連載5:「西スマトラ州パダン沖地震」


 インドネシアで大きな地震が起こると、毎回必ず友人の誰かが心配してメールを送ってきてくれる。それは今回も同じく、無事であることの返信がしばらく重なった。

 9月30日午後5時16分、西スマトラ州パダン沖でマグニチュード7.6の大地震が起きた。死者は1195人、けが人3500人、建物約13万棟が全壊という大惨事であった。先日マカッサル市内でもパダン沖地震の募金活動をやっていたので、私もわずかながら入れさせてもらった。

 最近インドネシアでは大地震が頻繁に起こっている。一番最近では、10月24日にマルク州アンボン沖でマグニチュード7.0の地震が発生した。月に一度はインドネシアのどこかで地震が起こっている。

 これほどまでに地震が頻繁に起こりだしたのはここ5年ほどの話で、人々の地震に対する知識は少ない。それがまた被害を大きくしていて、ニュースで映像を見るたびに居たたまれない気持ちになる。インドネシアの人々は、目の前にある現実を運命として受け止める傾向があり、防災と言う概念が少ない。日本では当たり前の学校での避難訓練もない。とにかく皆地震が起きたら一目散に外へ出る。枕を頭にのせてテーブルの下にもぐりこむという人も多からずいるのだが、インドネシアの住宅の造りから考えると屋内は危険だ。


 インドネシアの住宅は地震を想定した造りではない。レンガを積み立てて目分量のセメントで固めて作っている。揺れには弱く、地震で家具が倒れてきて負傷する日本とは違い、壁や天井が崩れ落ちてきて、一たまりも無い。しかし日本のような木造住宅は好まれない。熱帯性気候のため、木にはたくさん虫がついてしまう。また、少しでも風通しがいいように、天井は3メートル以上と高い。それでも鉄筋がある程度通っていてレンガを使うのなら強度はあるのだが、皆見えない部分にはあまりお金をかけたがらない。耐震強度で言うと、日本の普通の建築物の3分の1程度である。うちは太い鉄筋を入れているので大丈夫だと夫は言うが、うちは大丈夫でも周りの家が倒れてきて被害にあう可能性は大いにある。毎度毎度の地震のニュースに、阪神大震災を思い出し、明日はわが身と身の震える思いがする。




 さて、今回のパダン沖地震では、日本からの国際緊急援助隊が次々と派遣されてきた。ニュースでも映っていたのだが、地震の際の救助に関しても、インドネシアではまだまだだな思った。国のレスキュー隊もやっと最近になって組織化されたらしい。地震発生からまだ3日も経っていないので、日本の救助チームは倒壊した建物の中に生存者がいるかを警察犬や機械などを使って探していたのだが、インドネシアの自衛隊は大型重機を使ってごっそりなんでもかんでもすくい上げていた。もし生きていても、このブルドーザーに踏み潰されそうだ。地震による地すべりや土砂災害も多く発生したのだが、これもまた即、重機でごっそりという手法が主流だった。また、山奥の村では村人たちだけで鍬やスコップを使っての地道な作業だった。救助に関しても、国際的な援助を受けなければならないほどに立ち遅れているのが現状である。


 パダン沖地震が発生して、パダン行きの飛行機がどれも一斉に大幅値上げされたことには本当に悲しくなった。この悲惨な現状を見ても商売第一かと溜め息がもれる。そんな中でも外資系のエアアジアだけがジャカルタ発パダン行き路線を無料にしたことは大変喜ばしい。また、ユドヨノ大統領も現地入りした際に、自分の政府専用機を一般の人に提供した。それでこそ一国の大統領である。地震発生から1ヶ月が経ち、パダンは復興への道を歩み始めている。しかし次またいつどこで地震が起こるやも知れない。それほどにインドネシアはもはや地震大国となった。救助の面のみならず、いかに被害を食い止めるかという防災面でももっと国を挙げて対策を練っていかねばならない。まずは避難訓練教育と、避難場所の設置である。そういうことがユドヨノ大統領にはパダンで見えたのだろうか。再任されたばかりのユドヨノ氏の手腕をひとまず見守っていくとしよう。


写真は地震発生後のパダン市(foto gempa padangより)




(エッセイスト・ラフマン愛)


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