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21世紀の平和へ向けて

アジアの国際司法裁判所を

元カンボジア国会第二議長ソンスーベール氏に聞く

 

 

ソン・スーベール氏

 

アンコール・ワット

 

アンコール・トムのバイヨン

 

プノンペンの寺院の前でたむろすシクロ

 

プノンペン王宮

 

アンコール・トムのバイヨン寺院

   元カンボジア国会第二議長、現在カンボジア憲法評議会委員を務めるソン・スーベール氏が、この春政府の一団とともに来日、日本政府及び民間機関に現在進行中のカンボジア新憲法など新法体系の整備について話し、理解と協力を要請した。それ以外に、ソン・スーベールさんは、数年前からアジアの司法裁判所という構想を抱いている。ポル・ポトの圧政や虐殺のような悲劇を二度と起こさないためにも、アジア各地で瀕発する民族紛争や領土問題、地域紛争などを、武力などによる解決ではなく、理性と正義によって解決していこうとする意義深い機関の構想だ。アジアの司法裁判所についてどんなアイデアを持っているのか、お聞きした。

●前小淵首相のカンボジア訪問など、日本のカンボジア援助は大きく進んでいるようですが。
ソンスーベール■いまカンボジアでは道路整備が盛んに行なわれています。たとえばプノンペンからコンポントムや、コンポンチャムへの道路整備は、日本政府の援助による資金で進行中です。同時に、農業支援も行なわれています。大林組や熊谷組など、日本の建設業者などもカンボジア国内で道路整備やその他の建設に携わってくれています。ほんとうにありがたいことです。深く感謝しております。
 しかしそうした日本の建設会社が、マレーシアやベトナムから労働者を連れてきて、使ったりするので、カンボジアの労働者を使ってくれれば、やがて熟練工になっていくのに、ちょっと残念です。ベトナムはビル工事とか、単純労働とか、マレーシアとか、おそらくフィリピンからとか来ているような気がします。
●スズキの工場がカンボジアに建つということを聞いていますが、ほんとうですか。
■去年、インドとスズキの合弁会社でマルチ・スズキというのがありますが、カンボジアに工場をつくるという計画だったんです。それがまだできているかどうかわからないけれども、ぜひプノンペンではなくて、地方につくってほしいものです。プノンペンの近くにつくると、地方から人口がさらに流入して、地方はどんどん人がプノンペンに出ていってさらにガタガタになってしまいます。ですから、できれば逆に地方に作っていただきたい。シェムレアップとか、盗掘とか、セキュリティとかやっているにしろほとんど進みが遅いので、遺跡などを守るためにも、シェムレアップのそばにつくるとか、やっていただきたい。
●だいぶ援助が動いていますね。そこでさっきの質問をお願いしたいんですけど、小淵首相が
■新聞社の人と会って、クメールルージュのことを話して下さいと言われたんですね。サイボリという同行者のもう一人の博士が断ったらしいんですよ。私たちは憲法委員会の委員なので、そういう個人的な意見は言うべきでないと。私自身は、そうではなくて、私たちは一市民であって、政治的に偏るとか偏らないとか、そういうことではなくて、一市民として自分たちの考えることは言っていいはずではないか。とは言ったんですが、一人が反対すれば、団体でそうするわけにはいかないので、今回は入っていませんけども、関係があるかどうかというのは、もしかしたら、なんらかのおぶちさんがそう言ったんで、多少、役立ったかもしれませんけど、そんなに大きくは……でもクメールルージュの問題は大きいことです。
