おばちゃん遊ぼ



・・・・・・・・・・・・・・・・・・原田和子



私は、町はずれで小さな居酒屋を、経営していた。カウンターと座敷にテーブルが置いてある、ごく普通の居酒屋である。

昼から、買出しをして仕込みをして、店を開けるのが五時である。

深夜一時までやっていたので、片付けが終わるのが、だいたい二時頃である。

そんなある日、ようやく片付けも終わる頃プルルーッと電話が鳴った。時計を見ると二時である。誰だろう? こんな時間に、お客さんかな? それとも家にいる息子からかな?

私には、中学生と高校生の息子がいた。

とにかく電話に出る事にした。出てみるといきなり「おばちゃん遊ぼ」と声がした。

四、五歳ぐらいの男の子だろうか?

私は、「誰?」と聞き返した。途端にプツリと電話が切れた。親戚にも、友達にも、思い当たる子供はいない。いろいろ考えたが、結局解らない。「まあいいか、間違い電話だろう」と軽く受け流した。

店と住まいは別だったので、店から家までの距離は車で三十分程である。

家に帰り着くと、当然息子達は、明日学校があるので二人共夢の中だった。

息子の寝顔を見て安心した私は、さっさと風呂に入り寝床についた。

朝になると昨夜の事は、すっかり私の頭から消えていた。いつものように慌しい一日が始まった。買い出しをして仕込みをして準備万端、さあ店を開ける時間だ。

カウンター越しに馴染みの常連客と、たわいない話をし、予約の宴会も何事もなく終わり、一段落して後片付けもそろそろ終ろうとしていた。その時プルルーッと電話が鳴った。私は「びくっ」として思わず時計を見た。二時である。昨日とまったく同じである。怖いもの知らずの私だが、昨日の今日で、動揺を隠せないでいた。恐る恐る電話に出た。

「おばちゃん遊ぼ」同じ子供の声である。

「誰なの? 名前は?」と早口で聞いた。

何も答えずプツリと切れた。背筋がゾーッとする思いだった。何をどう考えていいのかパニック状態になった。とにかく早く店を出たかった。胸の鼓動がおさまらない。

私は深呼吸をすると車を飛ばして、家路を急いだ。家に入ると今日は土曜日ということもあって息子が二人共起きていた。

私の慌てた様子を見て、「お母さん、どうしたの?」と聞いてきたので、早速、昨日と今日の怪電話の事を、息もとぎれとぎれに、やっとの思いで話した。

すると長男が、「お母さん、それって座敷童子じゃないの? お母さん子供が好きだからきっと一緒に遊んでほしかったんだよ」

それを聞いていた次男も続けて、「座敷童子が住みつくと店が繁盛するらしいよ。良かったね、お母さん」息子二人が顔を見合わせて言うのである。

「えーっ、座敷童子!」私は息子の思いがけない言葉に驚いた。童子に座敷童子などという言葉が、素直に出てくる事の方が嬉しかった。今の時代、それも息子の年代で座敷童子など信じる子供がいるだろうか?

いないに等しいだろう。私は心豊かに育ってくれた息子に感動さえ覚えた。

そんな話を夢中になってしていると、いつの間にか、さっきの怖い気持ちが消えていた。反対に私に電話をくれた座敷童子が、(いと)しくさえ思えてきたから不思議である。

「よしっ」今度電話がかかってきたら、一緒に遊ぼうと、言ってあげようと思った。

いろいろ考えていると、ほのぼのとあたたかい気持ちが込み上げてきて、眠れぬまま夜が明けた。今日は待ち遠しい一日になりそうだ。座敷童子の事を考えると今から胸がドキドキしているのである。そして長い一日が終わり、いつもより早く後片付けを済ませ、電話の前で二時のくるのを待った。心臓が今にも飛び出さんばかりだ。

そして二時「プルルーッ」と電話が鳴った。私は待ってましたといわんばかりに電話に出た。「おばちゃん遊ぼ」私はすかさず、「いいよー。何して遊ぼうか?」と答えた。電話の奥で、初めて笑い声が聞こえた。

よほど嬉しかったのだろう。でも返事はしたもののどうしたらいいのか、さっぱり解らない。私はただ黙ってカウンターの椅子に座っていた。しばらくすると店の飾り電球が、右に左にと大きく揺れだした。

時々子供の笑い声がする。ゆらゆら揺れる電球。それを見て私は思った。電球の傘にでもぶら下がって、あちらこちらと飛び移って遊んでいるのかな? 見えない姿にいろいろ想像をめぐらした。遊んでいる姿がまるで目に浮かぶようであった。ある時は座敷に置いてあるテーブルが、トントントン、トントントンとリズミカルに音がする。ダンスでも踊っているのか、それとも太鼓でもたたいている気分なのか、ある時は、突然ラジオが鳴りだしびっくりさせられる。いきなり音楽が流れてくる。童謡だったりまんがの主題歌だったりと子供の好きそうな曲だ。その時は、私も一緒になって口ずさむ。とにかく楽しいひと時だ。最初のうちは、戸惑いもあったが、毎日時間を過しているうちに、座敷童子とも上手に遊べるようになっていた。

いつも一時間程で静かになるのだ。それもそのはずだ。まだ四、五歳の子供だから、一時間もたっぷり遊ぶと疲れて眠たくなるのだろう。私はいつも静かになったのを確認して、「おやすみ、また明日ね」と声をかけ帰るのだ。私は息子が、もう一人増えた気がして嬉しくて毎日が楽しかった。

私はこの事を誰にも言わなかった。

誰かに話したら座敷童子が私の前から、消えてしまいそうで、楽しい毎日が終わってしまいそうで恐かった。だからこの事は、私の家族と座敷童子との秘密だった。

時はゆっくりと流れ、息子も長男は大学生、次男は高校生と成長していた。

でも座敷童子だけは、出会った頃の四、五歳のままだった。私はいつまでも変わらない座敷童子が、愛しくてたまらなかった。

そんな中、私の店も大きな道路ができる為、立ち退きを迫られていた。座敷童子との別れを考えると辛くて最後まで粘った。

でもとうとう店を閉める時がきた。

私は覚悟を決めて座敷童子に事情を話した。

「ごめんね。この店しめなくちゃいけないの。大きな道路ができるから……」もう言葉が出なかった。涙が次から次へとあふれてきた。

座敷童子と過ごした何年間が走馬燈のように頭に浮かぶのだ。しばらくして落ち着いた私は、「ねえ、私の家に来る? お兄ちゃんが二人いるけど、優しいから一緒に遊んでくれるよ」座敷童子に聞いた。

静寂が続いた後、「プルルーッ」と電話が鳴った。私は驚いて電話に出た。

「おばちゃん、今までありがとう。ぼく本当に楽しかったよ。ぼくもふる里に帰るよ」

そう言うと電話が切れた。

「座敷童子、教は最後だからお土産にお菓子を沢山持ってきたんだよ。食べてね」

とお菓子の入った袋を差し出すと、「パンッ」と大きな音をたてて袋がはじけた。

それが最後だった。一人残された私は、座敷童子のふる里は、何処なのだろうと思った。もしあなたの所に電話がかかってきて、「おばちゃん遊ぼ」と言ったら、怖がらずに遊んであげてね。それはとっても可愛い、座敷童子だから。




PROFILE
はらだ かずこ
昭和28年生まれ
奈良市在住