桔梗と馬・・・・・・・・・・・・・・・・・・岩越祐子

           

 岩越某という名前が戦国時代の、織田信長に仕えていたことを突然見つけたのは、「国盗物語」を読んでいた折で、驚いてしまった。
 馬回りの役人として岩越某左衛門という人物がヒョッコリ登場している。我家の家紋は丸仁に桔梗で、桔梗の家紋の由来は土岐一族が合戦の折、兜に桔梗を差し入れて闘ったら、勝利したので以後、桔梗を家紋にしたと、歴史書に書いてあるのを見て、風流な、と思ったものだった。土岐一族の中に明智光秀が居た。彼の家紋も桔梗である。信長に反逆した彼を除く、一族はどれ程肩身の狭い思をして生きたかを思うと、桔梗の家紋は、武士において死神と同じで、嫌だっただろうと想像できる。家紋をお金で売って、その資金で商人になった武士もいたと思われる。しかし、商人達も、なるべくなら使いたくない家紋だったかもしれない。土岐一族は、源氏の血を受け継いでおり、清和天皇が先祖にあたる、名門と、歴史書に記されている。曽祖父まで寺の住職で、祖父の代の折、後を継かずに米屋を営んだと聞いて、武士だったのかも知れないと、おぼろげに思っていたら「国盗り物語の人物」に出会ったのだった。馬の世話係をしていた人が私の先祖であれば、納得できるように思う。それというのも、どういう訳であるか知らないが、馬を見ると血が騒ぐからなのである。全身がカッカと熱くなり、エキサイトする。他の事柄だとそうはならない私が、なぜ馬にこうも血が騒ぐのかと、私の中にこだわりがあった。先祖の血が騒ぐのかと思えば、幾分かのこだわりを消すことができた。馬に茶道に能楽と好味が重なれば、これはもう、武士の必須教養となる。剣道よりも弓道にどちらかといえば魅かれる。過去世において、騎馬隊の一員で闘ったかも知れない。その名残りが血の騒ぎとなっているのかも知れない、と思いながら、馬に乗って馬場を歩かせる。馬もアラブ産は、神経が太いがその太さゆえに逆にこちらが危険にさらされる場合がある。洗い場で馬に鞍を取り付けるまでの所作に、馬の爪を鉄爪でほじる事を忘れても、馬は平気で馬場に向うのである。馬の爪には、小屋での砂やワラ等がギッシリ詰っており、事故を招く一因となる。
 サラブレット産は、非常に神経質で、手順一ツの違があってもダメである。ふんばって動こうともしない。必ずそのような折は、手順が後先となっているか、どこかの作業にミスがあるかで、事故から守ってくれる。多少イラ立ちはしても私はサラブレットが良い。
 馬の中にも上品・中品・下品がある。上品は、性格も穏やかでクセがない。中品は、柔順であるが一点許容しない頑固さがある。下品は、クセが多く気も荒い。最初は、馬を事務所側が決めて乗るのが常で、乗り慣れていなくても、クセの多い馬を乗るように指示されたり、又は先輩が羨ましがる馬に乗るように言われたりして、毎日どの馬が乗れるのか判らないが、乗る限りは、乗りこなさなければならない。私が男性心理となり、馬が女性心理となる。どうすれば攻略できるかを瞬間的に捜さなければならない。馬のクセもあらかじめ聞いておくのも忘れない。馬によってクセも様々で、馬が他の馬の足を引っかけるクセのある馬、他の馬の耳を噛みに行く馬。
 馬場から洗い場へもどる折に、突然走り出すクセの馬と、様々で、いつも危険と隣り合わせなのだった。馬を数多く攻略する人が、馬術技能ありと見なされ、女性を数多く攻略する人をプレイボーイとか呼ぶが、あれも一種の尊称ではないかと思う。一番恥かしく思う事は、一見おとなしそうな馬が、一歩も動かずふんばる時で、攻略どころか、拒否されるのだから、面目まる潰れである。洗い場では柔順そうに思えた馬が、皆の居る馬場で頑として動かないのである。それは、交際を申し込んでOKした女子を連れて仲間に紹介する段になって、『ガールフレンドのF子』と言った瞬間、ムッとした顔をして、『私、あなたのガールフレンドでも何でもないわ、失礼ネ!』と言って去ってしまった後の気持に似ている。私は馬を通して嫌でも男性心理そのものを学べたようである。もし、女性心理を知りたければ馬に乗ってみれば良い。馬が女性心理とは、こういうものよと教えてくれるだろうから。