■憲法委員会は個人的な立場で言うことはできないと彼は言ったが、実は言うことはほんとうにだいじなことです。いまそれをやらないと、ポルポトの裁判に関してはきわめて望み薄です。フンセンが外国人判事を一人入れましょうと、妥協したんですけど、カンボジアの国内でやる以上、カンボジアの法律で、カンボジアの方式にのっとってやられるので、一人程度の外国人判事が入ったところで、彼にほんとうにカンボジアの国民を裁く権利はないし、カンボジアの法律で動いているから、それはたいした痛手でも何でもないんです。それはフンセンの作戦です。いま現時点で何人の被告が送られようとしているかと言いますと、わずか二人だけなんです。タモックともうひとりはデューイ(ドゥック)ツールスレンの処刑人の二人だけが送られるだけなんです。それを完全に例えば国連とかの管理下において、例えばオランダのハーグのような裁判所というようなものはできうるだろうと思っています。ポルポトの罪というのは、人類に対する罪であって、それをいまのフンセンがやろうとしているような方向で終わらせては決していけないと思います。これを正当な方法でやるには国連しかない。ところがこれを国連の安全保障理事会に言ったところで、中国が反対して一発で終わりなので、国連総会に提議するという方法は非常に有効です。そうすれば、この案件は過半数を取れるだろうと。そうすれば、いくらフンセンでも、拒否することはできない。そのうえで国連の完全管理下に置いた裁判というのをやるべきだと。でもそれをやるにはカンボジア政府を説得しないとだめだと。それはカンボジア政府が言わなくてもよい。ほかの国にやらせればいい。
●現状況ではポルポト派を裁く法廷の判事というのは何人で、どういうふうなシステムで法廷を立てようとしているのでしょうか。進捗状況はどうでしょう。
■いまは遅らせているだけです。何にもないんですよ。ポピアナとフンセンと合意に達したのは、アナンが特別大使を派遣して、話し合いをしましょうと、そこだけ決まっただけで、あとは何にもない。それに加えて、ほとんどのポルポト派幹部は、自由ですし、監獄にも入っていませんし、拘束も召喚もされていない状態ですから。一人だけですから、つかまっているのは。
●どうしてフンセンは遅らせているのですか。
■彼らはもう高齢ですから、一人一人老衰などで死んでいく、それによって、法廷に呼出すのを回避するという方法をとっているのではないかとも思えます。フンセン自身にしても、チアシムにしても、幹部という幹部はもともとクメール・ルージュですし、ほとんど虐殺にも関わっています。ですから、時間の経過がフンセンにすれば、有利になるということでしょう。
 ラウンロー・ハイという人がいます。初代のシーマックの代表で、彼はカンボジアで一番の学者ですが、シーマックというのは、CMAC(Cambodian Mine Action Center)です。日本語で書くとラオモン・ハイですけども、カンボジアのディナですよ。カンボジア民主主義研究所KID Khmer Institute of Democracyの代表をしているんですが、これは当時からたいへんな援助を受けていまして、彼はものすごく本を書いています。もうこのままこの問題が、風化してしまったら、カンボジア人の心の中に取り返しのつかない歴史の穴があくと。それではいけない、ということで、一度公開の場で、民衆を大量に集めて、ポルポト派の反罪人を連れてきて、彼らに民衆に向かってなんらかのことを述べさせるべきだ、と。それをまずやらないと、このままではまずいと、国王のシハヌークに言ったということです。しかし国王はそれはいい考えだけれども、実際それをどうやるかと言うと、やっぱりむずかしいということを言ったそうです。
●国内裁判については、暗礁に乗り上げているということですね。
■そうです。

