タイの南北戦争

                                                   青田成行




 20094月になって、タイの動乱はまた大きな動きを見せた。7日には中部タイのパタヤのホテルで閣議中だったアピシット首相らをホテルごと包囲し、ついにホテルを出た首相の車を包囲して後部ガラスを破壊した。8日タクシン元首相の支持者10万人が現政権の退陣などを求めてバンコクに集結。プレム枢密院議長の自宅を包囲して、
議長宅前に特設ステージを造り、「議長は辞任しろ」などと叫んで、非難の声を高めた。


 さらに11日、「反独裁民主同盟」デモ群衆は、パタヤで開催されようとしていたアセアン関連会議の会場に雪崩れ込んで、首脳会議を中止に追い込んだ。

 13日、政府は「非常事態」宣言を出し、軍を鎮圧に出動させると同時に、タクシン元首相をはじめとする首謀者13人に逮捕状を出した。

 催涙弾ガスなどで、デモ隊と軍兵士の騒乱は続いたが、15日「反独裁民主同盟」は限界と見てデモ終結宣言を出し、デモを解散した。タイの騒乱はひとまず終息したかに見える。

 昨年11月反タクシン派の「民主主義市民連合」がバンコク近郊の2空港を占拠したのに続く対立抗争で、タクシン政権中期以来、これだけ長引く政治混乱はタイの政治史においてもほとんど例を見ないもので、ベトナム戦争末期の反日運動とその後の混乱に匹敵する。この動きの根にはどんな勢力構造が潜んでいるのか、明らかにしながら、私見を述べてみたい。

 まず単純に色分けをしてみよう。昨年タクシン政権打倒の表側の勢力になった反タクシン「民主主義市民連合PAD」は黄色のシャツである。これが空港を占拠した。また逆に今回デモでASEAN関連首脳会議を中止に追い込んだデモ勢力「反独裁民主同盟」は皆赤シャツを着ている。単純に黄色シャツと赤シャツの対決と見ていくことにするが、黄色はタイ王室の色で、赤は変革の色で、タクシン派。しかしこの赤はくせもので、タマサート大学など学生運動の変革の伝統のある色でもあるし、共産主義革命の色でもある。1970年代、学生を圧殺したカチンデーンなど右翼の色でもある。

 この根深い対立の底には、王室の存続問題が横たわっている。タイは日本の皇室とちがい、王室そのものが巨大な財閥で、土地をはじめ、銀行・製鉄・製紙・不動産・自動車・運輸など、一大コンツェルンをなしている。日本の東大にあたるチュラロンコン大学の広大な敷地ばかりでなく、主要政府地のかなりの部分やまた運河なども王室の所有で、王室が政府に貸して、その賃貸料をとっている形になっている。この一大財閥を王室財産管理局が管理している。サイアムコマーシャルバンクも、航空会社タイインターナショナルも王室が大株主である。この富は国家予算を大きく左右するだけのものであることは想像に難くない。

 タイの王室は、プミポン国王が元気なうちは、チュラロンコン大学、タマサート大学の卒業生全員何千人に一人一人自らの手で卒業証書を渡すほど接近したものであり、また王室の新聞記事は必ずページ最上部に来るようにつねに配慮されている。王室の名誉を傷つけるものは、いっさい許されていず、日本の週刊誌のように皇太子夫妻の名誉を傷つける記事などもってのほかで、このようなことをした新聞社・出版社の担当者・責任者は即牢獄行きになる。日本よりもはるかに王室の実質支配が強いのがタイで、国王の意に沿わない首相はほとんどありえないのが、タイ政治である。

しかしその王室は、すでにプミポン国王が80歳近くの高齢であり、昨今入院したりして、政治公務の体力的衰えが顕著で、跡継ぎ問題を抱えている。

 長男の王子は、評判が悪く、国民には不人気。日本の日泰寺の式典で自分の座る椅子がスチールの折りたたみ式だったのに怒って(タイの王族の椅子は金箔と決まっている)一人帰ってしまったり、女性関係で盛んな噂が出たりして、政治公務上の批判が芳しくない。多くの国民は、王子が王位に就くと王室の権威が落ちるのではないかと懸念している。むしろ人気は次女のシリントン王女。王女は独身だが、国民の人気は高い。王室は、長男がかわいい王妃派と、次女に跡を継がせたい国王派との対立がこれまた根深いとされている。王室の中が二つの派に割れて、それがまた問題を複雑化させている。

 もう一つ、王室を支える勢力として無視できないのは、軍である。タイ軍は、王室がその莫大な財力によって軍関係者の生活を背後から支えてきた。王室の基盤は軍によるという考えの下に、軍には最大級の援助を与え、組織を強化してきた。例えば最高司令部の一部は王室の敷地内にあるし、タイ航空の大株主の一つはタイ軍である。軍役中の将官の給料は低いが、退役すると、軍のアソシエーションの力で年金など高額の支給が得られるようになっているなど、軍組織は、切り離すことのできないほどの王室との密着度を示している。

