藤沢貴常



種としての仕事 

  

 突然なのだけれど、私の家は山に囲まれた盆地のような場所にある。  
 ここに住み始めて二十年を超えた。

 昨今は本当に、よく『自然』という言葉と『環境』という言葉を聞く。一日テレビなどを付けていれば、数分おきにこれらが飛びかう。   私は今でこそ、主だった活動などはしていないが、十五年ほど前には環境保護の活動家だった。   このように多くの人々が、自然や生物たちについて知識を深め、また理解を示してくれていることは、草創期を駆けていた私にとってはうれしい限りである。 

 が、この頃、事実とは違う情報が私の耳に入ってくることがある。
 そのことについて一言、意見したくて筆を執った。

 ご存知の方もおられようが、私たちが『自然』と定義しているものは、その実、本当の意味で自然ではない。私たちのご先祖の方々が、手入れをして作り上げた産物なのだ。

 私の家のことは先にふれた。家の近くの山々には、はっきりと二種類のタイプが見て取れる。国有林ではないので地主が管理している。その管理によって、山としてしっかりと機能しているものと、いないものがある。
 機能しているほうは、下草が茂り地肌など見えない。これら山々には常緑樹以外にも広葉樹が多く育っている。そのため多様性があり、鳥たちの囀りや小動物たちの生活感が見え隠れしている。最近では少なくなったが、一時は猪だの鹿だのが出るといって、近隣は大騒ぎになった。
 一方の管理の行き届いていない山は、下草など全くない。したがって、せっかくできた養分の豊富な土壌を留めておくことができずに、木々の巨根がむき出しになっている。これらの山々は、大変に滑りやすい。また植物の多様性も乏しく、動物達の姿はない。

 大雨などが降ると一目瞭然で、手入れのしてある方はよほどのことがないかぎり崩れない。しかし、手入れのしてない方は崩れやすく、すぐ通行止めになってしまう。
 わが家の裏山も手入れが中途半端だったために、私が越してきてすぐに山の上半分が崩れ、三日ほど近くのお寺へと避難した。
 山そのものは大きなものではなく、下から見上げれば頂上がわずかに見える程度のものだ。
 それでも大きな崩れがあった際には、新築の家が傾き、塀などにはひびが入り、半壊したところもあった。
 近年、山々の持つ保水力などが見直されている。コンクリートなどで作られたダムよりも、木々や下草が作り出すダムの方がはるかに強度がある。その本格的な研究が盛んになっていることは、ここに記すまでもないことだろう。
 元々私の家の周囲の山は、木々の種類が単一(杉などの常緑樹がほとんど)で環境学の言葉を借りるなら多様性に乏しい。きれいすぎるほどに整えられた感じからは、人工のものであることを読み取ることができる。
 下草が生え、それに伴う植物の多様性が生まれるためには、山師が定期的に山に入って木々の枝打ちをして(茂りすぎた枝を落とすこと)木々の生えている場所にも、日光が届くようにすることが必要になる。文字や言葉にすると簡単に思うかもしれないが、言うほど簡単ではない。そのことは、近年の後継者不足を見れば明らかだ。

 山のことに触れてきたが、私たちが安らぎを感じる景色にも同じことがいえる。
 田園風景も、畑の有り様も全て農家の方々が作り出したものなのだ。耕し、整え、観察する。その集大成が景色として、私たちを和ませてくれている。
 本当に、雨の日も風の日も休まずに田畑へ出て仕事に励む姿を、私は当たり前のようにしてみてきた。その当たり前は経験という計算のもとにはじき出されたものだ。
 畦道一本にしろ、盛り土にしろ、とても大事な役割を与えられて存在している。  決して無駄なものはない。

 自然は強さの中に脆さを持っている。私たちがある程度、手を差し伸べてあげなければ、 その力を失ってしまうほどに。
 手を差し伸べる、それはこの星に生まれた生物に平等に与えられた仕事である。
 小さな虫や草一本に至るまで、その与えられた仕事をこなして『自然』というシステムを動かしている。
 私たちの仕事は汚すことではない。殺すことであるはずはない。全ての生物の中で発達した知能と、高い適応力を持っている。それは、私たちに『山師』になれということではないだろうか。  正確な知識と客観的な視野を鉈に、時に大胆な勇気や行動力というロープを使って、地球という大きな山を整えていく。
 それが私たちの本当の仕事ではないかと思う。

