病魔・・・・・・・・・・えび燿




 あれは16年前、私が39歳の時。その魔物は突然やってきた。

 首筋にバットで思いっきり殴られたような衝撃。

(血管が切れたかな?)

「どうも頭の血管が切れたみたい」

と私。主人は、

「どうした、大丈夫か?」

 真っ赤な顔で叫んだ。そしておろおろ……。

「杏林病院と消防署へ電話して」

 不思議なくらい落ち着いた私が、そう低い声で言っていた。消防署の人の電話での指示で、横向きに寝た。

(もう夜の11時。ここは社宅。嫌だなぁ、サイレン鳴らして来るのかな?)

などと思ったりしていた。

 サイレンがちょっと遠くで途切れた。その後ピカピカと車の気配がして、呼び鈴がなった。

「大丈夫ですか? 安心してください。すぐ杏林病院に向かいますから」

 担架に乗った時、

「あの、お腹に子どもがいますので、よろしくお願いします」

 そうなのだ、今、妊娠9ヶ月に入ったばかりなのだ。

(私も、母のように半身不随になるのだろうか? この子は産めるのだろうか?)

 さまざまな思いが交錯する。救急車に乗ると、すぐ鼻と口を覆う物を付けられた。そのとたん吐き気が襲う。

「すみません。吐き気がするので、これを取っていいですか?」

「いいですよ。楽にしてください」

 その言葉が終わらないうちに、意識が遠のいていった。

 どのくらい時間が経ったのか分からない。両手両足を縛られているような感覚だけがある。フワァ〜と浮き上がるような気配。鴨居のところまできたようだ。

(あっ、私が見える。ベッドに寝ている私が……。)

 これって何? もしかして、私の霊が私を見ているの?

(いや、夢だ。夢に決まっている。)

 ここは病院の集中治療室だ。プレートにそう書いてある。廊下に姉が、義理の姉も、身内が揃っている。

(私は死んでしまったのか?)

 ベッドの私が顔を振っている。

(まだ、生きている)

 また、どのくらい経ったのか、今度はベッドに居る私を感じた。

 それから、夢と現実が重なり合った体験をしたのだ。険しい顔の医者が私を看ている。無表情の看護婦が点滴の取替えなどの処置をしている。頭が異常にうずく。我慢強いはずの私が耐えられないような激痛が走る。このふたりは私を実験の材料にしていると思った私は、ふたりを睨み付けた。それから後は、手術が終って気がつくまで、深い深い深い眠りに入っていた。

 後で聞いた話だが、病名は「くも膜下出血」。倒れて3日後にお腹のこどもを帝王切開で取り出し、その後、頭の手術を6時間かけてやったようだ。意識が無い時に、ここは、地獄なのだろうか?そんな悪い事はしていないはずなのに、地獄に落ちてしまったのか?と思うような出来事がつづいた。
さっきの医者と看護婦が、裸の私を縛り付けて鞭を打つ。そこは、薄暗い地下室のような所。看護婦が顔を覗いたので、とっさに彼女の顔を平手打ちをしていた。

 また気が付くと、実家のベッドに居た。今度は、優しそうな医者と看護婦が、じっと見ていた。

「悪い医者と看護婦に鞭を打たれた。あのふたりは何か企んでいる」

と言おうとしたが、声が出ない。そのふたりは、にこやかに笑っているだけ。

(あのふたりを辞めさせないと、この病院は大変なことになるのに…)

 もどかしいほどに思いを伝えられない。隣には半身不随のはずの母がいる。

(おかあさん、身体が元に戻ったの?)

 その時の私は、なんの疑いもなくそれを喜んだ。私は夢の中で、ドラマを書いていたようだ。

 倒れた日は9月のはじめ。はっきり生きている自分をおぼろげながら実感できたのは、1ヶ月くらいしてからだ。病院のベッドにいる事がはっきり自覚できた。気が付いて目を開けると左の目だけが見えない。テレビの砂嵐画面の状態なのだ。

「先生、左の目が見えません」

「やはりそうですか、目の中に血液が流れ込んだのですね。でも、手術で治りますから、安心してください」

 そして、部分麻酔で手術をした。その前に看護婦が2人来て、ひとりは何故か私の右手を握手するように握り、もうひとりがその腕に注射をした。気が遠くなるほどの痛みが……。看護婦の手を力一杯握り返していた。

(そうかぁ、この痛みが凄いから手を握ってくれたのだ。)

 周りの音がすべて聞こえる。心臓の機能を写す機械の音、医者と看護婦の声、どきどきと心臓が高い音を出す。一度きゅぅっと締め付けられるような感覚もあった。無事手術は終わった。

 眼帯を取る時、

「1.5あった視力ですから、0.7位までは戻りますよ」

 その後の検査で、1.5まで戻っていて、医者の方が驚いていた。

 その後麻痺もなく順調に回復して、眩しいくらいの春を迎えた。窓の外には満開の桜。

(桜って、こんなにも奇麗だったのか。東京のこの空も美しくみえる)

 生きているのだ、生かされているのだ。

 生まれて40日後に、やっと初めて我が子と会うことが出来た。仮死状態で生まれたが、何の問題もなくそこにいる我が子。あとからあとから流れる涙で、その顔が見えなくなっていた。

(2007年)