― 南西スリランカ ―

ウナワトゥナの仏塔建設

潮と緑の匂いのなかで

写真・文 川瀬奈美

 

ジャングリラの森の中で出会った、井戸水で髪を洗う女性

 

首都コロンボの街のはずれにある、海岸沿いの鉄道。ヤシの木を陸側に、波と潮風に洗われながら長く延びる鉄路は旅情を誘う

 

ウナワトゥナの仏像。これは、メンディーという祝事などに手に書かれる模様が掌に描かれた珍しいもの

 

ウナワトゥナの寺院で勉強を続ける少年僧。オレンジ色の僧衣と人なつこい笑顔が対照的だった

 

ウナワトゥナのビーチ。友人のレストランのすぐ前にあり、ここで服のまま泳いだ

 

南西スリランカの町並み。ベールワラへ向かう途中の風景

 

クールネーガラの夕焼けは体の奥まで染め抜かれるような鮮やかで美しい

 

日曜仏教学校の子供たち。キリスト教徒が日曜に教会に行くように、日曜日仏教徒の子供たちは仏教学校で学ぶ。朝、仏教のお祈りの時間があり、スピーカーからはその声が聞こえてきた

 

ウナワトゥナの様々な所へ親切に連れて行ってくれたリキシャー

 

ウナワトゥナの街の仏教寺院の仏塔

 

ランプ生活をする森の少女チャトリ。天真爛漫な笑顔だった

 

建設中の仏塔。炎天の下、コンクリートをこねるのも、流し込むのも、泡を抜くのも、重労働だ。しかし、一日の作業が終わり、祈りを込めるとき、疲れが浄化される

 

ありがとうございました。浅見行見さん。たくさんの人に慕われ、また人々に生きる力を与えている。様々な所へ出かけていくその足取りは、地球規模の広がりを持っている

 

日本へ出稼ぎに行くスリランカ人。別れを惜しんで互いに涙を流す姿は、見ているほうも涙を誘われる。あつい友情だ

 

白の服がよく似合うクールネーガラの民家の少女たち

 

ウナワトゥナの海岸にはなぜかヤギが多い。海辺でくつろぐヤギたち

 

 

 