 情報社会という海の中で、本当に私たちは、正確な情報を自分の才覚で選択できているだろうか。ほっておけば育つ植物などない。生物だって気にかけていなければ、絶滅する。
 そういう社会にしてしまった責任は私たちにある。今、私たちは本当の仕事をすべき時を迎えているのだ  

 スズメバチのことを最後に書こうと思う。
 蜂の中でも攻撃的で危険だと言われているスズメバチだが、本当に何もしなければ襲ってなど来ない。
 彼らにも役割があって大概は偵察蜂が町中を飛びかっている。
 「蜂だ」
と騒ぎ立てて彼らの神経を逆なですれば、猛然と向かってくる。ここで蜂を殺してしまうと、殺された蜂から仲間に向けて集合の合図とも言うべき物質と、攻撃性を高めてしまう物質が放出される。しかし、静かに見ていればほとんどは飛びさって行く。また、巣の近くに敵が来ると、口をカチカチ鳴らして自分たちの巣が近いことを知らせる。この音は警戒音なのだ。
 彼らが異常に発生したのは、彼らのせいではない。私たちの生活空間が彼らの世界に食い込んでしまったにすぎない。
 確かに、危険でないとは言わない。だが、何も知らずいや、知ろうともせずに闇雲に潰していくから、彼らは自分たちの遺伝子にしたがって仲間を増やしていく。
 この程度の情報ならば町の図書館に行けば簡単に手に入る。十分とかからない時間で調べることができるだろう。

 時勢やあいまいな情報に振り回されるのではなく、正しい知識や広い視野を持つ。
 私たちが本当の仕事をするためには、まず、そこから始めなければならないだろう。

(2005)






手紙

 昨今は本当に手紙らしい手紙を見ることがなくなってしまった。

 PCなどの情報機器の発達に伴い、文字の使用頻度は増しているかもしれないという時勢である。
 仕事場であったり、学校であったりその場所を問うことなく、また、時間も関係なく『メール』として私たちは今日文字に触れている。
 であるのに、便箋を買い、封筒と切手を買って手紙を書かなくなった。はがきですら、この頃はPCで印刷するのが当たり前になってしまった。
 文字を単なる道具としてしか認識できなくなったいうことの表れだろうと私などは考えている。
 確かに、誰もがメール機能を持った機器を手にしている。それゆえに、情報の伝達や確認といった重要事項の疎通は、ここ十年だけを見ても目まぐるしく進化している。今送った文字が、数秒で世界規模に広がっていく。
 これは手紙には真似ができないものだ。

 ツールとしての文字の完成型が『メール』であることは、もはや疑いようがあるまい。 それは私自身もこの社会で暮らしている個人としては認めるところである。
 が、メールと手紙では、決定的に違うものがある。どれほどにメールという形態が発展したとしても越えられない壁。
 それは一言で言えば温もりであり、他方では人間性ともいえるものだ。
 メールは気軽に文字を使うことができるぶん、その一言一言には一種の重みがない。そのため、受け取った側は心に残るような感動を受けにくい。
 しかし、手紙はこの点が違う。
 どんなに気軽に書こうとしても、どこかで気が引き締められるような思いが書き手の中に生まれる。
 そのために、しっかり書かなければという心が芽生えてくる。このようにして紡ぎだされた文字には、自然と重みが出てくる。書き手の気持ちが込められていく。
 それが一行であっても、あるいは一文でも込められた思いが文字数以上の感動を読み手に与える。
 だから、容易には捨てられないものになるのだ。

 私は、十五年ほど前まで文通をしていた。 当時の私は十代後半。仕事と変化のない日常を、ただ浪費している人間だった。
 ある時、雑誌のコーナーに『ペンフレンド募集』の文字を見つけ、なんの気なしに投稿してみた。
 そして、ハマった。
 100キロ以上も離れた所にいる人達と、文字を交わした。恋愛相談をしたり、受験のことで相談を受けたり、とにかくおもしろかった。最高で月に五人の方と文通していた。 返事を書くことも、返事を待つことも楽しくて、何気ない日常が輝きを持ったものだった。その文面だけで、恋に落ちたこともあるほどだ。
 今は、自然消滅になってしまった方もいれば、互いに納得して終わった方もいる。

