作家集団「塊」KAIは、それぞれの文学的立場に立脚しつつ、自由な表現の発露を通して、閉塞する時代状況の中に、新たな活動を展開し、文芸変革をめざしていく集団です。


高橋三千綱
高橋三千綱(逝去)
たかはし みちつな
■略歴
1948年1月5日、大阪府生まれ。作家、高野三郎(筆名)の長男として生まれる。母、姉の四人家族。
 三歳の時、父親が老舗の米問屋を捨て、文学を志し、一家を伴い東京に移住する。
 八歳のとき、父親が保証人となった友人の会社が不渡りを出し、莫大な借金を背負い大阪の家屋敷、別荘、東京の住まい等、処分し赤貧にまみれる。それまでの暮らしは一変し、家賃を払いきれず、半年から1年程で転居をよぎなくされる。父親も体調を崩し、母親が生命保険の外交員として勤めに出、一家の生計を立てる。
 小学校時代、日活映画、テレビ等、子役として出演。のちにNHK児童劇団に入り、およそ150本程のラジオドラマに声優として出演する。
 小学6年の時、伊豆大島へ初めて一人旅をする。中学時代は剣道に打ち込むかたわら、数々のアルバイトをし京都や奈良、北陸などを旅する。高校1年の夏、北海道、東北を40日間、野宿しながら無銭旅行をする。2年の春、四国を自転車で一周。
 高校卒業後、サンフランシスコ州立大学英語学科創作コースへ入学。
 滞米3年のとき、父親重病のため、日本に帰国。
 帰国後は、アメリカでの滞在記を五百余枚書き上げ『シスコで語ろう』を自費出版する。
1974「退屈しのぎ」で群像新人賞受賞
「九月の空」で芥川賞受賞
『葡萄畑』『剣聖一心斎』『平成のさぶらい』『恋わずらい』『空の剣ー男谷精一郎の孤独』など著作多数
映画「真夜中のボクサー」を製作・監督
「月刊テーミス」にて『楽天家の人生発見』、「東京スポーツ」にて『本日も楽天日和』(毎週木曜発売分掲載)、「アルバ」にて『光る風』(漫画原作)、「経営情報」にて『龍馬をめぐる人々ー変革の時代を生きる』、「べんちのーと」にて『医療のことわざ』を連載。2010年夏より「百楽」にて『風流恋愛塾』連載エッセイもスタートする。
2010年1月出版の『素浪人心得』(講談社刊)がある。
http://homepage3.nifty.com/michitsuna/



五十嵐 勉

私の文学世界/一言

加賀乙彦氏と

五十嵐 勉
いがらし つとむ
■略歴  
本名/渡辺政義
1949年11月21日山梨県甲府市生まれ。
1968山梨県立甲府第一高等学校卒。
同級生に仏教学者末木文美士、文化人類学者嶋田義仁がおり、親交を結ぶ。
1969早稲田大学第一文学部入学。
1971文学部文芸科に進む。
卒業創作で「海鳴り」400枚を提出。のちの「流謫(るたく)の島」の草稿となる。
1974早大第一文学部文芸学科卒。
印刷会社「馬場静山堂」に入社するが3カ月で退社、塾教師などをしながら創作に励む。
1979「流謫の島」で第二回「群像」新人長編小説賞受賞。選考委員/野間宏・安岡章太郎・河野多恵子・秋山駿。
1980『流謫の島』(講談社刊)
1982.3月フリージャーナリスト野中彰弘氏と出会い、彼の案内で渡タイ、タイ・カンボジア国境の難民村を訪れ、ベトナム軍105o砲弾によって17人が死ぬ事件に遭遇。衝撃を受ける。以後カンボジア難民を題材にした小説創作を決意。
1983 朝日新聞バンコク支局顧問瀬戸正夫氏にタイ・カンボジア長期取材について相談したところ、「僕の家に来なさい」と言われ、二度と訪れないビッグチャンスと思い、タイ長期滞在を決断。
84.4月それまで営んでいた学習塾を畳んで渡タイ。瀬戸正夫氏宅に1年間居住。タイについて、ジャーナリズムなどについて学ぶ。
84〜91.1月タイ滞在
タイ・カンボジア国境などで難民を中心に取材。カンボジア問題に取り組む。この間タマサート大学日本語講師を断続的に2年務める。また上座部仏教テラワーダ僧侶も体験。イサ―ン(東北タイ)、山岳民族、南タイなどタイ国内だけでなく、ベトナム、カンボジア国内、ラオス、ビルマ、マレーシア、シンガポール、フィリピンなど東南アジア諸国を広く取材。
1987バンコクで『東南アジア通信」創刊。編集長。以後瀬戸正夫氏や野中彰弘氏、朝日新聞編集委員松本逸也氏などの協力で20号まで発行。
1991.1月帰国。
1993『東南アジア通信」に集まったボランティアを中心に月間『アジア ウェーブ』創刊。編集長。
1995『微笑みの国タイ』(編著)出版
1996『アジア文学』創刊。編集長
1997 河林満、小浜清志、八覚正大、大高雅博、飯田章、小沢美智恵らと作家集団「塊」を立ち上げる。
1998年小説「緑の手紙」で読売新聞・NTTプリンテック主催/第一回「インターネット文芸新人賞最優秀賞」受賞。
1999『緑の手紙』上梓(アジア文化社)。
この頃から広島など原爆取材を重ねる。
2001「鉄の光」で第8回「健友館文学賞大賞」受賞。
2002『鉄の光』上梓(健友館)。
2004原爆被爆者証言集『ノー・モア・ヒロシマ』刊行。以後2号まで編集発行。
2004アメリカ原爆取材。世界最初の原爆実験場トリニティ・サイト、核研究所ロスアラモス、ミサイル実験場ホワイトサンズなど取材。
2005.1月 作家集団「塊」の仲間を中心に『文芸思潮』創刊。
「銀華文学賞」「現代詩賞」「エッセイ賞」創設。
2013中編小説集『ノンチャン、NONGCHAN/聖丘寺院(ワット・プノム)へ』上梓(アジア文化社)。
2015戯曲『核の信託』上梓(アジア文化社)。
8月広島原爆投下70周年に合わせて日疋士郎演出演劇「核の信託」公演
2017長篇小説『破壊者たち』上梓(アジア文化社)。
2018大長篇小説「亜細亜二千年紀(ミレニアム)」第一部「亜熱帯への召喚」を文芸思潮に連載
2020『文芸思潮』の特集で組んだ「今こそ、加賀乙彦」のため加賀乙彦氏宅を訪れ、長篇小説について談話。示唆を受ける。
2021 一般社団法人全国同人雑誌協会を中部ペンクラブ、小林信人氏などの協力を得て設立。代表理事。
2024.9月大長篇小説『亜細亜二千年紀(ミレニアム)』第一部『亜熱帯への召喚』(1800枚)上梓。
戯曲「ヒロシマ裁判」を『文芸思潮』に発表。
2025.8月『ヒロシマ裁判』刊行予定。 日本文藝家協会会員