●そうしたことと、繋がりがありますが、以前アジアの司法裁判所を作ったらどうかということをソンスベールさんがおっしゃっていたんですが、もしアジアの司法裁判所があれば、当然ポルポト派を裁判にかけて世界的にアピールしたうえでやる、それがカンボジアの歴史の上で重要な問題になると思うんですが、その可能性は、どういうふうなプランで、もっていったらいいのか、ビジョンとかプランとかをおうかがいしたいのですが。
■大阪に前に来たときのことはわたしもよく憶えています。そのときくらいから、アジアの司法裁判所について私の考えが浮かんできました。私たちアジアの国々は、人権、特に人権に関して、特に正義に関してたいへんな圧力を受けてきています。政治的な分野においても同じです。ですからそういう歴史を見て、現状を見て、アジアにおいて、アジアの人々と国々のなかにおいて、アジアの人々の人権を守るために、アジア共通の裁判所ができないかという考えを抱いたわけです。韓国の金大中大統領、またはタイ、日本、フィリピン、それぞれの国に、たとえば汚職とかいったたいへんな問題がありながら正義とかプラスの思考の観点で、なんとかそれをやろうという努力はそれぞれの国々になんとなくあるわけです。ところが、なぜそれが共通のものにならないかと、いうことをひじょうに考えています。東南アジアの国々で、最近は、人権という観点においてはどうしたらいいかということが共通の場で話し合われるようになってきました。ではなぜアセアンの諸国において、正義という観点において、例えば日本も入れてですね、共同体として、どうして正義という、台湾も入れてですね、正義という観点で話し合う場ができないか、ということを私は考えるわけです。それはぜひ日本の皆さんからも提唱していただけると思うんですよ。相馬雪香さんが日本でもたいへんな汚職とかいろいろ問題があってたいへんなんです。モラルハザードは日本でこそ起こっているんです。アジアに学ばなければいけません。と相馬さんが言ってスーベール私もそこで聞いていたわけですが、最初に聞いたときは日本にそんな問題があるとは全然信じられませんでした。私の考えですが、なんらかの国、共同体において正義という観点においてほんとうに考えが一貫していない、活動が一貫していないというところは、真の自由主義とは言えないと私は考えています。私たちはおそららく政府云々ではなくて、まず民衆から、たとえばNGOとか、民間団体からそれをともに動き出すということから始められるのではないかという期待を抱いています。
 台湾の例を見てください。台湾の柳廉中りゅうれんじゅうさんが台湾のあれだけ有名だった汚職選挙をですね、なんと驚いたことに、民衆から、学生も含めて、きれいな選挙運動というのを始めて、いまはもうそれが全国的な動きにまでなっているわけです。もちろんこれこそが一つの正義であると言えるわけです。それは周知の事実となったように、九八年のカンボジアの我々の選挙が、偽物だし、嘘だし、公正であったと言われていますが、とんでもない嘘です。
■去年はカンボジアでは国会選挙があって、来年は地方選挙があるわけです。そのときに、もちろんこれまで公正自由な選挙などというのはどこにもありませんでした。もし日本人の皆さんが、我々カンボジア人が、特に一般のカンボジア人たちが、それぞれが、自分たちは市民として、国民としてという自覚をまず彼らが抱いて、国民であるならば、市民であるならば、自分たちは選挙において何をしなければいけないか、ということを本当の意味において自覚ができるような働きかけを皆さんがしてくださったならば、それはきっとすばらしい状況につながるでしょう。
●あなたがたというのは誰のことですか。
■それは特にだれということではありません。たとえばこの前の選挙のときに、日本から
も選挙監視委員が来てですね、選挙を手伝ったわけですけれども。彼らはカンボジア政府と同じ見解で、「今回は公正な選挙だった」とだれも信じないというようなことを言っただけで、ほんとうのことを彼らは言ってくれませんでした。それは何も日本の方々に限ったことではありませんけれども、要は政府とか、だれとか、特定の機関や組織、個人ではなくて、それがいいと思っただれもが、私も、そういう機会があったら、そういう発言をする。たとえば五十嵐さんも雑誌に書く機会があったら、そのように書く。たとえばNGOの団体であれば、団体としての意見をそう発言するというふうに、それぞれがそれぞれの立場で、発言し、書いていくということが、結果としてそういうものを推し進め、実現させていくと思います。インドでもナーランド?というたいへん少数民族が弾圧されているところがありまして、そこの民衆の戦いも相当なものなんですね。そこの人々に対しても、きっと声をかけてあげられる状況ってあるんだと思います。
 いままではこの国はこうだと、この国はこういう理由があって、ああだからこうでこうなっているんだと、そのようなことばかり言ってましたけど、そうではなくて、もし我々が一つの集団で、集団というか、意識としての集団が成り立っていれば、我々はこういう正義の観点においてこういう動きをするんだ、我々はだから選挙においてもこういう動きをするんだという、押し付けではなくて、考え方の指針を持つ事ができるということになります。そういうふうに私は思っています。