 このような王室に対し、それを根底から揺るがせるような考えを抱いて登場したのがタクシンである。タクシンは、当初携帯電話の急成長企業のトップとして急速に政治的力をつけたが、その財力と突然の台頭に、背後勢力をいぶかしく思う点がなくはなかった。タクシンの財力のバックにはシンガポール企業がついているという噂だったが、政権に就いたタクシンは噂どおりに、シンガポール資本を背景に、バンコクを大胆に変貌させた。2002年当時のバンコクの街の風景と、2007年の5年後のバンコクのビルの乱立状態を比較してみれば、その変貌はよくわかる。シンガポールから土地や建物のローン会社が大規模に進出し、その資本で30階建て、40階建ての建物がドカドカ建ち並んだ。バンコクのこのビル化の姿をよく見れば、シンガポールや、中国の上海、大連などとなんとなく雰囲気が似ていることに気がつくだろう。

 タイの携帯電話は人工衛星を使ったもので、安さや便利さ、電話そのものの機能は日本以上のものがある。この人工衛星を使うことの出来る力は、タクシンの背後には並々ならぬものが控えていることが推察される。

 タクシンは政権についてしばらくたった2005年あたりから、その変革性の表れとして、タイ王室に対して、政治の手を伸ばしていった。大胆にもタイ王室の経済基盤に変革の手を加えようとした。土地・株式など、実質的な経済基盤を、国有化しようとする案を出し始めたと言われる。タイの近代政治で、国家体制の背骨とも言える王室の経済基盤に手をつけようとしたのは、タクシンが初めてで、これはタイの最大のタブーに手をつけたことになる。このような根本的な改革を考えたタクシンに対して、王室が最高度の反発を見せるのは必至で、ここに王室とタクシンという政治家の戦争が始まったと見るべきである。

 06年、王室は軍を使ってのクーデターでタクシンを首相の座から追い落とすが、もともと軍事クーデター自体がすでに時代遅れなうえに、タクシン以上の政治能力のない政治家が後釜に座ったので、タクシンの政治力の前に、総選挙で敗れ、結局タクシン派の政治勢力が再び政権をとってしまった。タクシンは海外にいながら、政局を操る奇妙な政治形態が進行した。

 このままでいけば再び王室の存続を脅かされる事態を招くと見た王室派はもう一度民主主義市民連合PADを表に出し、黄のシャツのデモで、二空港を占拠し、タクシン派ソムチャイ政権を打倒した。

 しかしタクシン派は、当然そのままでは終わらず、その強大な資金力を駆使して、また巻き返しが起こることが予想されていた。それがこのソンクラーン・タイ正月デモである。

 タクシンの支持勢力・政治基盤は東北や北タイにある。農村を中心に北に広がっていると言われ、王室派の支持勢力・政治基盤はバンコクを中心に南半分にあるところから、王室派とタクシン派のこの政治闘争は「タイの南北戦争」と言われている。

 タクシンの支持勢力が東北にあると言っても、農民一人一人が自覚的に政治を理解してタクシンを指示しているのではなく、タクシン派がばら撒くお金によって支持を示しているというべきで、その政治の改革性に共感して支持しているわけではない。

 また付け加えておきたいのは、警察の動向である。PDAの二空港占拠でも、今回のパタヤのASEAN関連会議でも、警察はデモを取り締まってはいない。黙視し、むしろ許しているような立場をとっている。これはタクシンが警察出身で、警察の現幹部の多くはタクシンの同期生だということに起因している。図式としては、軍が王室、警察はタクシン派だということである。したがって、本来真っ先に取り締まらねばならないはずの警察は動かず、むしろ混乱を容認している立場を取っているところに、一つの陰謀が隠れていることを見逃してはならない。

 タクシンはこの3月の画像演説で言ってはならないことを口にしたと言われている。それは「この黒幕はプレムだ」と公言したことであり、王室枢密院議長プレムを指弾することは、そのまま「王室が黒幕だ」と言ったことと同じで、正面切って王室と対立を宣言したことになるからである。その結果か、同じ時期、密かにタクシン暗殺の命令が発せられたという噂が巷に流れた。

 それにしても、タクシンがこうまで王室というタイの背骨とも言える最大勢力に対立しようとするのか、一貫した頑強な政治力とそれを支える経済力はどこから来ているのか、疑問を抱く人々は少なくない。タイ王室に批判の矛先を向けるという政治家は、これまでまったく存在しなかった。このことは奇妙に思わざるをえない。真にタクシンが革命的な人間なのか、それとも背後に何かがついていて、動かしているのか、ここまで実行し続ける動きを見ていると、後者を考えたくなる。

