胃にチューブの穴・・・・・・・・・・・・・・・・・・杏子京香



 ご存知でしょうか、医療にも流行があるというお話し。日本の医療は現在、いくつもの問題を孕んでいます。超高齢化社会を迎えて、後手に回っている高齢者の医療と介護福祉の連携はその一つ。35年間看護師として医療に従事し、私は肌身で知っています。現場で命を守るために重労働の中戦っている医師や看護師達のいることを。地域医療に真摯に取り組んでいる医師達のいることを。だから今、あえいでいる医療に鞭を打つようなことはしたくありません。二年前に脳出血で倒れた私は、医療によって命を救われ、この国の医療を信じ感謝しています。でも、どうしても私には、気になる医療の流行があります。
 医療の流行には必然性がありますから、ファションなどのそれとはちがいます。が、医療にも、流行、ブームが歴然と存在します。業界では、「日進月歩」という言葉を、まるで医学の代名詞のように用いています。新たに開発された治療法・技術が発表されると、自分のものにしていこうとする勤勉な医師達の姿は、日進月歩の医学に遅れまいとする宿命のように見えます。獲得した技術・確立した治療法は、インフォームドコンセントの名の許に担当する患者さんに勧められます。そうして、医学は進歩して来ました。かつては、説明と同意も無く、治療者の選択でそれが行われて来ました。今最善とされる治療法が、将来には、最悪のものとされるかも知れないのが医療の宿命で、担う個人に責任をとれるものではないと考えます。流行の治療法のメリット・デメリット、受けた後どうなるのかが、利用者に見えていて、患者自身が選択できるのならばいいのです。流行なのですから、当然情報は世間一般に広まっていて、当事者が入手しやすい状況であるべきもの。ところが、困ったことに、医療の中には一般には見えない形で進んでいる流行があります。
 ご存知でしょうか。自力で口から食べることが難しくなると、胃に穴を開け、胃に直接栄養剤を注入する為のチュウブを植え込む「胃ろう造設」という手術を勧められるということを。私が初めて、胃ろう造設に出会ったのは、今から7年前、50才で介護職に転職した時でした。35才で公的機関の総合病院を辞して、その後、産科や精神科などの民間病院を歩いていたので、その間に開発された治療法なのだと考えます。私が総合病院の内科にいた時は、意識の無い所謂植物状態の方に施されていた栄養法は、鼻腔から、胃空までチュウブを通して、そのチュウブを用いて、流動食を注入する方法でしたから。
 私は医療の中のケアに限界を感じて、50歳の時に転職し、老人ホームでのケア、スタッフ育成に開拓の場を見つけました。介護管理職として、一人ひとりのお客様のドラマの中でスタッフさん達と共に地を這うような戦いをして来ました。ドラマをハッピーエンドにするための戦いを。リタイヤするまでの介護に関われた7年間は私の幸せな時間でした。脚本の無いドラマの中で、一人ひとりの幸せを演出し続けて行く戦いでしたから。
 オープンして半年頃に、初めてホームで胃ろう栄養を受け入れることになったk様も、そんなドラマの一つでした。82歳で独居のk様は、ある日息子様が訪ねると倒れており、そのまま救急搬送で入院。脱水が改善され、退院ということになりました。どこも悪いところは無いという診断でしたが、立つことも、歩くことも出来なくなっていて、車椅子介助が必要。独居には戻れず、ホームに入居されました。順調にホームの生活に慣れ、皆さんと同じ食事をしっかりご自分で食べていました。いつも笑顔で、時に「もうごはんやろ?」と、ご自分でお部屋から這いずって出てこられ、驚かされるほどお元気に過ごしていましたが、脳梗塞症状が疑われ、精査目的で入院。病院では、脳梗塞の治療を受けて数週間で回復し、退院に向けて食事が開始されたところ、嚥下が悪く、咽て、誤嚥性肺炎を起こして退院が延期となりました。それから一週間程すると、「胃ろうを造って退院を」という連絡が入り、運営メンバー内に緊張が走りました。
「胃ろうという医療行為をホームで行えるのか、一日三回の栄養注入を行うその方の生活をホームで支えられるのか」。老人ホームは医療施設ではないので、医療行為は行えません。たとえ看護師であってもです。病院では、看護師が医療的処置どころか、静脈注射という治療行為まで平然と行っていますが、これは、医師の指示と責任の下で行っているという、暗黙の了解があります。法はそれを黙認していて、世間の人は「看護師は注射が出来る人だ」と思っています。ホームには健康管理を行うために看護師がいますから、当然出来るものだろうと、世間の人も、病院側職員も誤解しています。しかし、介護施設の看護師は本来してはいけないし、ましてや介護師には出来ません。医療的管理と処置を必要としながら自宅で生活している方は多くいます。インシュリン注射・酸素吸入・痰の吸引・そして胃ろう栄養等等です。これらは、自分や家族はしても良いが、介護職や介護事業所で業をなす看護師はしてはならないのです。明文化された法規制は見つけられませんが、業界ではそのように解釈されています。そして、介護師はNGだが看護師ならその方の主治医の指示で実施okとして現実は動いています。為政者は、「在宅・在宅」と、太鼓を叩くばかりで無く、医療的処置の必要な方のための、法を整備して欲しいものです。