 もし歪んだ政府とか、権力とか、あるいは別の大きな圧力によって、無力な国民が圧力を受けていれば、国民はやはりそれを恐れて、自由だとか正義だとかどころの話ではなくなってしまいます。まずはそこを解き放つことをしなければ、高らかな理想を謳い上げたところで、現実的にはものごとは動かないとは思われます。これはほんとうに夢ですけれども、夢もほんとうに想い続けて長い間やっていけば、実現することもあるのだと私は信じています。
●具体的に、例えばNGOだとか、あるいは他の多くの人たちが意識を高めたとして、具体的にアジアの司法裁判所の創設に向けては、その上にさらに何を積み重ねていけばいいのでしょうか。
■他の国のことはあまり語れませんが、現在の時点では、他の国の内政についてはあまり語ることはできませんが、現時点でアジアというのは、政治的、経済的、貿易通商の領域において、すでにブロックはできています。それはそれぞれまったく特別なものではなくて、たとえばあるときには紛争が起きたり、もちろん政治と経済とは密接に繋がっている、それぞれが独立したものではないし、そこでなぜ正義という観点はそこに入り得ないのか、もしそこがあれば、それのみで解決されうる紛争というのももちろん数多くあると思うんです。
 ASEANの友好国、たとえば日本、中国、またはスリランカといった国が、その輪のなかに入るということはもちろん可能ですし、それをむしろ実現させていくことを希望しています。それへの可能性は十分あると思っていますが、それにたいする行動というのは、まだ起こし得ていません。カンボジアはたとえばまったく一つの所からとったシステムを全部に適応しているのではなくて、あるところにはフランスのシステム、あるところにはアメリカのシステム、あるところにはどこのシステムという形でいいところをとって、いろいろミックスしたような状況になっているのです。ですからそういったものを、言ってみれば周知?を集めて、アジア共通のものを作りあげることは必ずできることだと思います。
 日本も同じではないですか。たとえばイギリス、フランス、アメリカとか、ドイツやロシアの、いろんなところを取り込んで、日本が開国し、維新の大改革を成し遂げたように、そういう様々なよいところを取り込んでアジアの国際紛争・民族紛争を解決する司法システムを作ることはありうると思っています。タイでさえ、ドイツやイギリスなどその法整備について、たいへん影響を受けていると思います。いままで申し上げたのは、大枠の考えではありますけれども。
 ハイ・ボリスさん、今回同時に来日している、彼は法律家であり、弁護士でありますから、彼はカンボジア弁護士協会の会長でもありますし、彼をぜひ説得していっしょに動いていきたいなと思っています。
●アジアの司法裁判所ができたとして、ある解決案を決議したとして、その実効力がないと意味がありませんが、それに従わない場合、その実効力を示すのに、さらに大きい機構が必要になると考えられます。その警察的な役割をどこの国がするのか●現在では国連軍とかありますけれども、そういう問題はどうなんでしょうか。できた場合には新しい困難、新しい問題が出てくると思いますが。
■いま、国連がそうでありますように、国連はたいへん多くの国によって構成されていますが、あるときにはたいへん力があり、あるときには力がなくなります。多くの場合に、たいへん無力です。他の国に影響を行使し得ないという状況があるのは、やはり事実だと思います。しかし、どんなときでも、武力をもってそれを制するという考えは、私は同意できませんし、それはできれば考え方を変える必要があるのではないかと思っています。それはやはり、国連なら国連、どんな組織でもそうですが、それ自体が何らかの宣言、なんらかの決議を、そこで共通の、そうしたたとえば正義とか、紛争に関する決議をすれば、一〇〇%とは言いません、しかしそれが何らかの重しになって、それが何にも優る武器になるということは、私はありうると思っています。ですから、今度新たにできるアジアの司法裁判所というものには、明確にその部分を成文化した条項を作るべきだと思います。もし日本国内で、アジア司法裁判所についての考え方、またはその必要性、またはそれを必要とするアジアの背景ですね、そうしたことが国論とは言いませんけども、日本のなかで積極的に、盛んに論じられて、いろいろな方々が、テレビや雑誌やいろんな本で論じたとしたら、それをたとえばカンボジアもそうですけれども、アジアの国々の人が聞かないと思いますか。もちろん聞きますよ。
 つい先日は、小淵総理大臣のASEAN各国の歴訪において、カンボジアにも来ていただいたわけですけれども、彼は影響力を持ったわけです。何をカンボジアで言ったとか、それぞれ各地で影響力を行使して帰りました。彼の言ったことと言うのは、やはりそれなりに、左右されますし、フンセンも軽く見るわけにはいかないわけです。