 ウナワトゥナはスリランカ南西部の海岸の街だ。日本から飛行機で約一〇時間のコロンボから、さらに南へ約一二〇q、高く茂る椰子の木の海岸沿いを潮風を受けながら車で数時間走って賑やかなゴールの市街に入る。ウナワトゥナはこのゴールの街の郊外にある小さなビーチリゾート地だ。高いビルの建ち並ぶ都会とはまったく別の世界で、潮の匂いとともに赤い土に彩られた、近隣の人々の触れ合いの感じられる小さな町である。潮と緑の匂いの混じった気持ちよい風の中に、野菜や魚売りの出店が活気づいている。パキスタンやインドからの使い古しのバスが時々走り、オートリキシャの音が行き交う。スリランカ独特のバティック(ろうけつ染め)の服の店が並び、サロン(腰に巻いたスカート)の女性たちが行き交う、穏やかな気候の開放的な観光の町でもある。
 バナナやキング・ココナッツ、マンゴスチンやドリアン、パイナップル、リンゴやジャックフルーツなど果物天国の上に、物価が安く、五ルピー(約四〇〇円)もあれば、抱えきれないくらいの果物がどっさり渡される。リキシャの中で潮風を受けながら食べる果物の味は格別だ。豊かな海の幸を中心にしたシーフードもボリューム満点で、塩の味が臓腑に染みわたる。
 朝、太陽の光が射し込み、すがすがしい空気の中に目が覚める。ドアを開けるとココナッツの木々の間からたくさんの光が一面に散っている。外にある長椅子に掛け、朝の流れる時を過ごす。太陽が海へ当てる光の流れを眺めながら、ゆったりとした空気の中に身を晒す。
 朝食をとりにレストランへ行くと、そこを経営するスリランカ人の私の友人の母親が、小さな鉄皿を手に炭とチャパティの粉を店内や仏壇に吹きかけるように撒いていた。朝の光の流れの中にゆったりとした笑顔の陰影が流れる。彼らは仏教徒であり、毎朝それによって空間を浄セきよソめ、祈りを込める。仏教の中に生活があり、たとえ人間を害するものでも殺してはいけない慈愛の慎ましさに満ちている。願うこと、心を高めることで、スリランカのこの地では一日が始まるのだ。
 私は同行者とともに、付近の仏教寺院を回る日々を続けた。スリランカの人々の八〇%は仏教徒。古い遺跡と新しい寺院が時を越えて混在している。スリランカの意匠を備えた厳かな仏像が、各寺院で人々の生活を見つめている。自分なりのお布施を、感謝と願いを込めて僧に捧げる。時間に追われ、疲れてささくれだった日本での心が、少しずつ和み、安息を得ていくのを覚える。
 信仰からか、貧しさからか、少年僧の姿も多く、わずかに幼さをも残しているそれぞれの顔に、引き締まった凛々しい表情が、内面の信仰の清さを映し出している。
 さわやかな風と強くまぶしい光の中を寺院巡りをして、夕方友人のレストランに帰ってくる。ただ寺院を巡っているだけなのに、光と風に包まれるせいか、充実感に満たされる。暑さのため、喉も渇く。大きな巡りのような一日が終わり、海からの夜風に当たりながら友人の母親が入れてくれた、ティーを飲む。真っ暗な海を見つめる。広く静かな空間だ。その得体の知れない深さになぜか私は涙が込みあげてきた。
 そんなある日、私はこの地で偶然日本人の僧に出会った。ウナワトゥナには、森と海が隣接したジャングリラという不思議なビーチがある。潮の匂いとともに緑の匂いに満ち、鬱蒼とした緑の葉群のなかに、ハーブなど赤や黄やピンクの様々な花が咲き乱れている。緑の迷路を彷徨い、自分を見失いそうになるとき、突然海が開けてくる、そんなジャングルの中のひっそりとしたビーチだった。
 その日本人僧に、ジャングルビーチの中のルーマスサラという村で出会ったのだ。僧は海岸に大きな仏塔を建てていた。
 私はこんなところで、日本人、しかもスリランカの寺院建設をしている僧に出会った驚きから、久々に日本語を使う奇妙な気分で話しかけた。
 僧も快く答えてくれ、「どうですか、コーヒーでも」と野外に置かれている木製のテーブルに招かれてゆっくりと話をした。空気が澄んでいた。浅見行見さんというこのお坊さんは、スリランカに来て二年目、ある縁でスリランカ政府からこのジャングリラに土地をもらい、ビーチの真上にブッシャリ塔と名付けて仏塔を建設しているという。スリランカ東部にあるアンパーライに大きな仏教寺院があり、日本と繋がりがあって、この仏塔もアンパーライにある仏塔と同じように作るのだという。
 いま五一歳の浅見さんは若い頃、渡欧したが、自分が求めているものが見つからず、そのままアフリカからインドを遍歴し、インドで仏教とめぐり合ったという。一時は逃げ出したほどの厳しい修行を経たあるとき、悲しくもないのにとめどなく涙が流れてきて、止まらなくなった。不思議な体験の中で、自分が何かに包まれ、慈しみ育まれていることを実感したという。それから日本に帰って各地を回りながら仏道に励み、外国の仏教徒との縁で、さらにドイツ、イタリア、フランスへも行ったそうだ。二年前からここに仏塔を建て始めたが、予算も計画もなく、ただ建てるという目的のために布施を集め、日々建設の仕事に励んでいるという。