 先日、部屋の整理をしていて当時の手紙が何通か出てきた。全部相手の方に送り返した(それが私の流儀だった)つもりだったのだが、返しそびれたものがあったのだ。
 消印などは完全に消えていたし、鉛筆書きの文字もかすれていたが、懐かしくて片付けをせずに読んでしまった。

 十年以上もの月日を経てもなお、心をたたくもの。
 それが手紙である。
 言葉とも電子文字とも違う、確かな心が宿っている。
 日本という文字に不自由のない国に生まれ、生きているのだ。
 私は『手紙』という古いけれど、新しい文化をこれからも記していくことだろう。

 それが今の私の望みでもあるのだから。
(2006)






「デビュー〜現実と夢と〜」



 「この書類に判をお願いします」

 この言葉からすべてが始まった。
 それから半年。
 桜咲く季節、しかも自分の誕生日に作品が本として出版される。

 プロになったのだ。

 私は体を壊し、一般就労できなくなってから本格的にこの道に入った。
 子供時分から、ものを書くことは好きで、小・中学校の頃には県の読書感想文コンクールや、校内のコンテストに入選する常連だった。
 そもそも、私の体は一般に言う健康体ではない。障害者というカテゴリーに属している。だからなんだと自分でも思うのだが、このことが私を書くという世界に導く一因になったことは否定できない。いじめられたり、苦汁を飲むことによって、私の感性が磨かれたのだ。
 中学卒業と同時に社会へ出て、身体に負担をかけた代価として持病が生まれ悪化した。
 それが3年前。
 これ以前にも、雑誌の投稿欄などには文芸作を発表してきてはいたが、それは遊びであって本気ではなかった。が、持病悪化によって働けなくなったために、気持ちの切り替えをして今に至っている。
 本職としての物書きを目指したわけである。

 そして叶った。

 本気で取り組み始めてから、いろいろな出版社から
「共同出版しませんか?」
という電話や手紙が届くようになり、コンテスト入選には縁がないものの、作品集に収録して出版したいという提案をいただくようになった。

 そして、この世界に入ってさまざまな事を学ぶうちに私は一つの答えにたどり着いた。
それは、
 『金とある程度の執筆能力さえあれば、誰でも出版できる』
という事だ。
 共同出版の企画書を見ると、出版社ごとに多少の差はあれど三桁を越える金額になっている。さらに、少し装丁をよくしようものならば社会人一年生の年収を超えてくる。
 これには驚いた。
 私も工場人として二十年ほど現場にいた人間である。大まかであるがコスト計算ぐらいはできる。その計算をもってしても高すぎるのだ。
 しかし、これが完全な自費出版となると別物になる。前記の十分の一の予算で作れる。
 この差は何か。
 前者は本の製作費用を著者が出して、その広告費用のすべてを出版社が出すというスタイルのもので、後者はその両方を著者が負担する。
 私が契約し、デビューした形態は前者である。単純な数字で言えば、後者のほうがお徳感があるけれども、販売ルートや流通システム、知名度などの金銭では解決できない問題を『出版社』というバックボーンに頼る事で、より効率よく市場へと参入できると考えたからである。
 自費出版の場合、特にそれが書店に置かれて流通ラインに乗せたいという意図があるという時、一番問題になるのは広告や営業だ。
 昨今のように治安が不安定な中で、まったく知らない人間が飛び込みで販売依頼をするというのは困難極まりない。
 「新手の詐欺か」
などと思われても致し方ない。さらに言えば、一般の、ごく普通の人間がそんなに多くの企業コネクションを持っているわけではない。その開拓には、予算も時間もかかる。
 記念にという心構えならばいいけれども、出版して自分の文章を持って世に何かしら問いたいと思うなら自費出版はかなりのハードルがあることを覚悟しなければならない。

 私は本当に最低の装丁で作品を本にした。
 「この装丁だと、完全に中身勝負になります」
 企画担当者が真剣なまなざしで私にそう言った。それまでは和気藹々の感じだったのが、突然変わったのを今でも鮮明に記憶している。

