野球も悪くはないけれど・・・・・・・・・・・・・・・・・・礒山正玄



プリンターの前に、薄い黄土色の革に地中海のような染みのついたボールが静止している。褪せた赤い縫い目も幾つか切れてしまって、額に当ててみてももう革の匂いはしない。

掌ですっぽりと包む。

また置いてみる。

息子Sが高校を卒業したときからだから、このボールは私の机の上でもう六年になる。周囲二百三十ミリ、重さ百四十五グラム、百八つの縫い目をもつこのボールを片手に弄びながら、私は本を読み、CDを聴く。そしてときに、Sがマウンドで投げていた頃のことを思い出す。

ピッチャーが投げる。白い糸を引いてボールがキャッチャー・ミットに。強振したバットが空を切る。ミットが「パーン」と音を残す。速球に応えるように主審のくぐもった「ストライーック」の声。打者は足下に降ろしたバットに視線を移し、そして、足場を確かめる。マウンドと本塁の間の圧し縮められた空気もほぉーっと一息つく。ピッチャーはスカイグレーのユニフォームに紺のソックス、左手に黒いグローブ。そのグローブがキャッチャーからのボールを受ける。右膝にすこし土がついている。足場を気にするようにスパイクシューズで均す。帽子のひさしに右手をやる。ボールをグローブの中に、右手を腰の後ろに、やや屈んでキャッチャーのサインを見る。両手を頭上高く振りかぶる。左膝が上がる。大きく踏み出したかかとが大地を踏みしめる。右腕は十分背後に引き絞られ、右足が跳ねて全身が躍る。その時、一瞬、背番号「1」が見える。腕はしなやかに鋭く回転し、手を離れたボールがミットに吸い込まれる。

口数が少ない高校生のSが私を相手に野球について話すことは、滅多にないことだった。

――何だかボールとしっくりいかなかったなあー。ボールは試合ごとに違った感じがする。試合開始のときに主審から受け取るまでその日のボールは分からない。グローブの中でボールの感触を確かめるんだ。今日は全然ダメだった。指が縫い目にかからないし、革も滑るような気がした。カーブの切れが悪かった。少しはよくなって来たかなと思ったのは七回頃になってだった。感触の違いはメーカーにもよるけど、そのせいばかりには出来ないなあー。温度とか湿度も日によって違うし、指先の感じは毎日同じじゃないから。反対だと思うかもしれないけど、硬式のボールの方が軟式よりも指先は痛くならないんだよ――

監督からは一つひとつのプレーごとに教えられるらしい。攻撃の流れを考えてバントは最初のストライクで決めるべきものであること、次の打者はホーム・ベースに向って来る走者に指示を与える三人目のコーチャーであるというようなことを聞いては、なるほどと感心したりした。毎日の練習についても、キャプテンやエースはチームメイトの見えるところでした方がいい、と言われたらしい。そうかも知れない。

 メジャー・リーグでは、全試合、スコア・ブックに記録があって、百年以上も前の試合の一球一球のプレイをたどれるそうである。それは野球好きには楽しいことだろう、あの山際淳司の「江夏の21球」のように。もう終ってしまったあの試合、空は薄鈍色で肌寒く、スコアは三対二。八回、ワン・アウト、走者一、三塁。カウントはワン・ストライク、ツゥー・ボール、と試合の成行きをたどり、ここでピッチャーは……、打者は……、走者は……と想像するのは楽しいに違いない。しかし、それは野球を観戦する人にとってのことであって、実際にプレイした人にとっても楽しいかどうかは分からない。草野球の経験しかなく観るだけの人である私がこのように疑ってしまうのは、野球では失敗のプレイも成功と同じように記録し、まるで失敗を数え上げているかのように見えるからである。勝ったチーム、負けたチームのどちら側でプレイしたとしても、失敗は数多く記録されているはずである。その失敗に悔いが残らないのだろうか。

打者について言えば、

「安打、凡打、三振数、四死球、併殺打、犠打、打率、本塁打、打点、……

と、失敗は成功と同じ数だけあるが、それらは安打と凡打のように背中合わせのことが多いから、まあ、いいとしよう。

バッテリーについては、

「ストライク、ボール、被安打、被本塁打、与四死球、ピッチャーの暴投、ボーク、エラー、奪三振、失点、自責点、防御率、勝ち数、負け数、キャッチャーのパスボール、盗塁阻止率、……」

などで、失敗の記録が圧倒的に多い。

ピッチャーにいたってはさらに厳しい。十八、四四メートル先のホーム・ベース目がけてストライクだけを投げて打たれず、たとえボールを投げることはあっても、それは三振を取り凡打にするための布石でなければならない。当たり損ないのひねくれたゴロもグローブからこぼすことなくアウトを重ね、防御率を下げ、勝たなければならないと言っているように見える。失点、自責点とまで言うと、ピッチャーが可哀想ではないか。終盤、投球数は百を超え、どうしてもこの打者は抑えなければと、深めに被った帽子で疲れを隠し、重くなった肩を押して投げているに違いないのだから。

Sは一年生の秋からエースだった。二年生の春、夏の大会をほとんど一人で投げ抜いた。大会に臨むには多くの練習試合が組まれ、それらの試合でも投げたから、疲労が蓄積していたのだろう。秋に左脚の脛骨に疲労骨折が起こった。そのとき二ヶ月も練習を止めて休養し、完全に治せばよかったのだ。もちろん私はそのように勧めたのだが、背番号が「1」でなくなることを恐れて休めないらしかった。少しの間なのに、チームメイトとも監督とも離れる強さがSになかったのだ。脛骨が治り切らないうちに、今度は右肋骨を骨折した。コルセットの紐を胸で結びながらSは練習用マウンドで軽く投げただけなのにと言い、私はそんなことで骨折が起こってしまうことに驚いたものだった。肋骨をかばってか、怪我は怪我を呼び、三年生の春には右肘痛が始まった。  

皮肉なことに、二年生の秋、三年生の春の大会にはSが一球も投げなくても、チームは県大会出場を果たした。弱小チームは部員を増やし、力をつけ、いつの間にか下級生ピッチャーは成長していた。準々決勝まで勝ち進んだ夏には、ひょっとして投げる機会がと、Sは最後の試合まで鎮痛剤を飲み、風呂上がりには裸で右肘をゆっくり屈伸させ、左手でマッサージした後、撫でるように軟膏を塗っていた。そのSを見ていた私には、ピッチャーとは何と悲劇的な役回りなのだろうという思いが残った。

野球と比べると、サッカーは羨ましい。失敗の記録が少なく、おおらかに見える。誰がゴールして、それを誰がアシストしたか、シュート、コーナー・キック、フリー・キックの数、ボール支配率など、成功の記録が圧倒的に多い。失敗は警告、退場くらいだ。オウン・ゴール――サッカーでこれほどの致命的な失敗はあるまい。それさえも相手チームのゴールとするだけで、誰もとがめられないではないか。野球は悲観的な人の、サッカーは楽観的な人のスポーツなのだろうか。子供や若い人にスポーツをと思うなら、サッカーを勧めるのはどうだろう。野球も、野球も決して悪くはないけれど。