人類滅亡の序曲・・・・・・・・・・・・・・・・・・赤塚一誠




 ――東京の空は汚れている。

 私は四つの頃、小児ぜんそくを患い、毎日のように病院へ通うことになった。昭和四十年代の東京は、工場から出る化学物質、排気ガスなどの影響により、アレルギー患者が急増した。東京生れの私は、「空気の良い田舎で生活しなさい」と医者に云われ、祖父の家がある鎌倉(田舎ではないが)で過ごした。それ以来、私は得体の知れない化学物質というものを生涯憎むことになった。

 ――人類を滅ぼすものは化学物質に違いない。それは成人してから私の確信となった。

 この化学物質により、世界中、どれだけの子供達が苦しめられ、死亡していることか。産業革命以降、ガスを大量に放出し、終りなき戦争により化学爆弾を無抵抗な市民へ投下するという、無差別爆撃行為――(これはルール無用の虐殺ではないか)を繰り返す人類。子供達から手や足を奪い、化学物質汚染によってガンになり死亡する子供らがどれだけいることか。

 子供達は我々人類の未来ではないのか!!

 人類の歴史は戦争の歴史といえなくもない。一国同士の戦争は、畜生の縄張り争いのように領土をめぐる戦いが絶えることはなかった。だが戦うのは常に兵士であり、限定された戦場で兵隊同士が戦うというルールがあったはずである。百三年前の日露戦争時、日露両軍は旅順要塞攻防戦をしていたが、多数の将兵の屍を収容する為、しばしの間休戦する約束が成された。戦場では一発の銃声も無くなり、日露兵士達が歓談をし、酒盃を交わし、握手をして別れたそうである。再び戦端が開かれると、先程まで握手していた兵隊同士が殺し合いを始めるという悲劇が起こる。しかしこれがジュネーブ条約を守る二十世紀までの戦争であった。市民虐殺が始まるのは第二次世界大戦からであり、国同士が人間性を捨てて鬼と化すのはまさにこの時であった。人類は物質文明と共に退化したといえる。

 私には、人類滅亡の序曲が聴こえている。

 私だけではあるまい。世界中の科学者達も警告している。

 ――十万年後、人類は滅亡している。

 この科学者達の通説も、もしかすると百年後か、千年後になるかもしれないのである。人類は自ら招いた地球環境破壊により、自給自足が出来なくなり、餓死者が大量に発生し、ウイルスによる死者も蔓延し、ついには絶滅するというのである。核戦争が起これば、さらにそれが早まるということになるらしい。

 中国やイランなど核保有国が、アメリカと国交断絶に発展すれば、両国の指導者など地球の未来のことなど考えもせず、核ボタンを押すのではないだろうか!? それ程、人間という生物は信用が出来ない生物といえなくもない。類人猿の頃と比べて、かなり自己中心的になっているし、自国の縄張りのことしか考えぬ、類人猿より退化した新種の生物ばかりになっているといえなくもない。類人猿ならば、地球環境を破壊するということは、自らの首を締める行為だということを本能的にわかっていたはずである。

 いずれにせよ、人類が類人猿の栄えた期間より生存する可能性は、無いという結論が出ているらしい。

 ――果たしてそれで良いのであろうか?

 人類の大脳は進化し、産業革命を起こすまでになったが、それが人類滅亡の序曲を奏でることになろうとは、この時誰が想像したであろうか。地球資源を使って、重工業を起こし、人類は便利な物を追い求めるようになった。石油資源を使い、自動車、航空機、船舶の燃料とし、プラスチック、パルプ等を地上へ大量に放出した。地上にある資源は、リサイクルが可能だが、地下資源(石油、ウランなど)は地上でゴミとして残るだけである。

 60億の人類が二酸化炭素(CO2)を排出すれば、海面が上昇し、現在地球上30%ある大陸が、20%以下となり、やがては水没してしまう。人類はこれから100億、200億と人口が増大していくのに、地球上20%にも満たない、平野の無い、山間部だけの大地に生存することが可能であろうか。

 異常繁殖した人類は、必然的に絶滅するであろう。地球生態系のバランスを崩した為の天命ともいうべき、反動であろう。そもそも地球では、幾万といえる生物の中で、唯一種だけの大量繁殖は絶対に認められない。生物には必ず天敵がおり、生態系のバランスを保っている。これは自然の摂理である。鼠には猫、烏には鷲、鷹、草原を喰い尽くす草食動物は、肉食動物に喰われてしまう。地球生物誕生の時期から、このバランスは崩れていなかった。類人猿が人類に進化さえしなかったならば……

 人類だけが、虎や熊、鴇や鯨などを乱獲し、剥製にしたり、金儲けの為に絶滅寸前まで追い込んだのである。つい30年前まで生存していた昆虫が、どれ程絶滅してしまったことか、先進国と呼ばれて調子に乗っている人間達は、他の生物の生命価値を少しは尊重すべきである。

 地球環境の侵略者となった人類は、地獄行きの列車に乗り、猛スピードで突き進んでいるといわねばならない。地球の生態系の為には、人類など今すぐにでも絶滅した方がいいのであろうが、これ程大脳が進化した生活は、今後二度と誕生しないという。人類破滅の道から回避するには、60億の人間がこの地獄行きの列車から降車することである。人間の体内に侵食するガン細胞のように、人類は地球を侵略してきた。ウィルスが体内に入り込めば、健康な細胞は猛然と反抗を始める。地球の生態系は、人類というウィルスを消滅させる為にあらゆる手段を講じるであろう。

 人類が生き残る道はたった一つしかない。地球と共存することである。人命が地球より重いのではなく、生命は地球と共にあり、地球は太陽と共にあることを知るべきである。

 数億年後、地球と太陽は爆発し、消滅するという科学者の通説など、100%真実ではないのである。十万年後には人類は地球上にいない、という説も「人類と幾万の生命は、太陽と地球がある限り、永遠に繁栄していくのであった」という未来に変えることも可能なのである。人類がたった今から、他の生命体を尊重し、地下資源を使うことを止めてリサイクルに努め、強欲を抑えて、自己中心主義を捨て去ることができれば、地球は人類を絶滅させることはないであろう。これはつい産業革命以前の人類が、ごく自然に行っていたことである。地球より授かった大脳というものに感謝し、地球という母なる星に対し、思いやりをもつべきである。

 約200年前の江戸時代、日本人はリサイクルに努め、環境的には何の問題も無かった頃、人々はこんな歌を詠み、人生を喜んだという。

 赤子泣く 終わりなき世の 目出度さよ    詠み人知らず