 私は今、自分の書作を手にしながら恐怖に戦いている。
 これまでのような半端な気持ちでは、もう書く事はできない。その一字一字が、誰かの心に影響を与える。そして、市場という化け物は容赦なく私を咀嚼し、飲み込む。
 それが怖いのである。
 『その形態のとらわれることなく、世に自己を問う』
 これこそがプロというものだと私は考えている。その結果がどういうものであれ、それが自分の実力なのだと素直に受け止められるだけの胆力を有していなければ、プロとはいえない。
 俗な言い方をすると、金さえあれば何でも叶う時代だ。
 単に出版したから、流通に乗ったから『プロ』だという定義を真実と思うなら、誰もがプロになれる。
 けれど、それは生み出す側でしか物事を見ていない偏った考えであろうと私は思う。私たちは創り手になれる素養もあるが、その前に市場の支えている大切な骨子でもある。
 プロになるという事は、発信側と受信側の目を同時に持つ事が第一義ではないだろうか。

 私は今回のことで、それが骨身にしみた。
 誰にでもチャンスがあるからこそ、その大切な視点をしっかりと養い、自分の心を律していかなければいけないのだと。

 市場にとらわれることなく、いいものを生み出し続ける。
 それは続けていけばいくほど、プロとして、あるいは創り手として忘れがちなことだ。
 けれど、それだけでは本当のプロ意識ではない。その心と確かな目を持ってこそ真のプロなのだと私は心から感じている。
(2007)





馴染み店舗



 いきなりなのだが、読者の方々は『なじみの店』をお持ちだろうか。

 サラリーマンの方々は飲食関係では数件持っているという人もおられようし、主婦の皆様は毎日買い物に行く店が決まっているという方もおられよう。
 私も、本屋と喫茶店、文具店など数件を持っている。

 唐突にこんな話から文を書き始めたのは、『馴染みの店』というものが、廃れていく有人店舗の復活と、小さな町の商店街起こしになれるのではないか。
 と、思ったからである。

        ※

 昨今は、インターネットの驚異的な普及によって「店舗」そのものが少なくなってしまった。机上の空論的な政府の経済政策や、世界的な株安などによって、店舗経営の衰退に拍車がかかっている。
 様々な要因が複雑に絡み合っていることは否めないが、なんといってもネットは大きい。
 家に居ながらにして何でも購入でき、ネット内で店を構えることもできる。ネット店舗は面倒な手続は必要最小限で済む上に、土地や店舗維持費もいらない場合が多い。商品さえあれば、誰でも気軽にオーナーになれる。
 また、リサイクルという意味合いでは、オークションシステムも浸透している。
 つまり、物流の流れとしては最適な環境になっているわけだ。
 その反面、ネットによる物品売買においての問題も多く、消費者センターなどでは問い合わせが急増しているという話も聞いた。
 現代社会はインターネットによって、成り立っていると表現しても誇称にはなるまい。

      ※

 他方では、大型の量販店が増えたり、規制緩和によってコンビニの取り扱い商品が増加した。
 このような形になると、どうしても単価的に安くできにくい小売店は太刀打ちできるはずもなく、老舗と呼ばれる店ほど潰れてしまっている。
 長く続いている実感としての不況は、消費者にとって「より安いものを」という意識を固定させるには充分な時間を与えてしまった。
 現実として同じ品が、量販店なら88円で、商店なら100円であったなら、誰もが前者を選ぶ。
 こういう小さな積み重ねが、津波のようになって小売店に襲い掛かっているのだ。
 さらには、ネットによって出歩く必要がなくなってしまったという生活スタイルの変化も商店街衰退の力になっていることは言うまでもない。

        ※

 こんな中で、私が店舗にこだわる理由は一つしかない。
『面と向かってお金を使い、安心して物を買いたい』
 ということである。
 
 私はどうしても、ネット販売や代引き、振込みなどによる売買が信用できない人種なのだ。
 やむなくそれらを使う場合もあるが、その時には相手先に電話を最低二度かける。一回目はお金を振り込んだ直後で、しっかり振り込んだ旨を相手に伝えるためで、二度目は商品が手元に来た直後である。確かに受け取ったという連絡だ。受領書や諸々の手続においての書類はあるけれども、それに加えて行う。売る側の顔が見れない上に、多くの人間が中間に入ることで何が起こるかわからないからである。