 もしアジア司法裁判所というものが、アジアのなかにできたとしたら、それは富める国、貧しい国、強い国、弱い国とあるでしょうけど、あらゆる国々にとって、ほんとうに前向きの意味で拠り所となる可能性はひじょうに大きいと思います。
 たとえば、みなさんの国、日本はカンボジアにほんとうに長いこと支援の手を差しのべてくれました。それをずっと続けてくださっているということは、やはりいろんな意味で関係性が増えて、関係が増えるだけではなくて、信頼感も、友人としての親しみも、あるときはカンボジアにとって、導いてくれる先生のような役割も増していくわけです。全体が強く太くなって、今日に至っているわけです。もう一年になりますが、日本とカンボジアの協定で、日本から司法顧問がカンボジアに送られて、司法制度の確立のために、カンボジアで働いています。
●アジア司法裁判所の場合、だれが原告になって、だれが被告になるのか、だれが弁護するのか、たとえばポル・ポトの圧政と虐殺が行なわれているとき、だれが、どういう形でそれから逃れるためにアジア司法裁判所に訴えることができるのか、殺される側の国民は訴えることはできないのか、あるいはそういう形が可能なのかどうか、その場合、どうやったら原告としてアジア司法裁判所に訴えることができるのか、そういうことは具体的にお考えになっているのでしょうか。
■これはアジア司法裁判所の存在だけで成り立つものではなくて、国連のように、アジアのなかで、アジア版の国連というものを作って、そのなかの一つの機関として、アジア司法裁判所を置いて、ASEANもあって、なんらかの組織もあって、そういう形になってしかも有機的にそれぞれが動かないとまずだめでしょう。だれが裁判官になるとか、どうやってやるとかいうのは、どの国もそれを一国内の問題ではなくて、その問題が何らかの形で国内を越えている問題であれば、どんな人間からも訴訟というのは採り上げられるべきでしょう。ただ検事がだれ、判事がだれ、弁護士がだれとかいう問題自体は、アジア司法裁判所がほんとうにシステム化されて、今年は加盟国のこの国とこの国が裁判官だと、この国が弁護士だと、そういう形でシステムとして決めないと、何らかの国からのプレッシャーがかかったり、利害に左右されたり、公正な判決が出なくなるおそれもあります。そういうものを極力排斥する必要があると思います。そのためにはそういう形をとるべきでしょう。(マスコミなどを使って、もちろんテレビやインターネットなどで全世界的に公開して、世界の意見をも集めるべきです)
 みなさん御存知のように、カンボジアとミャンマーというのは、政府からたいへんな圧力があります。ミャンマーでも選挙による自由というのがなくて、自由が抑圧されているわけです。学生運動とか、国を憂う力が軍隊によって抑えつけられています。それがずっとそのままだというのが基本的な予測ですが、もしアジア司法裁判所というのがあったら、かれらでさえそこに訴えを起こせるわけです。で、アジア司法裁判所が問題を公平に裁くということになります。そういう状況を実現し得るわけです。カンボジアではすでに有名な女優が殺されましたけれども、だれがどうしてどうやったのか皆知っているんですけれども、それをどこにも言っていくところがなくて、彼女の家族は泣き寝入りをしている状態です。そうではなくて、その家族でさえも、ものを申す場所があるという可能性を私は考えています。
 最初のステップとして、SAEANのなかの一委員会として、人権委員会のような組織を作るのがまず第一歩だと考えます。
●率直に言って、アジアの諸国に武力や暴力によるものではなくて、そういう基本的な見識によって紛争を解決するという認識が可能なのでしょうか。自国の民主主義さえおぼつかない国々も少なくないなかで。その点はいかがでしょうか。
■それはその通りです。実際は、ASEANのなかで、まだ正式な委員会ではありませんが、まずはNGOなどから発せられた声が高まって、いちばんそれに関心を持って動いているのがタイとフィリピンですけども、それぞれの国々がまた個別で話し合いを持っていますが、特に気持ちを入れているのが、タイとフィリピンが、人権委員会というものわ設置しようと、いまASEANの中で動いています。
●この運動を進めていくリーダーは、ある種の暴力、ひじょうに危険にさらされる可能性があると思います。殺される可能性もあるくらい危険で大きい仕事だと思いますが、その点についてはいかがでしょうか。
■ほんとうにこれが、だれかにとっての使命であるならば、それを信じてただやるしかないと思います。私が難民キャンプにいたときも、同士や難民の人々につねに言っていたのは、自分はカンボジア人として、やるべきことをやっているだけなんだと、つねに言っていましたし、いまもそう思っています。人間としてやるべきことをやっていくことが、だいじだと思います。それが普遍的なことであるならば、自分の力を越えて、たくさんの人々の意思と力が集まってくるでしょう。
●きょうはどうもありがとうございました。
(2000.2.29/ホテル・ニューオータニにて/インタビュアー五十嵐勉)

 

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