 この海の向こうを外国漁船が通り、付近の港にも入っていく。見通しのよいところに建つ仏塔はその航標にもなるでしょうからという。
 建設工事はまだ土台となる柱の部分しかできていない。二年経つのにまだ基礎工事の段階だった。
「いつごろ仕上がるんですか」という問いにも、「さあ……一〇〇年後かなぁ、一〇〇〇年後か……」と雲を掴むような答えが返ってくる。それまで自分は生きてはいないだろうけれども、魂が残り、人々が自ら受け継いでいくだろうという。
 柱の基部にコンクリートを塗って作業中をしている、汚れた服の、真っ黒い顔のスリランカ人たちがいる。「アーユボーワン(こんにちは)」と挨拶しながら笑顔で近寄っていくと、照れくさそうにはにかんだ笑顔を返してきた。
 ちょうど夕暮れ時、建設の作業場の仕事が終わる時間だった。作業現場から見る海と太陽はすばらしかった。私は作業の終わり、浅見さんがスリランカ人の作業者たちといっしょに読むお経を聞いていた。仏塔に彼らの読経と祈りが捧げられる。その声の中を大海の彼方に陽が沈んでいく。海へ沈む巨大なオレンジ色の太陽はゆっくりと荘厳に沈んでいく。完全に消える一瞬まで、これほど長い時間をかけてゆっくり見つめたのは初めてだった。私は彼らと何か大切なものを共有しているの自分を感じた。
 その日は不思議な日だった。話し込んで夜も更けた頃、澄んだ森の夜気を通して、向こうに柔らかい光が見えた。この森の番人の家だという。静かななかに虫の声が響く。誘われるようにしてそこへ近づいていくと、少女がはしゃぎ寄ってきて、私にまとわりついて離れない。「どこから来たの?」「名前は何?」「私の名前はチャトリ」――遠い以前からの知り合いだったようにすぐに互いの名を覚えて呼び合う。愛らしい顔だ。「ティー、ティー」とお茶を飲んでいくように手を取り、服を引っ張ってしきりに家に入るように促す。中から出てきた母親も人のいい歓迎の笑顔で「カモーン、カモーン」と私を招く。
 お邪魔をすると、素朴な家の中は、慎ましい森の中の生活をそのまま表していた。古い木のテーブルにランプが置かれている。柔らかな光は、この光だった。スリランカのある地域では、まだこうしたランプ生活をしている人々が少なくない。電線が行き届いていても、自分の家へ引き込むのに三万五〇〇〇円相当のお金を払いこまねばならない。家計にその余裕がないので、住民の多くがランプ生活なのだ。この近所では一日の労働が二〇〇ルピー、月にすると約八〇〇〇円、首都コロンボの公務員でも月収一万五〇〇〇円前後が一般だ。地方の一般庶民にとって、電燈はまだ手の届かない光なのだ。やはりランプの光の、薄暗い台所で油を沸かし、母親は湯気の立つお茶を持ってきてくれた。粗末なふちのかけた茶碗だったが、心がこもっているのを感じた。「ブラック・ティー」とにこやかに言いながら、どうぞとすすめられた。普通より黒い感じの茶の色の中に、つぶつぶの粗い黒砂糖を入れ、ミルクを注ぐ。家族のあたたかな微笑みに包まれながら、私は出されたお茶に口をつけた。
 すばらしい味だった。それは普通よりもやや甘いまろやかな茶の微妙な味と同時に、確かな人のぬくもりがこめられた味だった。心のこもった人の味があった。体が温まると同時に、心が温まり、ざらざらした自分の心を癒してくれる深い味があった。チャトリたちのにこやかな笑顔がその私をじっと見つめていた。ランプの柔らかな光は、明るく温かにこの空間を輝かせている気がした。
 このとき、自分にはいま、無心の時間が必要であることを覚えた。日本の生活と旅とでやや疲れを覚えている自分に気づいた。
 彼らの笑顔にあまりにひかれた私は、この森の匂いのなかでの人の親和性にもっと触れたい気持ちになった。
 夜、強く雨が降り、森に咲き乱れる花々を濡らした。テンプルツリーの白い花、ブーゲンビリアの赤や紫の花、ハイビスカスの黄色や白紫の花などの花弁が雨の恵みに濡れた。
 私は暇を告げるとき、寺院の作業を短期間だが手伝いたいことを浅見さんに告げた。浅見さんも歓迎してくれ、草の生い茂る裏手の小屋を宿泊用に貸してくれることになった。
 森番の家の少女チャトリと母親が「明日も来てくれる?」と誘ってくる。人恋しい目が離れない。「来るよ」と答えると、顔が皺くちゃになるほどの喜びを見せた。リキシャに乗る私を見送ってくれる。その表情には、何十年も人に会っていないような輝きがあった。
 翌日、荷物をまとめてゲストハウスを出、ジャングリラへ向かった。すでに太陽の光は地面を突き刺す暑さだった。スリランカを移動するにはミネラルウォーターが必需品。暑さですぐに喉が渇くからだ。ジャングリラの入り口からは、僧院の宿舎まで森の中を歩かねばならない。カメラ器材一式を含む重い荷物を背負って、赤土の坂道を歩き始めるとすぐに汗びっしょりになる。雨季のため、泥濘がひどいので裸足になる。口が渇き、すぐにミネラルウォーターに手がいく。ひたすら土道が続く。濃い緑の匂いが胸深く入ってくる。潤いに満ち、深く影と奥行を帯びた緑の迷路を汗の乾かぬまま彷徨い続ける。
 途中、井戸水で体を洗う女性に会う。葉の色の中で自然な姿で髪を洗う姿は森の精のようだ。