 それが日用品であれ、娯楽用品であれ、しっかりと売っている人間と商品を手にとって、納得した上で購入したいのだ。
 このご時勢、次々と新手の詐欺が生まれ、少しでも気を抜けば騙される。そして、場合によっては命のやり取りになる場合すら否めない。

 事はお金のやり取りだ。
 そうそう気軽に行っていいものではない。
 お金とは額の多少ではなく、自分が努力した結果としていただくものだ。使うならもっと慎重に、そして安心して使いたいと思うのは間違っているだろうか。
 ネットでのやり取りの全てがいけないというのではない。このシステムによって、世界を広げた人間も、あるいは救われた人間も居るのは事実として素晴らしい。
 ツールとしてこれ以上のものは現段階では皆無といっていい。
 しかし、『お金』というものが絡むと、それは牙を剥く野獣にもなる。
 騙されたとしても、それが確固たる事件になり、犯人逮捕まで行き着くには途方もない時間がかかる。だけではなく、これだけ普及してしまったことが仇となり、犯人特定ができないというケースも少なくない。

        ※

 私は過去に何度かキャッチセールスにかかって、総額で100万円ほど騙された経験がある。
 当時まだ十代で、社会に出たてのルーキーであった私は、会社にかかってきたセールス電話や、町中の誘いに見事に騙された。
 それが詐欺であると気がついたのは、ほとんどのお金を取られてしまった頃であった。
 「もうここまできたら、払ってしまってください。そのほうが私達としても対処しやすいですから」
 事が発覚し、相談に行った消費者センターの職員が口にした言葉が、二十年近く経った今でもはっきりと思い出せる。
 ここに至って私は、対面式の売買を積極的に取り入れるようになった。
 なんといっても、100万。当時の年収の半分である。考えを改めるには充分な動機だった。
 身近に店舗を見つけ、数回足を運び、店員や店主の商品知識や接客態度などをみて、良いと思った場合には、週一ないし月一のペースで通い、私の顔を覚えてもらう。それが本屋であれば定期購読という形で、決まった雑誌類を購入する手続をする。
 これが年単位になると、相手もいろいろな情報やアドバイスをしてくれるようになり、名実共に『お馴染みさん』として認知されるようになる。
 ここまでくれば、店舗側にちょっと無理なお願い(値切り)やデーター開示などを頼んでも、
 「いいですよ」
と内心では泣いていたとしても、笑顔で応じてくれたりする。それをこちらで汲み取り、次回には少し多めに注文を出すなどして、経営を圧迫しないようにする。
 『馴染み客』になるには、かなりの時間と、お金がかかる。が、それは意味のない使い方ではなく、若干の割高程度で考えの整理がつく。確かに同じものを100円で買うよりも、88円で買うほうが利に適っている。が、その差額は安心と安全の代価であると考えれば、それほど高くはない。
 
『安物買いの銭失い』
 こんな言葉もある。安いからといって、飛びついても往々にしてよかったと思うことは少ない。
 良いものを買うには、それなりの代価が必要になるのは世の常。
 自分の財布内で許す範囲ならば、割高であっても店舗で購入するほうが得である。
 『馴染み客』になれば、買いそびれは完全になくなるし、欲しいものだけを確実に手にできる。もちろん騙し・騙されはない。また、そのつながりから新しい店や情報を得られるというのは、金銭に勝る宝物だ。

       ※

 私は、自分が騙された経験から、『なじみの店を作る』という結論に至った。
 もし、私達一人一人が一店舗でも多く『お馴染みさん』になれたとしたら、そしてそれを続けていくとしたら、町は、ひいてはこの国はもっと活気づくだろう。

 人と人が接して物が売買される。

 これこそが意思疎通や個人消費の大きな支柱の一つであり、店と客の本質なのだから。
(2008)



運動



 先日、携帯が壊れた。汚水の中に落としてしまった。
 で、諸手続きの末に新しい端末を持った。現在、必死に操作法を習得中である。

 その機能の中に『万歩計』がある。自分の身長と体重を入力すると、一般的な歩幅が算出、自動登録されるようになっている。
 また、関連機能として、さまざまな運動サポートコンテンツに対応している。
 それはそれですごいとは思ったのだが、私としては腑に落ちない。

