私の宿命・・・・・・・・・・・・・・・・・・岩田忠廣



 それは、クダラナイ始まりでした。
 僕は毎日、決まって名古屋市内にある、北区のラッキー一番というパチンコ店で毎日、遊んでいました。
 のちに、これが僕の未来を変えるとは、想像もしていませんでした。
 客同士の顔見知りで、今日はいくらやられた、いくらもうかった、などという、他愛無い会話をしていました。
 僕は志村さんという、年輩の男の人と知り合いました。
 或る日、彼に誘われて、近所のマクドナルドに行って、コーヒーとポテトをおごってもらいました。
 彼は突然言いました。
 僕は高台寺、円徳寺で、窯を開いている志村榮山の弟だと。志村先生は楽茶碗では、神様のような人です。
 僕は若い頃、26歳くらいです。
 僕は瀬戸の職業訓練校で陶芸の勉強をしていました。
 毎日! 毎日! 毎日! きくねりの練習でした。真空ドリンクという機械で、もうすでに空気が抜けている土のかたまりを、毎朝! 毎朝! 毎朝! するのでした。
 僕はそこを卒業しているので、志村さんの一言にびっくりしてしまいました。
 僕は志村榮山先生の赤と黒の楽茶碗が欲しかったので、ある老女からの年金で、赤と黒の両方を10万円で買いました。
 ある老女とは、実は私の母です。大正8年生まれの老女です。もう90歳だと思います。中曽根元総理大臣と同じくらいの年だと思います。
 志村さんも色々あって、元はカメラマンでマコトカメラという有限会社で、およその仕事は日立株式会社の人たちを入社式、慰安旅行に同伴して記念写真を撮っていました。無論、一般の人の写真も撮っていました。
 教え子に、今、活躍している女流写真家、セミプロ写真家がいっぱいいます。大内栄さんは今でも、志村さんに教えてもらったことを感謝しています。
 僕も志村さんの教えで、名古屋市内の栄の地下鉄道の地下街でカメラを買いました。
 その頃、季節は春です、桜が満開の時です。
 僕はためらわず、桜の写真を撮り続けました。本当に、爽快です。
 また、僕は、前々から知っていたスーパー銭湯「喜多の湯」にも、志村さんと一緒に、会員カードを持っているので50円割引で入りました。銭湯は露天風呂、サウナ、ジャグジー、薬草風呂、なんでもついていました。
 楽しかったです。
 ある競馬にも一緒に行きました。僕は地下鉄、金山駅を降りて歩いて、名古屋のウィンズに行く時、すごく速く歩くそうです。志村さんがそう言うので、間違いありません。僕は無意識で速足になってしまいます。
 僕はお金をもっていくと全部馬券を買ってしまい、帰りのお金しかありません。
 テレビ司会者の徳光さんと同じです。子供のお年玉まで手をつけてしまう、徳光さん本人がテレビでしゃべっていました。爽快ですね!
 僕も、爽快ですけど、やはり帰りは疲れます。馬券が当たれば疲れも吹っ飛ぶんですけど、馬券がはずれると、もうくたくたです。
 今日、天皇賞のことで話し合っています。
 フォゲッタブルかジャガーメイルか、トウカイトリックか。ドリームジャーニーが出ないので、迷います。
 以上、行くぞ〜、これから〜馬券当てるぞ〜。
 最後は「宿命」、運命にすがって、それ行けドン、ドン! ドン! ドン! ドン!