 



飯田 章

私の文学観/一言

飯田 章
いいだ あきら
■略歴
1935年2月28日生まれ
。東京都墨田区出身。5歳の時に母と、15歳の時に父と死別。弟ともども継母に育てられる。
1958年に早稲田大学第二政治経済学部を卒業。以後、写真会社、海運貿易関係の業界 紙記者、薬品問屋、繊維会社を転々と職業を遍歴して腰定まらず。
 60年頃、同人誌「文芸首都」の会員になり、主催者の保高徳蔵氏の薫陶を受ける。初 めて書いた小説「排気筒」が61年9月号に掲載される。
 62年に結婚。64年に長女が誕生。
 69年、昭和7年以来続いてきた「文芸首都」がこの年の十二月号をもって終刊となる。その翌年、「文芸首都」の旧同人有志によって「散文芸術」が創刊されるに伴い、丸茂正治に誘われて同人となる。
 74年、「迪子とその夫」が第17回群像新人文学賞を受賞。
 この受賞を機に会社勤めを辞め、文筆生活に入る。「群像」「すばる」「新潮」「季
刊 文科」等に作品を発表する。
 76年、勝目梓に誘われて、新人賞受賞者の集まりである「十三人の会」に参加する。
 メンバーは他に、長谷川敬、林京子、平龍生、三輪滋、麗羅、福田蛍二、井口泰子、榊原直人がいる。エンターテインメント系の作家が多く、たまに会って雑談したり、酒を飲んだり、旅行をしたりの気楽な集まりだった。
 87年、「群像」四月号に発表した「あしたの熱に身もほそり」が第97回芥川賞候補になる。他に主な作品に、「電線」「向島へ」「初恋」「里芋の花」「調書をたずさえて」「帰郷」「カップル」「二十年目の夜」「婚約」「ノワール」「墓案内人」「やれがき破垣」等。
 98年、森本等、五十嵐勉らと作家集団「塊」を結成。多角的な文学活動をめざす。


小浜清志
小浜清志
こはま きよし
■略歴
1950年沖縄県西表島隣の由布島に生まれる
69年県立八重山高校卒業と同時に上京
劇団四季、沖縄海洋博などで舞台裏方をつとめる
その後も様々な職を遍歴
87年中上健次と知り合い、師事。マネージャーをつとめる
88年「風の河」で第66回文学界新人賞


八覚正大
八覚正大
はっかく まさひろ
■略歴
1952年東京生まれ。
早稲田大学理工学部卒。
東京都立大学人文学部仏文科卒。
1992年「十二階」で第23回新潮新人賞受賞
「文芸驢馬」同人。
教育と文学、精神医学を幅広くつなぎながら文学活動を展開。
代表作は他に「父のフレーム」(三田文学)・「カウンター」など。
定時制高校の教育経験をもとにしたルポ「夜光の時計」(新読書社)