 出会った少年に連れられ、迷路を脱出するように石の崖を下る。伸びきった草木が一面に広がる沼地に出る。足がはまり、泥だらけになって進む。また井戸水で洗濯をし、体を洗う家族に出会い、今度はたまらずに自分も頭から水をかぶらせてもらった。その気持ちのよさは、水と緑が溶け合ってそのまま自分の体がさわやかに染められていくようだった。気がつくと、もう崖の上が作業場だった。
 全身濡れた姿のまま、浅見さんに会う。宿舎の小屋で着替えをし、掃除をする。
 早速頼まれた仕事が、夜の食事作りだった。ありあわせのカレーを作り、みんなに食べてもらう。好奇心でみんなが覗きに来る。スリランカ人の口に合うようにとサービスしたが、ちょっと辛くしすぎたか。「日本人もこんな辛いカレーを食べるのか」と目を丸くしていた。
 翌朝から建設現場に向かった。いっしょに働くスリランカ人たちは英語が話せない。浅見さんのシンハラ語の支持に従って、作業を進める。鋼の柱の中に、上からコンクリートを流し込む。流し込んだとき、空気の泡が無数にできる。この泡は、このままコンクリートが固まると脆さの原因になる。泡を抜くことでコンクリートがしっかり固まるのだ。面倒だが、泡を抜いておかなければならない。一つ一つ木セきソ槌セづちソで叩き、泡を抜いていく。炎天下、地味な作業をコツコツと続けていく。
 一通り終わると、また流すコンクリートを作る。石と砂、雨水を二人で組みになって混ぜ合わせる。砂が足りないと、その都度一輪車で砂場から運んでくる。できたコンクリートも、手渡しで上まで運んで一人一人流し込んでいく。炎天と仏塔の大きさを考えると、気が遠くなるような作業だ。
 体は絶えず汗が流れる。コンクリートで顔も体も灰色だらけだ。太陽の照りつけも太陽が上るにつれ、強烈になってくる。
「きょうは日本人女性がいるので、周りの動きもちがうな」と浅見さんがシンハラ人たちをからかう。私も片言のシンハラ語でなりふりかまわずジョークを飛ばし、互いの笑いで、やっと一息ついた。どんなときでも、いや、きついときほど、言葉のやりとりが大切になる。それによる目に映らぬ心の結びつきが、積み重なって、一つの塔を造っていく。それこそが仏塔を造るかけがえのない喜びであり、建設の内質なのだ。その喜びに裏打ちされてはじめて塔は空に聳え立つ現実を得る。
 作業員のなかに、一人変わったスリランカ人がいた。厳しい作業にやっと付いてきている様子だ。言葉が吃り、美しい目も充血している。ひしゃげた帽子をそのままかぶっていた。他の一人に聞くと、彼は過去に長く付き合っていた女性がいて、深く尽くして結婚を決めていたそうだった。しかし他に好きな人を作って逃げられてしまった……そのため頭が狂ってしまったということだった。その悲しみも、狂おしさも、この仏塔建設は天への力に集めていく。それがいっそうすがすがしい気がした。
 営々と意を注ぎ続ける人々と、それらの日々の交わりによって、建設は支えられている。人々もまた仏塔の建設によって生きる方向を得、日々が支えられている。私は自分を含めて我々の国で生きる人々に欠けてしまっている何かを思わずにはいられなかった。ある高さを備えた純粋な方向、やさしさが互いを支え合う豊かさ||それらは人間の根として失ってはならない永遠のもののような気がした。
 一日一日、空気の色も太陽の色もちがう。沈みかける真っ赤な太陽が、汗まみれの体を冷やしてくる。夕焼けの空が東から少しずつ紫に変わっていく。六時近く、大きな一日のめぐりのなかで、仕事が終わる。黄昏のなか、吹いてくる潮風に身を洗われながら仏塔に読経を捧げる。深い魂の帰一感に包まれる。
 みんなでいっしょに雨水で顔を洗い、また祈りと読経を捧げて食事をする。それぞれに帰っていく後ろ姿が何度もこちらを振り返る。たまらない愛着が影を伸ばしてくる。
 夜、水浴をして、ぐっすり眠った。
 そうした日々を繰り返すうちに、自然ななかで、心が磨かれ、なにか自分がたくましくなっていくのを覚えた。降ってくるように美しい星に、何度も立ち止まって夜空を見上げた。
 いつこの仏塔が完成するのかわからない。浅見さんは、自分がいただいている命が終わるまでにはとうてい完成しないだろうと言った。しかしだれかが受け継いでやっていくだろうと言う。建てるその営為こそが尊いのだと言っていそうだった。それ以上に地球上のあらゆる国に建てられることを願っているという。仏塔に足を運んで海を背にひたすら祈りをこめる姿に、肉体なくしても魂は残り、築き上げていく人間の営為のすばらしさが潮騒のように響いてきた。

 

川瀬奈美(左)

フリーカメラマン。20代の初めからインドなどを長く旅し、帰国後、都内のインドレストランや様々なギャラリーで個展を続けている。パキスタン、スリランカに続き、2001年はアフリカへ行くことを計画中。もっと世界に目を向け、本も出していきたいとのこと。

 

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