまらない。
 雑誌や料理本が所狭しと積まれ、なだれを起こし、包装紙やら洗濯ネットやら、足の踏み場も無いくらいに様々なモノが床に埋め尽くされていた。下だけではない。テーブルからキャビネット、電話台に至るまでわずかに隙間があれば郵便物、チケットの半券、飴など互いが助け合うように載せられている。また、あらゆる扉や引き出しは一つ残らず開いたままで、そこからも服や小物などが溢れていた。
 母はのたまう。
「これだけちらかっていれば、ドロボーも誰かに先を越されたなって何も盗んでいかないわ」
 思わず私は納得した。空き巣にでも入られなければ、これだけの惨状はなかなか見られないだろう。
 それにしても、母はやっぱり仕事を辞めてからも片付けられない人なのだと再認識した。時間の有無とは関係無かったのだ。これは、最近取りざたされているADHD(注意欠陥・多動性障害)の症状にそっくりだ。お〜彼女は病気だったのか、脳の。だらしないとかではないのだな、私は思った。
 ある人は、何でも○○のビョーキと片付けてしまうのは反対だと言う。でも私は違う。当人もやれない、できないと自身を責め、周りもだらしがない、ダメだと 責め立てることなどせずとも良いのだ。病気なのだから、仕方がない。受け入れよう、と思うだけである。
 彼女が出来ることは、他にもいっぱいあるのだから。
(2010)