デキチャッタ飼い猫 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・麻屋与志夫




 ミュに死なれたとき、もう……猫を飼うのはやめるつもりだった。飼い猫に死なれるのがこれほど悲しく辛いとは思っていなかった。人間の年齢にすると、ミュは、おそらく九十歳を越えるオバアチャン猫だった。わたしの膝の上でつつましく死んでいった。最後に弱々しい息をして……しだいに冷たくなっていくミュを抱えたままわたしは、涙を流していた。やせほそって骨と皮だけになっていた。それでも昨夜まで二階の書斎までのぼってきた。わたしの寝床にもぐりこんですやすやと寝息をたてて寝ていた。

 ところが、黒い縞のある迷い猫を飼うことになってしまった。この猫はミュが元気だったころから、なかば飼い猫としてわが家にではいりしていた。

 ある凍てつく夜、二階の書斎に寝ていたわたしは小さな音で目覚めた。カタカタカタというなにか金属のこすれあうような音だった。厳冬の夜の底でひめやかにひびく音。それは、子猫が裏庭に迷いこんできて、ミュの缶詰の空き缶をなめている音だった。

 もちろん缶詰には肉はこびりついてはいない。猫の好きな魚の臭いだけが残っている。それをなめているのだ。子猫がその臭いをかぎつけて、小さな舌で……缶をなめているのだった。肉などついていない。臭いだけなのに……。

 それを見てしまった。寒気のはりつめた勝手口の隅でからだをふるわせていた。空き缶の底をなめている。わたしは哀れをもよおし、あたらしく缶詰を開けて子猫のところにもどった。

 冬の月がでていた。男体颪が吹きすさび天水桶には氷が厚く張っていた。とても……そのまま缶詰を置いてもどれなくなってしまった。怖がる子猫をかかえあげてベッドにもどった。

 チビと名づけた。ミュが生きているうちは、遠慮してか、餌をたべにくるくらいだった。外猫とわたしと妻は呼んでいた。ところが、ミュがいなくなるといつの間にか家に居ついてしまった。その辺のところは、猫は堂々たるもので、嫌われていないことがわかると急にずうずうしくなる。チビはミュのいなくなった寂しさを癒してくれた。もともと猫大好き人間のわたしだ。「お前もよくおおきくなったな」などといいながら、居候猫として認めてやった。

 チビはたくましい雄猫に成長した。ミュよりもおおきくなった。顔が角張っている。

 そのチビにかのじょができた。どうみてもまだ幼さの残る黒猫のおなかがふくらみだした。ときどき、チビのところに遊びにきていた。チビが親にきまっている。

 たとえこちらは、居候猫と思っていても、隣近所のひとからみれば、飼い猫だ。飼い猫の不始末は飼い主たるわたしが責任を持たなくてはならない。「おいチビちゃん、男の貴任とろうぜ」。わたしはチビをからかいながら、縁側にダンボールの箱をだして置いた。「デキチャツタ飼い猫」とでもいうか、チビの恋のはての責任をわたしが肩代わりすることになった。お産に備えて、ダンボールに細かく新聞紙をちぎって敷き詰めた。これは、ミュがそうしたのを真似てみたのだった。

 翌朝、子猫の鳴き声で目覚めた。さすが野良猫。やせ細ってほっそりしていても、野生のたくましさは生来のもの。おおさわぎして、苦しんだ末、わたしの背中に赤い爪痕をのこして出産したミュとおお違い。すでに……けろっとして四匹産んだ子猫に乳をふくませていた。やさしい母猫の顔になっていた。わたしは「おみごと」と感嘆の声をあげていた。

 ところが、もっと驚くことがそのあとで突発した。

 チビがその日を境に消えてしまった。

 事故にでもあったのかと、妻とその夜遅くまで捜しまわった。あたりをはばかって「チビチビ」と小声で呼びかけながら路地裏を歩き回った。その甲斐もなく行方しれず。それっきり戻ってこなかった。わが家の貧しさを知っていて、家族ぐるみでは飼ってもらえない。オイラのかのじょとコドモたちを頼むわ。???てなことだったのだろう。

 もうこうなっては、猫好きはメロメロになるしかない。チビの心情を思うと男涙が演歌のように落ちてきた。どうして、こうも……年をとると涙もろくなるのだろう。

 わが家の縁側で出産して母猫となったのがブラッキーだ。

 今も、わたしの膝ですやすやとねている。この温もり。このやわらかな毛の感触。初めて子猫を出産した時のミュをおもい、ブラッキーのできちゃった飼い猫ぶりをからかいながら、愛撫していると喉をぐるぐる鳴らし始めた。