 馬を恐がってしまえば、馬は逆にこちらをバカにする。褒めたり叱ったりするタイミングが合わないと、馬は言う事を聞かない。洗い場で、馬の世話を焼く、こちらを馬は観察している。初心者か慣れているかを馬はこの時に識別する。私の攻略法は、誠意を持って馬に接するのみであった。角砂糖やニンジンは食べてしまえば終いである。そのような小細工はやめて正攻法を用いた。馬の身になって物事を配慮した。これはどの馬にも同じであった。馬も初心者扱をしなくなり、指示の手綱どおりに動いてくれた。誠意がもっとも基本で次に相手に対して打ち込める情熱であり、打算のなさであろう。この三点が大事だという事を身で覚えたのだった。乗馬によって男性心理、女性心理が判るようになっただけでなく、人間不信に落ち込んでいた私に馬達が勇気付け、励ましてくれたのだった。
『僕等でさえも心が通い合うんだ。人間は言葉があるじゃないか、分り合えない事などないんだ。誠意をつくせば必ず心を開いてくれる。僕等のように』
 私は馬達によって心の病を直すことができたのだった。馬の中でもテンボーイによって。テンボーイ程、風変りな馬はいなかった。彼は方針を持っていた。まず、初めて乗る者は誰であろうと落とすのだった。次に、手入れの手抜きをする者には、噛むか、蹴るかのいずれかを必ず行う。気に入らぬ者がどのような作戦で近付いてきても一顧だにせず落す、というクラブ員泣かせの馬に私は救われたのだった。私はどの馬に対しても手抜きはしなかった。私は彼の方針通り、初めて乗った時に落とされた。落ちた瞬間、電気が頭の先から足の先までビリビリして、腰を強く打った。今だに出産できないでいるのもこの時の落馬が原因かも知れないが、私は少しも悔んではいない。私は、すかさず馬に乗った。彼は、ちょっと変だゾ?という風に首を傾けて私を見た。それからは手綱の指示通り動いてくれた。クラブ員一五〇名居る中で、彼が乗せるのは、私を加えて三人だけだった。多勢の人々が彼にアタックしたが、ダメだった。テンボーイは私の馬という風に皆に思われるようになり、私も毎夜、テンボーイに乗っていた。疾走している問のわずかな瞬間私とテンボーイとの心と心の通い合いが嬉しく、他の馬では味わえないエクスタシーが感じられた。私はすっかりテンボーイに夢中になってしまった。アイドルを追いかけるかわりに馬通いであった。テンボーイを人間に仕立てるとどういう人物になるのだろう。まずオシャレであろう。次に家事全般にわたり、手抜きをしょうものなら、暴力をもやむを得ないと叩くだろう。付合が悪く孤立してしまい、誰も判りはしないサとニヒルに笑うだろう。もし、このようなタイプの人が身近に居ても、私は夢中にはなれない。馬だから夢中になれたのだ。誰もが敬遠している気難しい馬が、私の心にこたえてくれたのだった。その課程が私の心の治療日数となったのだった。誠意は必ず相手に通じる、という事を立証してくれたのが、テンボーイだった。私の永遠の恋馬である。誠意は必ず通じるのである。相手によっての遅い早いはあるにしても、あなたの誠意が必ず相手に通じるのである。





          岩越祐子(いわこしゆうこ)
             児童詩詩人
             児童詩誌「このて」会員
             八尾市WAIWAI市民フォーラム実行委員
             コンテスト文芸社「たび旅・journey」佳作
             岐阜市主催の「信長への恋文」手紙コンテストで123賞を受賞。