 そもそも運動をするということ自体がピックアップするようなことか、と思ってしまうのだ。
                ※
 昨今は健康志向の高まりによって様々なものが生まれている。ルームウォーカーからサプリメントなどの商品、ウォーキングをメインにしたイベントが多く受け入れられている。
 その中にあって、『運動』の重要性は特に著しい。
 食生活や環境の変化によって(技術の進歩)、私たち自身が望んで体を動かさなくても日常に支障がなくなってしまっているからだろう。このことから、必然として成人病や糖尿病患者は激増している。だけではなく、これらが低年齢化しているという事実もある。
 さらに、近年になって出てきたメタボリックシンドロームの概念がある。

 このような経緯の中で『運動』が見直されているわけであるが、私はこれでいいのかと思ってしまう。確かに、運動は大切だ。いつまでも健康で長生きするためには、また、日々の生活を楽しむためには欠かせない要素であることは、筆を使うことなく明らかである。
 しかし、それを特別視して、いたずらに民衆の不安をあおり、ビジネスにするのはどうだろう。その行動が、医師によって義務付けられているなら仕方ないが、一般的にはメディアが煽った結果のものであるといえなくもない。
 その結果として、いきなりの度を超えた運動をすることによる怪我や、中途半端な行動によっての状態悪化などの事実は隠れてしまっている。

  ※

 突然だけれども、私は子供の頃に三度の手術経験がある。小児麻痺を持っているからだ。
 麻痺自体は治療できないが、歩行のため、あるいは一般的な日常生活のために足のアキレス腱に関係した手術をした。
 だいたい手術から半年で治療が一段落する。継続的なリハビリは必要なのだが、手術自体によって失われた運動機能は半年あれば回復する。半年の時間の中で、もっとも大変なのが立つ事と歩くことである。そして、それは一番時間を使うことでもある。
 手術から一ヶ月ほどはベットから動けない。股下からギブス固定されて、寝返りすら出来ない。二ヶ月目からはベットからは出られるが、ギブス固定は変わらない。車椅子生活である。三ヶ月目ぐらいにギブスが取れ、代わりの補助具が付けられる。この頃になってリハビリが始まる。
 なんといっても二ヶ月以上、足を使っていないのだ。筋肉は完全に落ちている。まずは平行棒を使って立つ事からやらねばならない。
 が、それが容易ではない。始めて一週間ほどは一分立っているだけで汗だくになる。ベット生活からその時点までの暮らしの中で、上半身は動かし続けているから、ついつい腕の力で何とかしようとしてしまう。
「腕は使うな! 」
と、何度も療法士に叱られた。それでも駄目な時は、おもちゃのバットで尻を叩かれることも多々あった。私は口だけは達者だったので、そうしないと目的が果たせないからだ。
 五分ほど立っていられるようになると、平行棒がなくなる。今度は壁に寄りかかるような形での立位に変わる。が、寄りかかれるのは初めの一瞬だけだ。すぐに手を離し、数を数えるのだ。無論、療法士がすぐ側に居て補助はしてくれる。ここでもまた、数えるスピードが速いと叱られる(実際には時計を図っていたのだろうと思うが、私の場合には自分で数えるように指示されていた)
 ここまでくると後は早い。一週間ほど立位リハビリをした後、合わせて掴まり歩きが始まる。しかし、まだギブス代わりの補助具は取れない。
 立てるのだから歩くのは易い。と考えがちだが、立つことと歩くことはまったく違う。
 掴まって歩く。足をたった一歩踏み出す。そのことが出来ないのだ。それまでは静止状  態の立位で、ここに至っては動作の中の立位だ。自分の意思は伝わっていて、動こうとしているのに、力が入らない。すぐに汗が滲む。
 日常の中で立つことや歩くことは、ほとんど無意識で行っているものだ。それを失うと、
 一連の動作にどれだけのエネルギーを使っているかが良くわかる。一メートルが一キロのようにも感じるのはこんな時だ。
 掴まり歩きから、杖による歩行、通常歩行と段階を踏んで、半年間で走れるようになる。