「キャ、キャア」朝から妻の悲鳴で起こされた。わたしは、二階の書斎からあたふたとキッチンに躯け下りた。妻が冷蔵庫の扉に背をおしつけてふるえている。顔面蒼白。唇をわなわなふるわせて妻が指差す先に、小さなネズミがはっている。ブラッキーが前足でからかっている。また妻が悲鳴をあげた。ブラッキーはさも心外だという顔で、首をかしげ前足にネズミをひっかけて遊んでいる。

「みてみて、あたしネズミとってきたのよ。すごいでしょう。からかっても楽しいし、食べてもおいしいの……サイコウヨ」

 ブラッキーの産んだ子猫は里子にだした。いなくなった子猫に餌を逗んでくるのかもしれない。

 ところが、うちの美智子さんときたら、小さな生物は何でも大きらい。からだがふるえて、失神寸前のていたらくだ。

 わたしは、そっとテッシュでネズミをつつみこんだ。まだ体温があり、温かかった。「ゴミ袋にいれちゃいや」

 そんなことをいわれても困る。これ以後。ゴミだしはわたしの分担となってしまった。

 それからのことである。さすがは、野良猫歴一年のブラッキーは、わたしにほめられたいのか、わたしを養ってくれるつもりなのか、二階の書斎にせっせと獲物をはこんでくるようになった。

 わたしを子猫と勘達いしているのか。

 ネズミ。モグラ。蛙。スズメ。なんでも食べられそうなものはブラッキーの獲物となった。ライオンでも狩りをして食粗を確保するのは、雌の役割だ。まったくたくましいものだ。いくら、わたしでも、二階の書斎の窓からカエルなどを寝床にもちこまれるのはあまり気持ちのいいものではない。ところが、ブラッキーにしてみれば、あまり働きのない飼い主を心配して食事を運んでいるのだ。むげに断るわけにもいかない。

「食べ物はナマに限るのよ……見て、まだこのネズミひくひくうごいているわ」

 ブラッキの銜えてくるものはいつも生きている。歯を立てない。注意している。だから、書斎にもちこまれてくる哀れな小動物はいつも生きている。むろん部屋で食べさせるわけにはいかない。それらの獲物をブラッキーが食するのを黙ってみていられるほど残酷にはなれない。銜えてきた獲物でブラッキーと遊んでやることはする。ふたりできゃあきゃあ興奮する。モグラをサッカーボールに見立てて指ではじいて書斎のグランドで遊んでいたら、運が悪いことに妻に見つかってしまった。

 妻は一週間ほど恐怖と軽蔑をないまぜにした視線でわたしをみていた。近づいてこなかった。今でも猫を見る目でわたしを見ている。野良猫体験のあるブラッキーのしたたかさはすごいものだ。小動物を狩ってでも生き続けることができる。これなら、孫たちに会いにでかけて三日くらいなら留守にしても大丈夫だろう。



 ブラッキーは母猫となってから、身長がのびた。肥満したというのではなく、まさにひとまわりおおきくなった。

 よくわたしの母が、むかしは十六、七で結婚した。だから、それからまだ身長の伸びる人がいた。といっていたが、まさにブラッキーがそれだ。

「ブラッキー。お前子猫産んでよかったな。チビのおてつきにならなかったら、今でも野良猫のままだぞ。子猫には明日でもまた会いに行こうな」などと話しかける。

 四匹の子猫は塾生にもらわれていった。

 黒猫は一匹も生まれなかった。みんなチビに似て黒の縞がある。アメリカン・ショートヘアかと見紛うような縞模様がはいっていた。それが人気で一月分のキャットフードとともに母猫のもとから消えていったのだった。

 里親になってくれた塾生の顔が柔和になった。猫を可愛がることを覚えた子供の顔には優しさが芽生えるようだ。ここぞとばかりに人や動物や自然を愛するということ、みんなで共生することの尊さ。愛情哲学を一席教壇でぶつ。こんな話も塾だから、時間にこだわらず自由にできるのだろう。

 ブラッキーが教室の書架の上から前足をのばし、背中を反らせ、おおきなあくびをしている。

「がんばれがんばれ。みんなが学校で学べないようなことをいっぱい教えてあげてよ」

 それで無駄話がおおいと評判を落とし、生徒がへったら招き猫のわたしがついているから安心して。なんてことは、いうわけないか。



チビと、ブラッキーの子猫が去ってからまた鹿沼の里に木枯らしがふきだした。チビの旦那はいまごろどこをうろついているのだろうか。