 私はこの現状を認識しつつ、「出来るか?」と、問われ「大丈夫、出来るはずです」と、答えていました。私の思考は単純だった。医師が「退院できるので、在宅でチュウブ栄養を」と、言っている。ホームのサービスのコンセプトは、「第二の家庭・私達は家族の代わり」なのだから出来るはず。この時、家族には出来ても、業としている介護者がなしてはならないという、ヘンテコなこの国の介護の現状は私の思考からはすっ飛んでいた気がする。自分で食べることが出来なくなれば食事介助するのは、私達介護者の仕事、これは食事介助方法の一つ、と自分の思考を押し切って、スタッフにもその姿勢で立っていた。
 家族は素人だ。その素人が、胃ろうチュウブを扱って、栄養注入できるようにまでして退院させるのが病院の責任だから、家族と一緒にスタッフも連れて行って、退院指導を受ければいい。受け入れには何の不安も無く、家族への術前説明にも同席させて頂いた。
 面談当日、昼食時間に伺うと、k様は看護師にプリンを食べさせてもらっていました。看護師は嬉しそうに「食べられるように、なって来たんですよ」と、話してくれました。 
 手術承諾書を前に、医師の説明が一通り済んだ後、食べられるようになるのでは、と思っていた私は、尋ねました。「嚥下困難になった原因は何ですか?」怪訝そうに医師の表情が変わって、「寝たきりの状態になると、嚥下機能も落ちるんだよ」と一言。
 なる程、特別な原因疾患があるわけではないのだ。若い医師の表情には気づかないことにして、おそるおそる「口から食べられるように、試してみることは出来ませんか?」と尋ねたところ、返ってきたのは、想像を絶する言葉だった。「やってみたいなら、連れて帰って、そっちで勝手にやって。命にかかわること。ここでは出来ません」。命にかかわることだから、医療管理の下で試行しないと、出来ないことでしょうが、とは言えずに引いた。私達には承諾以外の選択は残されていなかった。その後、エリアのサービス責任者として、エリアの20ホームのサービス状況を見て来ましたが、今やどのホームにも複数の胃ろうの方がいて、確実に増えているという状況です。
 誤嚥して、肺炎を起こし入院すると、胃ろうを造って退院という、老人医療の流行に乗せられます。多くのご家族様から、同様の言葉が聞かれました。「造らなければ死ぬ、と言われれば、お願いしますとしか言えない」と。強く印象に残っているのは、「そこまでして生かすのは母がかわいそう」と、断って仕事を辞めて家に連れ帰った娘さん。脳梗塞で意思表示も出来なくなって胃ろうを造り一年が経過し、だだベッド上で笑っているかに見える母親を見て、「これは母の笑顔ではない。無理に生かされているだけ、こんなことになるなら、しなきゃ良かった」と、泣いていた娘さん。また、k様のその後は普通に経口摂取できるようになりました。
 覚悟していたことは我が家にも訪れました。術前説明を受けに行くと、義父はバナナを2本、むせもせずぺろりと平らげた。医師に伝えると、「いいですよ、手術の体力がつくようにどんどん食べさせてください」と言うので、話にならない。「分かりました」と、返事して承諾書を家に持ち帰った。ホームの責任者に相談すると、胃ろう栄養は受け入れ出来ないが、家族の理解があれば、私達は食事介助しますよ」と。家族で相談し、翌日、姑が手術を受けないことを伝えたところ、返ってきた言葉は、「いいですよ。退院してください」だった。覚悟の上でしたから、直ぐに翌日退院できるように手配しました。義父はホームで機嫌よく過ごしていてくれて、助かっています。今も食べることだけが唯一の楽しみで、面会を楽しみにしています。89歳とは思えないと、驚くほどよく食べます。 
 人の命には限りがあるもの。食べるということは、自ら生きるということです。息子よ、娘よ、母の胃に穴は造らないでください。食べられなくなったら、母は、限りある命を尽くして生きたと、見送ってください。スプーンを口の前に持っていって、私が口を開けたら、食べさせて下さい。むせて、のどを詰めて、死んだら、母は最期まで生き切ったと、母を誉めて下さい。
(2009入選)