 状況はまったく異なるが、高齢者が転倒などで寝たきりになると立つことが困難になるのは、私が経験したこれらのことの逆パターンが成り立っているからである。

  ※

 唐突に私の過去を書いた。もちろん意味がある。ようするに『立つ』、『歩く』それだけでも運動になっているということを伝えたかった。
 ではなぜ、そういうことをしていながら肥満になる、病になるのか。その理由は摂取カロリーにある。人間が体を維持するために必要なカロリー量をはるかに超えるものを摂っているから、余剰分が脂肪として体に蓄積されているだけのこと。だから、その余剰分を適切に消費すればいいわけで、そのために運動が大切という結論になる。

 しかし、現実には難しい。途方もない運動量を日々、継続していかなければならないからだ。ちょっと汗をかく程度ではどうにもならない。それだけ私たちの生活が豊かになったことでもあるのだが。
 けれども、だからといって、突然にジョギングを始めたり、ジムに通ったりするのはよろしくないだろう。たいていは続かずに元に生活に戻ってしまう。ただ、お金を使っただけなんてことにもなる。
 そこで前記の私の過去を思って欲しいのだ。必要に迫られれば、あるいは生活に欠かせないものであれば、どんなに過酷な運動でも出来るということを。
 運動だけを抜き出して、特別にするから続かないと私は思う。日常の中で必ずすることや、しなければならないことの中に運動を組み込んでしまえば、カロリー使用費も増えて無駄もなくなる。
 たとえば、通勤電車の中で、一駅分だけ爪先立ちをするとか、車の中で赤信号の間だけハンドルをハンドグリップのようにして使うとか、デスクから席を立つ時に少しだけ太ももに力を入れてみるとか、方法はいくらでもある。主婦であるなら、家事を集中してやってみることが一番良い。炊事・洗濯・掃除は本気でやれば、相当にカロリーを消費できる。現在では家事全般は労働であるという認識だ。これはそれだけ運動するという裏返し。

 運動。それを続けたければ特別にしないこと。時間を設けたりしないこと。日常の中でいくらでも体を動かす機会はあるのだから。
(2009)



電波不平等



『テレビが見れなくなるな』
 直感で、私はそう思った。

 これは過日、参加してきた地上デジタル放送に関しての説明会後に思ったことである。

 私の住んでいる地域は、山に囲まれた盆地で、ちょうど中継局側に山があるため、現行でもブースターがなければ、ほとんどの局が砂嵐状態で視聴はできない。さらに台風の時期はアンテナの状態がめまくるしく変わるため、天候にも気を配らねばならない。
 が、実を言えば、現在、アンテナは完全に折れていて、二局ほどしか視聴できない状態にある。直せばいいのだけれども、工事で五万円もかかると言われてしまうと、年金暮らしをしている私にとっては行動を躊躇してしまう。ブースターまで交換となれば、年金の一か月分をまるまる出さないといけない。それでは生活ができなくなってしまうからだ。
 今の状態になって一年半が経っている。むろん、視聴できる局での楽しみは享受しているが、正直、慣れてしまうとテレビそのものが必要性をなくしかけている。なくてもどうにかなってしまうから、人間の適応性とは素晴しい。週に三時間ほどテレビは見ている。主にお気に入りのドラマだけで、他のもの(ニュースや音楽など)は携帯が代用してくれているのでわざわざテレビを使う必要がないのだ。それ以外の時間は読書をしたり、音楽を聴いたり、PCでDVDを見たりして過ごしている。ごく稀にテレビの政治に関する特集などを見ることはあっても、時間にすれば一時間ほど。
 「よく、テレビ無しで暮らせるな」
とは知人の弁。三年ほど前なら考えられなかったスタイルだ。