 タイのデモは日本とはちがい、一人動員するのに、500バーツとか、1000バーツとか、具体的な日当が出るやり方である。赤シャツを配るのも、その製作費や輸送量を入れるとシャツだけで数千万円から億という金額が動いている。デモもバスをチャーターして現場に運ぶことが多い。10万人を1週間以上動かすとすると、数十億バーツ以上のお金は軽く動いている計算になる。この資金は、タクシン派を支持する銀行から出ているとされるが、この資金には、この数年急激に増えたシンガポール資本の新たな銀行だけでなく、旧来の銀行からも資金が出ているとされている。たとえばアユタヤ銀行など、旧来の銀行も、不動産ローン部門が急増し、新たなセクションが増えて、海外からの投資を受けて大きく膨らんでいることがわかる。

 ある筋から耳にしたことだが、シンガポールの背後にいるのは、中国だということである。この見方をタクシンに当てはめると、合点がいくことが多い。まずこれだけ正面切って王室に対抗することができるのは、よほどな力のバックアップが必要で、そうでなければとうていかなわない相手に戦いを挑むなど発想さえできないからである。またタクシンという名前も、あまりにできすぎていて、怪しい感じさえする。タクシンは現チャクリ王朝の元祖で、潮州からの移民華人の血を引いた者が現在のバンコク・トンブリの王朝を開いたとされていて、あまりに直接にそれに結びつくので、何か作られた名前のような気さえする。

 ここまで大胆に王室に簡単に対抗できるのは、共産主義という大きな考えを敷衍していく発想につながっていると考えるのは想像しすぎだろうか。タクシンというタイ人一個人の発想ではなかなか出てこない発想での頑強な一貫性は、注目に値する。

 シンガポールから出回っているタイ王室を侮辱するインターネット画像においても、本来シンガポールはこのような他国の政治に関与するような積極性は持っていない。政治的効果を狙ったものとしてならば、やはり中国などがシンガポールを経由させて揺さぶりをかけていると見るのが打倒だろう。

 また、バンコクに短期間にこれだけのビルを建設する資本力というのは、単にシンガポール一国の力とは考えにくい。どこかが加わってこれだけの投資が行なわれてきたと見るほうが自然に思える。

 ともあれ、現政治闘争としても、また国王の高齢化においても、さらにネパールやカンボジアなどアジアの王室の凋落という時代の趨勢からしても、タイ王室は存続の危機に立たされている。必死の抵抗を見せることは必然であり、これからもタイ政治は動乱の渦を深めていくとみるべきだろう。

 ではもしタクシンの背後に中国がいて、これが大きくしかし密かにコミットしているとしたら、その目的は何かということである。やはり政治の混乱を大きくして、その混乱に乗じて経済支配を強化し、東南アジアの中心であるバンコクに中国のプレゼンスを打ち立てて実質支配を強めていくということだろう。王室の経済基盤は最終的にはそれほど問題ではないかもしれない。むしろ政治混乱こそがねらいで、それに乗じて経済基盤を強化するほうに真の目的があるように見える。となればタイの国民性をうまく利用し、シリントン王女に跡を継いでもらい、王室財産や経済力のおいしい部分はもらって、形だけ軟着陸させることが最も成功の形と見ているかもしれない。軍をどうするかが問題にはなるだろうが、タイ軍もすべて王室派ではなく、すでに中国派も少なくないと言われている。中国軍の大きな組織からすれば、タイ軍を間接に取り込むことも困難ではないと見ているとも考えられる

 タイの民衆は本質的に不正義は嫌う。その意味では王室派に肩入れするだろう。またこの数年の外資の流入によるインフレは民衆の生活をひじょうに苦しくしている。タイそば一杯が10バーツだった数年前と比べて現在は35バーツであるのに、給料はそれほど上がっていない。冷静に見ればこれはタクシン政権が招いたものであることは、わかっているはずである。南北戦争のどちらにもつかない流動層が大半であるが、彼らの反応が今後の政局に決定的な力となっていくだろう。

 タイの独自の国家公安力はかなり強固であって、機能もしっかりしている。これを含んだ王室と外部勢力との地下戦争は、今後かなり血みどろの闘いとなると見られる。

 経済危機が深まっているタイにおいて、一方で民衆の爆発を抱えながら、「南北戦争」はさらに地下で激しさを増していくと予想される。




これまでの動きを朝日新聞によって概括してみると、


 06
   1
月タクシン首相(当時)一族の株取引疑惑が浮上

   2月反タクシン派の「民主主義市民連合PAD」結成
   9
月軍事クーデターでタクシン首相失脚、憲法停止

 07
   8月国民投票で新憲法法案承認

    12月総選挙。タクシン元首相派の「国民の力党PPP」が第一党となる
 08
   2月サマック政権発足。タクシン、15カ月ぶりに帰国



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