大高雅博

私の文学観/一言
大高雅博
おおたか まさひろ
■略歴
1954年生まれ、石川県金沢市出身。日本大学文理学部国文学科卒業。
1980年第三回群像長篇新人賞を「旅する前に」で受賞。他に「跡地の王」など。著書『旅する前に』(講談社)、共著として『トライ・トウ・リメンバー』(大和出版)。雑誌「コットン」誌上でロックのレコードの紹介欄を一年数カ月連載。


小沢美智恵

私の一言

小沢美智恵
おざわ みちえ
■略歴
1954年、茨城県北茨城市大津町生まれ。近くに五浦海岸や大津港があり、海を見て育つ。
 70年、茨城県立日立第一高等学校に入学。友人たちと同人誌「HASCHISCHI」を作り詩や童話、小説を書きはじめる。
 74年、千葉大学人文学部・人文学科(国語・国文学専攻)入学。在学中、新日本文学の文学学校・千葉校で龍田肇・野呂重雄氏の指導を受ける。
 大学卒業後、出版社勤務を経て、フリー校正者に。79年、小説「女の貌」が第11回新潮新人賞候補になるが、まもなく結婚、出産し、育児のためしばらく文学を中断。
 子どもがやや大きくなり、86年より同人誌「かいだん」に参加し、久保田正文氏の教えを受ける。その後、原民喜の評伝を書いたことが契機になり、佐々木基一氏の主催する絵画グループ「水曜会」に参加。佐々木氏やその周辺に集う画家や作家たちの薫陶を受ける。91年、第二子を出産、育児のため再び文学を中断。
 93年、小説「妹たち」が第1回川又新人賞。(93年12月「第一回川又新人文学賞作品集」川又書店刊)
 95年、評伝「嘆きよ、僕をつらぬけ」が第2回蓮如賞・優秀作。(96年1月「嘆きよ、僕をつらぬけ」河出書房新社刊))
 現在、日本ペンクラブ:電子文藝館に小説「祖母(あじ)さん」(「海燕」95年3月号初出)を掲載中。
2010年、『響け、わたしを呼ぶ声 勇気の人干刈あがた』八千代出版刊。これは「文芸思潮」に連載していた評論をまとめたもの。



都築隆広

都築隆広
つづき たかひろ
■略歴
1978年 山梨生まれ 東海大学文学部史学科卒
2000「看板屋の恋」で第91回文學界新人賞
2002「はじらい。」(「文學界」)
2007「女にしか歌は歌えない。」(「三田文学」)ほか


森本 等
森本 等
もりもと ひとし
■経歴
1947年4月16日、北海道小樽市生まれ。横浜国立大学化学工学科中退。
74年、「或る回復」にて、第17回群像新人賞受賞。著書「或る回復」講談社刊。
作品「酔漢の歌える」「ミスター・ボージャングル」「春うらら」「教授の娘との旅」
など多数。
百科事典『NAVIX』講談社刊にて、コラム欄「世界文学ダイジェスト」担当。よみうり・日本テレビ、文化センター金町にて、「小説の書き方」講師。


河林 満

私の文学観/一言

河林 満(逝去)
かわばやし みつる
■略歴
1950年12月10日生まれ。福島県いわき市佐糠町出身。東京都立川市・昭島市に育つ。
都立立川高校定時制卒。
昭島郵便局集配課勤務を経て1973(昭和48年)から25年間立川市役所に勤務。1998年3月普通退職のあと文筆生活に入る。
中上健次の弟子。
作品歴
1986年 「海からの光」で第9回吉野せい賞奨励賞
1988年 「ある執行」
第7回自治労文芸賞
1980年 「渇水」第70回文学界新人賞
      第103回芥川賞候補
1991年 「塵芥のさなぎ」すばる1月号
    「生き馬の眼を抜く市民」三田文学冬号
1993年 「穀雨」文学界5月号 第109回芥川賞候補
1994年 「署名の夏」うえいぶ
1995年 「黒い水」文学界8月号
    「クリスマスの中佐」すばる12月号
1996年 「井村が育てたアサガオ」すばる7月号
1997年 「眼薬」すばる6月号
1998年 「坂」季刊文科7号
1999年 「ある護岸」一冊の本1月号
    「ためらい」女性自身2月号
    「年譜」文学界7月号
2008年1月19日脳出血のため逝去。享年57歳。
著書
作品集「渇水」(文芸春秋刊) 「渇水」はNHK FMシアター
でドラマ化され、その年のギャラクシー賞を受賞。
ほかに新聞掲載エッセイが数本ある。
1991年から「吉野せい賞」選考委員を務める。
文芸同人誌
「文芸たちかわ」「文芸いわき」を主宰。