清松吾郎 著

バブルの残照




概要

バブルの開発ラッシュは人を狂わせる。
土地には地霊が潜み、代々の人間が心血を注いで守り育ててきた土地を、いたずらにいじりまわし、迂闊に利用しようとすれば、必ず災厄が降りかかり、その人間を危機に陥れる――土地の開発では人が死ぬ・・・
五万坪の農地に、シャッター業界大手、共和シャッターが工場建設に乗り出す。蟻のように群がってくる政治家、不動産業者、投機屋、ヤクザ、地権者・・・。欲望の渦がバブルの螺旋を駆け昇る。やがてそれは殺人を呼び、何人もがこの世界から消えていく。バブル末期の経済の狂乱の実態を、生々しい人間の眼の筆致で描く力作長編小説。





著者あとがき

 バブルが進んだ頃、国は国土法価格を制定し、地価が急騰しているところを監視区域に指定して、売買価格を統制した。
 それまでも日本国内において、異常な土地の高騰による金儲けが、当たり前のこととして、国民を麻挿させていた。銀座で夜な夜な飲み歩く人種のほとんどが、不動産業に携わる人間であり、それこそ湯水のような金の遣い方をしていた。当時、「東京全体の土地代でアメリカが買える」と豪語していた不動産屋がいたくらいである。
 国民一億、総不動産屋と言われた時代で、皆マネーゲームと割り切り、企業の中に不動産部を持たないところは、頭の遅れた古い経営感覚の持ち主といわれ、軽蔑の対象にさえなっていた。
 そんな狂乱の状況の果てに、国がこれ以上野放しにしておけないと、「超短期重課税」を制定した。このいわゆる「スーパー重課税」は、土地取引の利益の九八パーセントにも及ぶ課税で、不動産業者の土地転がしは、この一発で沈没してしまった。
 それでも業者の中には、たとえば土地を坪当たり百二十万円で買い、売るときも同じ坪百二十万円で土地代を決め、利益は建物で出そうと考えた者もいた。
 建て売りの場合通常、建物原価×一・四二倍の売価が認められ、四二%の利益は無条件に建物の利益となるので、苦しみながらもその方法に頼るほかなかった。だがそれも一時凌ぎの方法で、しだいに姿を消していったのが不動産業界の実態であった。
 当時高額納税者のベストテンに名を連ね、世界的な資産家としても名を馳せていた日本の不動産業者や、それらの陰で荒利益をあげていた銀行などが、バブル崩壊により醜い争いを始め、日本はその結果、十数年間も低成長に喘ぎ、現在でも巨額の借金にうなされている。
 私が経営する会社は、まだ土地転がしだけの業種ではなかったので、生き延びることが出来たのだが、それでも、バブル崩壊の影響を受け、最盛時、相当額あったはずの資産はアッという間に消え去り、元の木阿弥と化した。
 バブル以前の土地の取引は、ほとんどが『実需』であった。それがバブルが始まり、土地取引に素人が加わり始め、思惑による売買、つまり投機が被さった。あのままで進めば、日本経済は本当にバブリーなものになったであろう。私は自分の力でない、当時の社業・経済の在り方に、心の底で空恐ろしさを感じていたこともあった。
 全てを失った現在、昔から好きだった執筆の仕事に没頭できることが、何よりうれしくてたまらない。この生き方は本当に素裸一貫、何よりも自分に率直に生きることができる。あのような経験をした後、人生の最後に、まだこのような生き方のできる幸運に、感謝を捧げたい。
(清松吾郎)





著者プロフィール

清松吾郎(きよまつ・ごろう)

1937年東京生まれ
専修大学商経学部卒
1972〜98年土地開発会社代表取締役
東京作家クラブ会員
全作家協会会員
「幻の季節」で銀華文学賞奨励賞、「命の宴」で銀華文学賞優秀賞、「夏の鶯」で日本文芸大賞小説努力賞を受賞
著書:『命の宴』、『夏の鶯』


最新作「遠州灘」をPDFでUPしました
最新作「渦紋の季節」をPDFでUPしました