時間簿・・・・・・・・・・・・・・・・・・岩越祐子




 母が、理由ありの女性ばかりと付き合うものだから、娘の私は少々ウンザリする。どのようなワケありの女性かというと、「風俗」を仕事としていた女性や、「ホステス」、別離た御主人が借金を重ねたあげくの果て、「ヤクザな取り立て人に身をかくす、天涯孤独で、難病を患っている女性」とかに出会い、私にその都度紹介し、私に面倒をみさせるのだ。いつもそうだった。
「いいかげんに、フツーの人と付き合ってみたら?」
 と最近母に言ってみた。
「別にとりたてて選ってる訳やあらへんがな。みんな近所付き合いの延長やがな」

 そうだった。大阪市の大正区の公団に住んでいる時に、風俗の仕事をしていたIさんは、我家の向かい側の部屋の住人だったし、ホステス業のTさんも、一号棟に住んでいた人だったし、天涯孤独なOさんは、八尾市の文化住宅に住んでいる、御近所の人だった。
 彼女達と出会ったのは、高校一年の頃であり、Oさんは最近知り合った女性である。
 突然、Oさんの家に、チンピラ風情の男性がドカドカと入り込み、彼女は脅えて、母の家に逃げ込んで来たのだと母より聞いた。
「私の家に来れば?」
 と誘ったのは私である。母のほうが驚いていた。
 私の身近でもアヤシゲな男が、自転車に乗ったまま、家の玄関近くのビワの木の下で、誰かを待っているポーズで一見サラリーマン風の男だった。私は男の後姿しか見ておらず、私の家の路地は端くれで行き止まりなので、その男の様子は不自然であり、気味悪いものがあった。そして、私の近所が、次々にドロボーの被害を受けて、ウワサ立っている折だった。私の住む家にしても、いつ誰が刃物を持って殺しに来るか判らない、という、不安感が日毎に増して来た頃に、私はOさんを誘ったのだった。私の不安感は、無言電話と、ファクシミリなど使っていないにもかかわらず、ひっきりなしのファクシミリ音と無言電話を毎日されていたからである。そして、見知らぬ男の出現に、一体誰のイタズラだろう? と、私の見知っている、このようなイタズラを仕掛ける社長達を思い浮かべると、三人はいそうだった。金持ちで、ヒマを持て余し、私からシャクに触る物言いをされて、ちょっと、からかってやろうじゃないの! と、このようなイタズラを実行させているのかも知れない、と、この時ばかりは私も自分の日頃の物の言い方を反省したものだった。そこへ毎日の朝のニュースに、知人や身内による殺人事件の内容が報道され、益々不安感が強まったのである。このような不安感から、時間簿を付ける事を思いついたのだった。集計ノートに、タテ軸に時間、ヨコ軸に事柄を書き、矢印で時間と時間を結び、何をし、誰と会っていたかを詳しく書き記すと、日記帳にもなるし、いつ誰に殺されたとしても、この時間簿によって、犯人をつきとめやすくなるのでは? と思ったからだった。この右側の余白部分に、領収書をハリ付け、今もこの時間簿を記すようになって四年目になっている。
 警察に相談すると、防犯は各自がするしかないようだった。殺されてから警察は動くのだ。御近所にも、ドロボーやアヤシゲな人がうろついているので、気を付け合うようになり、向かい側のI学園のガードマンの警備も強固なものになっていくうちに、Oさんを泊めて十日も過ぎ、私の家の周辺でのアヤシゲな男の存在もなくなり、無言電話やファクシミリでのイヤがらせも同時になくなっていた。
 十日ぶりにOさんは、Oさんの家に帰った。そして、二日後に引っ越されたのだった。Oさんも難のがれできた。
 私が八尾市人権啓発策定委員に選ばれたのは、そのような日常生活を送っていた七月頃だった。公募委員として活動するようになった。まず、無言電話やファクシミリ音は、一ヶ月の内、三〜五回にまで減ってきていた。その都度、受話器もハズシタままなので、随分他の人々に不便な思いをさせてしまった。
 今は、ほとんど無言電話も、ファクシミリも受けなくなってきた。
 人権侵害を受けている人々との関わりや、自分自身が受けてきた体験を、八尾市WAIWAI市民フォーラムの実行委員として(セミナー講師)体験した事を話している。
 母が接して来た女性達の生き様を知るようになり、知らず知らずのうちに、人権意識が高まったのではないかと思う。
 逆説的育てられ方なのかもしれない。それとも、そのような生活環境こそが、今の私を育み、現在の活動に向かわせたのかも知れない。私自身、最悪だ! と思われる環境こそ、私にとって必要不可欠の環境だったように、今になって思い知るのだ。
 物書きにとっての最良の環境とは、一般人にすれば最悪の環境であり、常に裏と表の差異がある。物書きにとっての最悪の環境とは、満ち足りた生活であり、何の悩みもない、ハッピーな日常である。ハッピーな日常になれば、物は書けなくなり、その折は休息して、一般人としての生活を楽しめば良いし、一般人としては不幸といえる環境になれば、しめた! ものである。またぞろ物が書けるのだ。だから私は常にどうなっても、対処できる幸せ者である。 

岩越祐子(いわこしゆうこ)
児童詩詩人
児童詩誌「このて」会員
八尾市WAIWAI市民フォーラム実行委員
コンテスト文芸社「たび旅・journey」佳作
岐阜市主催の「信長への恋文」手紙コンテストで123賞を受賞