 このような環境であっても、さすがに完全視聴不可というのは嫌なものである。これまでは見られるけれども見ないという、いうなれば状況だったわけで、どうやっても見られないのとは意味がまるで違う。
 そもそも、住んでいる地域によって公共のサービスに隔たりがあることには、一種の差別、不平等を禁じえない。かつて何かで読んだのだが、私の地域のようにUHFですらテレビ視聴ができず、二桁の金額を出してケーブルテレビを利用し、月額を払っているところもあるという。テレビにコストをかけているわけだ。大都市圏では無料の番組が山間部では有料になっている。これは不平等極まりない。また、ケーブルも引けない場所もあるとの情報も見た。こうなると民主主義を疑いたくなる。
 このような中での大幅な変革が地デジ化である。これまでは何とか見れていたものが、全く映らない地域も出るという。移行の理由としては、電波帯をスリム化して、その空いた部分に交通や医療の電波使用サービスを入れたり、携帯電話の性能アップを促すようなシステムを入れるというのだが、基本的に医療や交通に関しては納得できるものが現れるかは疑わしい。現在では医療制度が抜本からぐらついているし、交通に関しても、飽和状態にあることは明らかだからだ。
 制度的にも、かなり不満があるが、もっとも大きな不満は費用の問題であろう。昨今の不況の中での出費だ。チューナーを繋ぐだけなら数千円というが、完全利用となれば高価なものが必要になり、万単位での出費はあるし、アンテナを変えるとなれば、先にも触れたように五万(ただし、アンテナ類はホームセンターでも買えるので、もっと安価になることもある)、別パターンのチューナー内蔵型のレコーダ(DVDやブルーレイ)も決して安い買い物ではない。
 これらのことをしても映るかどうかは確証がない。ケーブル利用なら、利用料に加えての出費だ。先に触れた説明会でも、この点で議論が始まって、結局は一部参加者が諦めて帰ってしまった。

 私の地域ではなんともいえないと担当に言われてしまい、文頭の嘆きに繋がったわけである。そのまま放置ということはないだろうというが、お上の仕事は遅いのが常だ。現状のようになるまでには年単位での時間がかかるだろう。
                ※
 話題を変えて同じ電波について、もう一つ書こうと思う。これは年始めの頃のことだ。
 携帯電話についての出来事である。
 かつてから携帯電話の利用に際して、山間部であることが理由になって相当に不便を蒙ってきた。会話が突然切れたり、ネットが繋がらないことが当たり前のようにあった。それでも、今の携帯会社にして十年を越えている。今更、変更や解約はしたくない。だから、重要な電話に関しては自宅にかけるように先方に伝えておいたり、失礼を断った上でメールにて対応したりしていた。しかし、昨年後半から、体調の悪化でネット通販を利用するようになってどうにもならなくなった。
 ネット通販は、登録制で、携帯の個人情報(固有IDやIC)で個人を認識した上で買い物ができる仕組みになっている。それが通信によって、その都度おこなわれて、利用ができるのだが、電波環境の著しく悪い私の家では、登録してあるにもかかわらず買い物ができないことが何度かあった。サポートへ連絡して事なきを得たけれども、これでは不便すぎる。
 この話を携帯会社直営ショップでしたところ、訪問調査サービスがあるというので、すぐに申し込んだ。
 その調査が年始めだったのだ。
 「現状では改善の手がありません」
 物腰の柔らかな青年担当者は、申し訳なさそうに私に言った。ちょうど基地局をさえぎる形で山があること、使用機種の利用電波帯では増幅装置が無い事が理由であった。
 正直、これら事象は、十年以上も前から口にして、幾度となくサポートにも話してきた。それを話すと、
 「これまではお客様の情報が上層部に上がりにくい体質で、加えて訪問調査ではなく本部のPC画面上での対応だけでした。生の声が届くべき場所に届いていなかったのです」
と真摯な面持ちで言葉を語り、
 「ですが、今回、このようにして得られた情報は、必ず上に伝えます。今しばらく時間をください」
 そう話を結んだ。
 彼の言葉から伝わる思いが、私の中の不満を緩和した。帰り際に、
 「コストはかかるでしょうが、携帯はこれだけ普及しています。個々の会社を超えて横の連携をし、機能ではなく、利用の向上を目指してください」
と私が話すと、彼はそれは熱心にメモに取っていた。
 それが心地よく感じられたが、手がないという事実は私の中に憤りを芽生えさせた。
            ※
 テレビと携帯。これは現代社会には欠かせないツール。その利用に際しては極力、公平であるべきであろう。
 そのための議論を国会議員の方々にはやってもらいたい。
 そんな事を痛切に感じる今日この頃である。
(2010)